|
「フリーター」(1) 「フリーアルバイター」にかわって「フリーター」ということばが使われは じめたのは、1987年にリクルートが制作した映画「フリーター」が最初で、そ の生みの親は同社「フロム・エー」誌の編集長の道下勝男(当時、現道下裕史) 氏であるという。この映画は「アルバイト収入でリッチな生活を楽しんでいる 学生の姿を描く。実話を題材に、現代の世相を浮き彫りにしようという試み」 (1987年8月31付日本経済新聞朝刊)であり、そこで描かれた「フリーター」 の姿は「主人公たちは次々にアルバイト先を変え、稼いだ金の大半は外車購入 のローンなどに消費してしまう。特に今、打ち込んでいることや将来設計もな いが、自分の人生は何ものにも縛られたくないと思っている。一見、刹那(せ つな)的でいい加減だが、世の中を渡るしたたかさは十分に持っている」とい うもので、「これまでとは異なった仕事観、生活観を持った新しい人種の誕生 を予感させた」という(1988年2月6日付日経流通新聞)。道下氏自身は「映画 制作会社から定職につかずアルバイトで生活するフリーアルバイターを映画の 題材にしたいという相談を受け、データやエピソードを提供したんです。ただ フリーアルバイターでは響きが悪いので、自分の気持ちに正直に生きる人とい う意味をこめて『フリーター』とつけました」(1987年11月24日付日経産業新 聞)「時間を有効に使い、お金も稼いで、自分のやりたいことをやる――こん な(フリーアルバイターの)ライフスタイルは今後ますます増えてくるでしょ う」(1986年11月7日付読売新聞朝刊)などと述べている。 当初「フリーター」ということばは、「カッコいいことば」として生まれた のだ。実際、当時の新聞記事をさらに見ていくと、「仕事にそこそこの満足感 を覚えながら束縛をきらって自由にはばたく“フリーター気質”」(1988年2 月29日付日本経済新聞夕刊)「趣味やその時の興味、好奇心に従い、やって楽 しい仕事・暮らし方を選ぶ。福田さんの仕事観に生活のにおいはない」(1988 年2月6日日経流通新聞)など、「自由」で「仕事以外のやりたいことを大切」 にし、仕事には「やりがい」を求めるといったポジティブなイメージの記事が 目立つ。「三日やったらやめられないのが、不定期の就業で口に糊(のり)す るフリーター稼業とか」(1988年6月29日付日本経済新聞夕刊)。 しかし、フリーターというキャリアデザイン(これも一種のキャリアデザイ ンだろう)は、決してそんな甘いものでもカッコいいものでもなかった。結局 のところ、フリーターのカッコよさはバブル経済下の異常なまでの人手不足が 前提だったのだ。新卒採用のピークは1990年。「広告製作会社を手伝い始めた フリーターの岡田は言う。『一度身につけたライフスタイルは変えられない。 不況になっても職場がなくなるなどということがあるのだろうか。日本経済っ てそんなに弱くないのでしょう』」(1991年5月3日付日本経済新聞朝刊)。そ れから「就職氷河期」に突入するのに5年もかかっていない。平成12年版労働 白書によれば、「フリーター」ということばが生まれた1987年に79万人だった フリーターが、10年後の1997年には151万人に増加した。そういう意味では、 「不況になっても職場がなくなるなどということ」はたしかになかった。しか し、労働条件は大幅に低下し、仕事も「やりがい」とはほど遠いものへとシフ トした。「フリーター」というキャリアはもっぱら自ら選ぶものではなく、や むを得ず選択するものとなった。そしてフリーターは「カッコいい存在」から 「政策的支援を必要とする存在」となっている。 もちろん、フリーターと一口に言ってもその中身は多様であり、とりわけ近 年の「就職超氷河期」にフリーター選択を余儀なくされた若者たちのなかには、 磨けば光るダイヤの原石が多く含まれている可能性が高い。とはいえ、バブル 期に「フリーター」を「カッコいいもの」としてデザインしてしまったことの 罪は軽くはないだろう。それはひょっとしたら、当時のわが国における「キャ リア」への意識の低さ、未熟さを示しているのかもしれない。 フリーターのなかには、「脱フリーター」を志向する人も多いという。その ためにどのような道筋があるのか、「キャリアデザイン」の一つの課題ではな いかと思う。 |