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「ディーセント・ワーク」 「ディーセント・ワーク」ということばを知っている人の割合はどのくらい なのだろうか?労働行政や労働研究、労働運動(たぶん)の関係者には広く知 られているものと思うが、企業の人事担当者となるとかなり心許ない。ちなみ に、「日経テレコン21」で過去3年間の5大紙(読売・朝日・毎日・産経・日 経)の記事を検索すると、「ディーセント・ワーク」が出てくるのはわずかに 1回、それも毎日新聞論説委員で労働問題に強い山路憲夫氏のコラムだから、 いかに世間の注目を集めていないかがよくわかる。 これは、国際労働機関(ILO)のフアン・ソマヴィア事務局長が、1999年 に就任した際にILOの理念・活動目標として示したものです。ディーセント というのは一般的には「きちんとした」というような意味なのだろうが、ディ ーセント・ワークには手頃な訳語が見当たらなかったようで、そのままカタカ ナ書きするのが定着している。ちなみに前出の記事で山路氏は「やさしく働け る仕事」という(意?)訳をあてているが、これが適当かどうかは怪しい。む しろ、1999年当初の「働く価値のある仕事」「適正な仕事」といった(結局は 定着しなかったが)訳語のほうが近そうだ。より具体的に「権利が保護され、 十分な収入を生み、適切な社会的保護が供与される生産的な仕事」といった注 釈が付されることもある。 ソマヴィア氏自身は、2000年に開催された日本ILO協会の50周年記念式典 における記念講演で「世界の人々が、今、最も望んでいるものは、基本的人権 に次いで、ディーセントな仕事ではないかという結論に到達しました。これは、 子どもに教育を受けさせ、家族を扶養することができ、30〜35年ぐらい働いた ら、老後の生活を営めるだけの年金などがもらえるような労働のことです」と 述べている。現在でも、ILOにとって最重要の課題が各国における労働基本 権の確立であり、生活保障賃金の確保であることには−残念ながら−変わりは ないわけだが、それだけがILOの役割ではない、その先に新たな目標がある のだ、と宣言したということなのだろう。 ILOによれば、その背後には「経済自由化政策は国、労働、企業の関係を 変え、雇用形態、労働市場、労使関係の変化は政労使に大きく影響し、グロー バル化がもたらした繁栄と不平等は集団的社会責任の限界を露呈した。技術と 生産システムの変化は社会意識を変化させ、政治を監視する市場と世論の目が 厳しくなり、人間の安全保障と失業問題が政治課題のトップに復帰し、人間の 顔をしたグローバリゼーションを求める声が方々から聞こえてくるようになっ た」という情勢認識があるという。そういえば、ソマヴィア氏がこれを打ち出 した1999年3月は、ちょうどアジア諸国が通貨危機とそれに続く経済混乱に見 舞われていた時期でもある。奥田碩日経連会長(当時)が「人間の顔をした市 場経済」と訴えていた時期とも重なる。それから6年を経た現在、ソマヴィア 氏は2期めの任期に入っているが、この「ディーセント・ワーク」は引き続き ILOの活動の柱のひとつとして位置づけられている。残念ながら、状況はあ まり改善されたとはいいがたい。 ILOはディーセント・ワークをあまねく普及させるための戦略として、 「労働の基本的原則と権利=人権と労働」「雇用(と収入)」「社会的保護 (と社会保障の強化)」「社会対話の強化」の4つを掲げた。ソマヴィア氏は 「開発の目的をディーセント・ワークの推進とするならば、開発は社会的な進 歩を統合したものと理解される必要が生じる」と述べている。 日本はどうだろうか。私には、戦後日本、あるいは現在の日本は、おそらく はこの「開発の目的」を、国際的に見れば例外的なほどにうまく成功させたよ うに思える。もちろん、さらなる改善の余地はあるが。 |