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          *** 労務屋の労働雑感 ***

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        平成16年02月26日発行 通巻246号
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            村上龍 著    幻冬社

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 この本は非常によく売れているらしい。成果主義でいけば、たくさん売れた
のだからいい本だというのも、ひとつの真理であるにはちがいない。事実、こ
の本の最大の功績は、なにより「たくさん売れた」という点にあると思う。
 総覧的な職業紹介の本という意味では、はっきりいってこの本の値打ちはあ
まりない。取り上げられた職業は数多いが、あきらかに偏っており、その分類
にも疑問がある。また、紹介の記述も、職業によっては妙に韜晦していたり変
にセンチメンタルな記述で紹介になっていないものがあるいっぽうで、一面的
でなげやりな記述、実態にあわない記述も多々みられ、具体例をあげればきり
がないくらいだ。決して、まじめに職業について知ろうとする13歳のこどもに
すすめられる本ではない。
 実際、この本よりはるかに記述が充実し、実態に即した本もある。たとえば、
日本労働研究機構(現労働政策研究・研修機構)の「職業ハンドブック」は、
職業の特徴や歴史、労働条件などをなるべく正確かつわかりやすく説明しよう
としている(値段がはるかに高いので内容がいいのは当然といえば当然だが、
地域や学校の図書館に置いてまわし読みすればいいのだし、ウェブでも公開さ
れている)。さらに、ウェブ上には、厚生労働省関係の「私のしごと館Job
Job WORLD」や、文部科学省関係の「世の中ネット中学生のための仕事カタロ
グ」、民間のものとしては学研の「将来の仕事なり方完全ガイド」などがある。
画像や音声などをふんだんに使ってイメージしやすくつくられており、興味の
ある分野からの検索もできる。もちろん無料で閲覧できるし、内容的にもどれ
もこの本よりはるかに優れているだろう。
 しかし、いくら中身がよくても読まれなければなんの意味もないのだ。たい
へん残念ながら、多くの13歳のこどもたちは、お役所の関連組織がつくったも
のだというだけで、反発を感じればまだいいほうで(実際、たとえばJob Job
WORLDがやたらにビジネス・キャリア制度や公共職業訓練のサイトへ誘導しよ
うとするのは私がみてもうっとうしい)、ほとんどは無関心なのではないだろ
うか。しかし、村上龍という当代随一の売れっ子作家が書いたということにな
ると、内容は貧弱でもベストセラーになるのだ。私には評価できないが、親し
みやすい(しかしおおむねは無意味な)挿絵を入れるなど、売れるようなたく
みな本作りがされているのだろう。こどもが自分の将来の職業について早い段
階から考えることは、基本的にたいへん望ましいことだ。したがって、誰が買
うにしても多くの職業を網羅した本がこどもの手近にあり、実際に読まれるこ
ともありうるという状況が広まることは、それ自体は非常にいいことだと思う。
内容がよくないことは問題ではあるが、それは読み手が承知していれはいいわ
けで、まずはこの本で関心を持ち、より正確で詳細な情報は別の方法で調べれ
ばいいのだ。そう考えれば、取り上げられた職業のバランスの悪さも、多くの
こどもが興味を持つであろう「音楽」や「映画」のジャンルを重点的に取り上
げて、関心をひきつけるように作ってあるという長所としてみることもできる。
そういう意味では、本当に大切なのは、この本で職業に関心を持ったこどもた
ちが、さらに正しく深い理解に進めるように誘導することではないかと思う。
 要するに、これはむしろ小説の一種なのだ。実際、職業を紹介する記述のほ
かに、あちこちに村上氏のエッセイが多数配置されている(もっとも、エッセ
イも文章はみごとだが内容はわりと薄っぺらな感じのものが多いが)。この本
は、これらを通じて、作者である村上氏のメッセージを伝えるメディアである
と理解すべきなのだ。
 それではそのメッセージとはなにか、というと、村上氏も本文中で言及して
いるが、まずは「いい大学を出て、いい会社や官庁に入ればそれで安心、とい
う時代が終わろうとしています」ということらしい。だから、好きなこと、向
いていることを仕事にすべきだ、「できるだけ多くの子どもたちに、自分に向
いた仕事、自分にぴったりの仕事を見つけて欲しい」のだそうだ。「わたしが
伝えたいのは、『社会に出る前に自分がやりたい仕事を見つけておくべきだ』
という『アドバイス』ではない。『社会に出る前に自分がやりたい仕事を見つ
けた人のほうが人生を有利に生きる』という『事実』だ」とも書いている。
 言うまでもなく、これは社会における事実ではない可能性が高い。現実には、
「いい会社に入る」ことが有利なことを否定することは難しい。安心して適職
探しができ、能力開発につながる環境があるといった「いい会社」のメリット
は依然としてかなり大きいのではないか。世間ではたしかに村上氏のメッセー
ジのようなことがいわれるが、それはあくまで傾向であり、確率が少し下がっ
たという程度のことに過ぎない。「『社会に出る前に自分がやりたい仕事を見
つけた人のほうが人生を有利に生きる』という『事実』」も、誰がどうやって
検証したのだろう。自分がやりたい仕事にこだわったあげく人生を棒に振った
人や、社会に出てから思いがけぬ天職に出会った人といった、この『事実』に
対する反例は多数あるように思うのだが。ましてや、13歳の時点で「自分に向
いた仕事、自分にぴったりの仕事」を、それがアドバンテージになるほど確実
に「見つけられる」のは、かなりの才能や素質にめぐまれたこどもなどの例外
に限られるだろう。
 どうも、村上氏には、「いい大学を出ていい会社に入っただけで安心できる
のはけしからん」とか、「収入にかかわらず好きなことを仕事にする生き方が
立派だ」とか、「自分のことは当然自分でわかり、自分で決めるべきだ」とか、
「他人に依存するのは悪だ」とか、「自由のためには命令や拘束に反発すべき
だ」などなどといった、一種の強固な倫理観というか、信念があるらしい。そ
れがあまりに強烈なので、自分でそれが事実だと確信するに到っているのかも
しれない。私はこんなトンチンカンな信念を押し付けられたら迷惑だが、村上
氏のファンならこのメッセージにうっとりするのだろう。どう感じようと個人
の自由だ。ただし、私はまじめに勉強していい大学に入っていい会社に入って
安心して働きたいという考え方があってもいいと思うし、嫌な仕事でもおカネ
のためと割り切って仕事以外に人生の喜びを見出すという生き方があってもい
いと思うし、サラリーマンになって与えられた仕事をまじめにやっているうち
にその面白さに目覚めるという働き方があってもいいと思う。村上氏の信念が
こうした生き方を否定する根拠として十分であるとはとても思えないし、私個
人は率直にいってこのような考え方が広がってほしくないと思う。
 だから、私はこの本がたくさん売れたことには一定の意義があったとは思う
が、しかし他人にはすすめない。作家の本だからフィクションであって悪い理
由はないが、とはいえこの本はフィクションがあたかも事実であるかのような
誤解を与えるような、悪く言えば欺瞞的な書き方がされているように感じる。
冷静なおとなならこの本がフィクションであることを察知するだろうが、こど
もに与えるときには注意が必要だろう。人気者の本だけに、それが悪いほうに
出ないか心配だ。

               (次回は02月27日に配信する予定です)
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