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=================================== *** 労務屋の労働雑感 *** +++++++++++++++++++++++++++++++++++ 平成15年07月31日発行 通巻228号 +++++++++++++++++++++++++++++++++++ <<< 【労務屋一筆啓上】『ソニーは人を生かす』 >>> =================================== ※本内容は、「労政時報」誌に掲載されたエッセイを、発行元の労務行政研 究所様のご好意により配信しているものです。なお、入稿後の修正は反映 されていない場合があります。 1966年10月、東京オリンピックの2年後に、「ソニーは人を生かす」という 本が日本経営出版会から発行されました。著者の小林茂氏が、いまから40年以 上前の1961年、ソニーの厚木工場長に就任した当時の工場経営改革を記録した ものです。 人間中心主義 1961年当時、ソニーはすでに世界に名の知れた一流企業でしたが、労使関係 は良好ではなく、労働争議も発生していました。当時、生産現場の中心は中卒 の女性作業者でしたが、『組合にアジられ、バスに乗せられ、本社工場の前へ 行ってピケを張った主力は、彼女たちであった。また、…厚木市民からは、赤 旗の点でも、あるいは風紀の面でも、眉をひそめられる彼女たちであった。』 という状態でした。工場長に就任した小林氏は、こうした実態をみて、小林氏 は徹底した人間中心主義にもとづく新しいマネジメントの導入に取り組みはじ めたのでした。 その象徴が、食堂の無人化、「無人スタンド」です。食堂の混雑対策として、 『売り子さんを置かないで、いわゆる無人スタンドの方式で、各自がだれの監 視もなしに、相応の食券(金券)とひきかえに、自由に食べ物を取ってくるこ とにした』ところ、幹部たち全員の反対にもかかわらず、『ほとんど間違いは 起こっていない』という結果になったというのです。 小林氏はいいます。『上長は、自分がその地位にいるのは…知能も人格も、 部下以上だからだという権力意識を持つから、当然部下を人間的に低く考えて しまう…。しかしそのような…認識は、明らかに事実に反した錯覚である。… 食堂の無人スタンド方式の成立は、この錯覚の錯覚たることを実証した第一歩 であった。』『マネジメントの革新とは、仕事の道具として人間を使うのでは なくて、人間を信じ、人間を中心とした管理へ完全に切りかえることである。 そして上長は、そのケチな使用者意識、みにくい権力意識を徹底的に捨て去る ことである。』 信頼にもとづく自主管理 最初に進められたのは作業員の劣等感の解消でした。小林氏は、『赴任して まず第一に感じたことは、とくに、従業員の大部分を占める年少の諸君が、ひ どい「砂利意識」をもっており、ここにほとんどすべての問題の中心点がある ということであった。』と考え、「砂利意識=劣等感」を解消するために、自 主管理によってその自主性を生かすことに取り組みました。「無人スタンド」 はまさに自主管理の典型例です。 タイムレコーダーの廃止も、自主管理の印象的な事例です。当時は、遅刻す る人に頼まれてかわりにタイムカードを押すなどの不正が多く、タイムレコー ダーの監視員の配置が提案されるような状況でした。 これに対して小林氏は、逆にタイムレコーダーの廃止にふみきり、遅刻・早 退・残業をすべて届出制としました。その結果、秩序はまったく乱れなかった のです。 自主管理とは、すなわち一人ひとりを信頼するということでしょう。小林氏 は、『人間信頼のもとにおけるチェックということは、監視のためのチェック ではない。それは激励のためのものでしかありえない。』と述べています。そ して、その結果、『砂利意識は完全になくなってしまった』といいます。 こんにち、こうした管理については「ピア・プレッシャー」などと呼ばれ、 むしろ統制強化につながるものとして否定的に論じられることもあります。た しかに、いま読めば、小林氏の所論は楽天的に過ぎると感じられるかもしれま せんし、当時といまの時代背景の違いを指摘することも容易でしょう。しかし、 問題は自主管理そのものではなく、そこから人間尊重の理念が失われ、信頼な きピア・プレッシャーとなっているところにあるのではないでしょうか。 コミュニケーション、権限委譲、現場主義 さて、1960年代のソニーに戻りますと、『つぎに当然おこなわれるようにな ったことは、砂利意識ゼロの上に、ポジティブな、意欲的な創造的人間として の、みんなの出発と前進とであった。』それは権力意識と官僚主義の一掃であ り、人間中心の組織づくりでした。 これは、これまた徹底した現場主義であり、コミュニケーションと権限委譲 ということになるでしょう。工場の組織は、課−係−組−班となっていますが、 それぞれの組織のヘッドは、班長、組長、係長ではなく、主任、チーフ、リー ダーと呼ぶこととされています。すべての組織は、『上から下まで、すべて毎 日一回のミーティング…をおこない、そこでメンバーは互いに情報を交換しあ い、それにもとづいて、行動を打ち合わせる。リーダーはそれを指導するが、 権力者ではなくて仲間の一員である。』班長ではなくリーダー、組長ではなく チーフと呼ぶのは、「長」という呼称が地位の高さと権力をイメージさせるか らだ、ということです。同様に、『われわれは、フォロアーが上司を呼ぶ場合 に、できるだけ無理でない形で、「○○さん」というように、極力役名をつけ ては呼ばないように奨励している。「○○常務さん」とか「○○課長さん」と か呼ぶことは、権力主義的な組織運営を、わざわざ誇示したり、部下に思い知 らせたりする結果を生むだけ』だともいいます。『もっとも重要なものは、命 令ではなく情報である。』40年前に、これだけのことが考えられていたのです。 そして、権限委譲です。工場としての中期的な生産計画はもちろんあるわけ ですが、『重要なのは、各製造ラインごとの詳細な計画の設定は、すべて、そ れらの係に一任されていることである。各係はこれを、班・組・係のミーティ ングの連鎖のなかで設定している。つまり、生産計画は、名実ともに、その製 品をつくる人びとのすべてが設定している』『人びとはこの設定を信頼してま かされたとき、けっして月々に停滞した計画をつくろうとはしない。つねに月 ごとに、前月よりすぐれたものをつくろうとする。』『こうして作られた生産 計画は、異常なまでの達成へのエネルギーによって遂行される。』 また、作業のやり方を定める作業標準についても、『工場の全職場において、 リーダーを中心として…作業者たちが参加して…作業標準を作ろうということ になった。』『参加したエンジニアたちも、働くものの"技術上の生活の知恵" ともいうべきものに感服し、多くのものを学ぶことができた。私はこのダイレ クトワーカーと技術者との、相互敬愛的な交流の生まれたことを、とくに高く 評価する。』『このことがおこなわれだしてから、不思議な現象が起こった。 昭和39年の夏から冬にかけて、毎月、十数種におよぶ全タイプのトランジス ター生産の歩留りが、新記録をつづけたのである。』『その後…作業標準書は …働く者たち自身によってつぎつぎに改定され、血となり肉となって、現場の なかに生きつづけている。この過程において、働く者は機械でなく人間となっ たのである。』作業者は中学を出たばかりの少女たちであり、リーダーすら20 歳前後の若者です。牧歌的な時代であったといえばそのとおりかもしれません。 しかし、このみごとなまでの現場主義には、いまなお私たちの心にふれるもの がないでしょうか。 女性の力を生かす 女性活用の取り組みにも、めざましいものがあります。当時は既婚女性が働 くことは稀で、勤労意欲も低いとみられており、『低い職務に、低い賃金で、 しかも臨時工的差別待遇の下に導入しているのが現状』という実態でした。小 林氏はこうした態度を改め、『まったく通常の一般従業員と同じ精神に立って、 同じ態度をもって、これを迎え入れることにした。賞与も、退職金も支給し、 能力と意欲のある人は、家庭の事情が許すならば、どこまでも高い程度の仕事 をしていただけることとした。』当時の時代背景では、主婦を特殊な目で見な いことは、たいへん難しいことでしたが、『しかしこれが、私たちの工場で比 較的早く完成し得たのは、先に記したとおりの、人間中心的管理がすでにおこ なわれていたためであり、…十分なコミュニケーションが、存在していたため である。』 もちろん、当時の主婦の社会的状況に対する配慮もされています。『とくに 配慮しなければならない点は労働時間であって…1日実働7時間の普通勤務と、 2交替制1日実働5時間の勤務の二種があり、主婦は好むほうを選び得るよう にしている。』『最初から、工場で子供を預かることを考えた。…子供の集団 的な躾教育を、家庭でよりも十分におこなえるものにしようと考え、満三歳か ら学齢までを預かる「ソニー厚木幼稚園」を、工場構内に設立した。』『私た ちの工場では、主婦は出産の場合、いったん退職することになっている。…そ して出産後、無理なくまた勤められる情勢となれば、いつでも、たとえ募集し ていなくとも、再就職できることにしている。未婚の女子従業員が結婚出産後、 再就職することも原則として自由である。』 こうした新しい体制によって、それまで「勤労意欲が低い」とされてきた主 婦が、出勤率も、『作業能率も、若い人とほとんど差がなくなった。…若年の 女子と主婦の方がたが、同じ職場に働くことは、相互間にひじょうに良い影響 を与え合うことも、明らかになった。』のです。 40年前の問題意識 そのほかにも、印象に残る部分はいくつもあります。たとえば、この時期に 広がりはじめた目標管理制度について、『このようなやり方では、人びとは目 標の達成にきゅうきゅうとなり、失敗する勇気を失うことになるであろう。私 は、人間は失敗をおそれていては成長しないし、開拓的な仕事もおこない得な いと考える。』『短期的または部分的な目標の達成に、一本調子の熱意をもつ ことは、長期的または集団的にみた場合に、マイナスの結果を生む可能性が大 いにある…だから業績の評価はきわめて困難なのであって、少なくとも達成率 といったような、終末結果的な数字でみることは誤りであり、目標達成のため に実行中の』プロセスを見なければならない、と述べています。これが40年前 の話なのです。『どうして日本の経営者は、まず形式的な制度をつくることに よって、性急に事態の改善をはかろうとするのであろうか。』業績不振の理由 を訊ねられて、「従業員が働かないからいけない」「やれといって、(社長は 従業員に)命令する。経営とはそういうものだ」などと答える経営者に読ませ たいものです。 労働運動に対しても、『ただ賃金の取引団体や、政治団体のようなことでは ダメなのであって、…新しい労働組合は、職場のなかに、創造的な、真に生甲 斐のある労働を確立するために闘うべきであろう。…マネジメントの革新期に 際して、労働組合もまた大いに創造力を発揮し、従来のすべての固定観念から 脱却する必要性を痛感する』と述べています。繰り返しますが、これが40年前 の本なのです。 自信を持って進みたい この本には、当時の時代認識として、『日本産業の奇蹟的発展は、…先進国 技術の、巧妙かつ迅速な模倣・導入によるもので』あったが、『日本が先進国 に追いついた』ことで、『日本産業自身が、みずから新技術を開発する力をも たなければならない』と述べられています。これまた、こんにちとほとんど変 わらないものです。 しかし、これほどまでに同じということは、私たちはこの40年間、まったく 進歩していないのでしょうか。私はそうは思いません。 結局のところ、資本主義経済が競争社会である以上、今も昔も経営環境の厳 しさに変わりはなく、つねに革新を求められているということなのです。そう したなかで私たちの先達は、この40年間、オイルショックのときも円高不況の ときも、この本にみられる人間中心、現場主義のマネジメントを進化させてき ました。 いま、長引く経済の低迷のなかで、こうした考え方を否定する議論が目立ち ます。もちろん、反省は必要でしょう。しかし、それで日本を1950年代に逆戻 りさせていいのでしょうか。 私たち実務家は、浅薄な議論に惑わされず、自信をもって、諸先輩が築き上 げてきた人事労務管理をよりよいものとする努力を、労使ともども続けていき たいものだと思います。(本文はすべて筆者の個人的な見解であり、筆者が所 属する会社などとは関係ありません) (次回は7月**日に配信する予定です) =================================== ◆メールマガジン「労務屋の労働雑感」 このメールマガジンは、インターネットの本屋さん「まぐまぐ」で配送され ています。(http://www.mag2.com)ID=0000049801 ◆このメールマガジンは、発行者が、個人の資格で、管理職、人事労務担当者、 組合役員、学生・研究者などの方々を対象に、人事・労務・労働などに関す る話題を提供するものです。なるべく毎週月・木(祝日休)発行しています。 ◆バックナンバーは、次のページからごらんになれます。 http://www.roumuya.net/mm/backn.html ◆登録・解除は、次のページからお願いします。 http://www.roumuya.net/mm.html ◆労務屋のホームページ:http://www.roumuya.net の「労働掲示板」に、 ご意見・ご感想などをおよせいただければ幸いです。 ◆メールアドレス:nagoyakuma@nifty.com ◆転載・引用を歓迎します。原則として、ヘッダ・フッタも含めた全文の転載 をお願いします。部分引用についてはご相談いただければ幸いです。 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