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■2003/01/31 (金) いただけない 今日の日経の1面に松下電器が職種別賃金を導入するという記事がある。これは電機産業で労使双方が検討していた問題だが、その説明が「年齢や勤続年数に基づいて一律に決めてきた方式から、個人の成果をきめ細かく賃金に反映できる制度に転換」となっているのはなんなんだろう。当たり前のことだが、職種別賃金でも年齢などで一律に決めることはできる(公務員の給料がこれに近いだろう)し、職種別賃金だから個人の「成果」をきめ細かく賃金に反映できるとは限らない。電機が検討している職種別賃金はそんな単純なものではないはずだ。もう少し勉強して書いてもらいたいものだ。 別の話で、今日の社説は東京都の銀行外形標準課税をとりあげている。今回の判決では、税負担の著しい不均衡を理由に再度都の敗訴となったものの、事業税の性格や自治体の裁量権などについては都の主張を大幅に認めており、社説もこれをベースに外形標準課税と地方財源について問題提起している。そこまでは妥当な内容だが、最後に突如として「民主政治には透明性と適正な手続きが必要」であり「『本盗』の手法はいただけない」という主張に転じる。非常に違和感がある。 そもそも何をいっているのかよくわからないのだが、要するに銀行税の構想が結論が出た段階で突然出てきたのがいけないということらしい。 検討過程からマスコミにお知らせがなかった(公開されなかった)のがけしからん、ということらしいが、こうした政策はアイデア段階で「検討する」といったら最後、反対のロビー活動が押し寄せて座礁してしまうだろう。都議会ではきちんと審議され議決されているのだから、民主政治に必要な手続きは尽くされているし、報道で見る限り、今回の判決も手続きの瑕疵は問題としていないようだ。まあ、「いただけない」というのは何となく気に食わないという意味でも使われることばなので、それ自体はおかしくないかもしれないが、そういう内容は社説にはあまりふさわしくないのではないか。民主政治を引っ張り出すのも筋が違う。 ■2003/01/29 (水) 亡国の論 昨年末からはじまった日経新聞の「デフレが蝕む」特集の第2部がきのうからスタートしたが、今日の記事は日経病のかなり根本的な本質を露呈している。 いいたいことは、「デフレは一握りの勝者と圧倒的多数の敗者を作り出す」から、「問題を先送りせず正面から向き合う経営者の決断が問われる」ということらしい。具体的には、「デフレ期は時間が死命を制する」のであり、小見出しにあるように「賢く一抜け」すべきだ、というのだ。 要するに「抜け駆けのすすめ」なのだ。抜け駆けすれば「一握りの勝者」になることができる、というのだが、それでは「圧倒的多数の敗者」はどうすればいいのか。会社をつぶしてのたれ死にしろということかもしれないが、そのときに日本という国、国家経済、国民生活はどのようになるのか。一握りの勝者すら存在できない国になる恐れすらある。まさに亡国の論である。 結局のところ、ビジョンや国家観といった大局的な見地がまったくなく、自分たちの身内、仲間内が目先儲かりすればいい、という貧困な発想しかないということだろう。こんなザマで、「社会の木鐸」だから再版制度を維持しろとか個人情報保護は反対だとかいっているのだからチャンチャラおかしい。 普通の神経があれば、「一握りの勝者と圧倒的多数の敗者」ができるような社会ではいけない、だからデフレが問題であり、なんとかしてデフレを解決しなければならない、という発想になるはずだ。デフレ歓迎論者は往々にして「努力しない企業が救済されると、努力した企業が報われない」などというが、いまや努力した企業ですらデフレのために窮地に追い込まれかねない状況なのだ。ことここに到っても「賢く一抜け」しろなどと云っているのは、他人が苦しむのを見てサディスティックに喜んでいるだけとしか見えない。 また、今日の記事では、ソニーが米国型統治を導入したことを手放しで礼賛しているのもまことに見苦しい。まあ、これはソニーの広報戦略が優れているということだろうとは思うが・・・。 ■2003/01/28 (火) ダボス会議の権威を悪用 今、ワールド・エコノミック・フォーラム(WEF)の年次総会、いわゆる「ダボス会議」が開催されており、土曜日にはクルーグマンやポーターなどのビッグ・ネームも参加して日本経済に関するセッションが開催され、新聞各紙もその模様を報道した。 ここでもまた、日経の報道は異彩を放った。27日の朝刊では、「日本病 議論に徒労感」という見出しを打ったほか、「『失われた十年』を超えても直らない日本病」などと「日本病」を連発している。WEFの共同議長である野村ホールディングスの氏家社長のインタビューでは、氏家氏の発言の中にも「日本病」という語が出てくる。 ところが、きょう(28日)の報道までふくめてみても、他の主要各紙の報道では、「日本病」ということばは一切出てこない。WEFのウェブサイトで議論のサマリーが公開されているが、そこにも、日経肝煎りの「nipponensis」はもとより、disease、sick、illなどの「病気」をさすことばは出てこない(もっとも、このサマリーはかなり短いものだが)。どうやら、セッションでは「日本病」などということばは出なかったのではないか。もちろん、記事にするにあたってはいろいろなことばを使うだろうが、それにしても使われてもいないことばをあたかもキーワードとして使われたかのような印象を与えるような書き方はいかがなものかと思う。 氏家氏の発言にしても、きょうの朝日新聞が報じたインタビュー記事には「日本病」ということばは出てこない。内容も日経と朝日ではかなり異なっているので、同じインタビューではないのかもしれないが、それにしても氏家氏がみずから「日本病」と言ったのかどうかははなはだ怪しい。あるいは記者からの誘導で云ったのかもしれないが・・・。 ■2003/01/24 (金) なんでもかんでも日本病 今朝の日経では、長期金利低下の解説記事で「日本病を断つ」が復活していた。随時、日本の良くない話に「日本病を断つ」のロゴをつけて宣伝する方針のようで、そういえば「2020年からの警告」もそうだった。記事も意識的に「日本病」ということばをつかっている。日経出入りの評論家たちがどのくらい追随するのか見ものである。 さて今日の記事だが、まず書いておくが金融・財政政策の総動員と、規制緩和(とは明記していないが)によるサービス分野の成長促進という結論には大賛成だ。成長をはじめる分野が出てくれば自然にヒトも動く。 ただ、記事の中味はちょっとどうかなという部分が多い。特に変なのが「日本病」ということばを無理して使おうとしていることだ。記事は「将来の期待成長率が下がり、デフレ脱却の見通しが立ちにくい」のが「日本病」だと述べ、上記の施策が「日本病克服の」手立てだという。しかし、サービス分野が仮に新しい成長産業となったとして、それで期待成長率が4〜5%という安定成長時代の水準に戻るのだろうか?少なくとも私の理解では、仮に規制緩和などで新産業が興ったとしても、期待成長率は2〜3%とう見方が世間の大勢ではないかと思う。だとすると、日経流にいえば「期待成長率の低下という日本病」は克服できないではないか。そもそも、経済の「成熟」を「病気」だと主張することが間違っていないか。毎年3cmずつ身長が伸びていた子どもが、高校生になって1cmくらいしか伸びなくなったのを「病気だ」と騒いでいるようなものだ。しかも、文中では「慢性的な景気低迷とデフレを伴う日本病」という表現まで出てくる。デフレ脱却の見通しが立ちにくいのが日本病だと云っているのだから、デフレを伴うのは当たり前のはずで、要するに考えて言葉を使っていないのだ。まあ、おかしな言葉を無理やりに使わなければならない記者には同情するが・・・。 もうひとつ、低金利なのに企業が投資に動かず、資金を借り入れ返済にあてているのがけしからん、という論調が出てくるが、これまで日経自身がさんざん「選択と集中」を推奨してきたことや、株主価値とかROEとかを言い募ってきたこととの整合性はどうなっているのだろうか。多少の自己批判はあってもいいと思うのだが・・・。 ■2003/01/23 (木) ネタをくれる会社が「よい会社」 今日の日経は珍しく社説で労働マターをとりあげた。いわく「許せぬサービス残業の横行」という。内容的には、要するに労働基準法違反だからけしからん、ということにとどまっており、裁量労働の問題にもアリバイづくり程度に触れただけで、サービス残業が起こるメカニズムやなくすための手法についての分析や提案は何もない(連合と経済団体に「やれ」といっているだけ)という、いたって幼稚な内容である。これでは社説に取り上げても無意味だ。まずは、日経新聞ご自身がサービス残業を撲滅に取り組んでみてはいかがか。それを通じて多くの知見が得られ、この社説が恥ずかしくなるに違いない。 1面連載特集の「ザ・ディスクロージャー」もどんなものかと思う。企業買収が不成功だった事例を持ち出して、そのいきさつなどが公開されていない、と書いているのだが、そもそも買収決定や買収交渉の過程を公表しなかったことと、買収の結果が不振に終わったこととは無関係である(少なくとも、記事には因果関係の説明はない)。合併後のビジネスの見通しには当然リスクがつきまとうわけで、そのリスクが表面化しただけに過ぎない。投資家に対しては、どのような考え方でどのように買収するかといった情報は当然公開されているわけで、それをみれば投資の判断はできるはずだ。その経営判断をめぐって誰がどのような意見を述べたかなどといったことは、リアルタイムで公開することは到底できない(記事にもあるとおり、企業買収には競争相手がいることも多いのだから、簡単に手の内を明かすわけにはいかない)し、後付けで公開されたところで投資判断の役には立たないはずだ。日経は守秘義務契約が気に入らないようだが、買収交渉のような高度な経営事項については守秘が確保されなければとても交渉できないだろう。 マスコミにしてみれば、内部事情まで詳しく公開させて、面白おかしく書きたいという気持ちは当然あるだろうし、それが彼らにとっては「よい会社」かもしれない。しかし、それが普遍的な「よい会社」の必要条件であると主張するのは、マスコミにありがちな倣岸な優越感の現われにしか見えない。 ■2003/01/21 (火) 悪い奴は誰だ 「日本病を断つ」にかわって、「大上海」と「ディスクロージャー」という特集がはじまるらしい。 まず今日の1面の「ディスクロージャー」だが、読み始めていきなり「日本病」のときに劣らぬ衝撃をうけた。インターネットでの株式売買で生計を立てる「Aさん」は、匿名のネット掲示板で「あの会社が業績を下方修正するらしい」などとの書き込みを見ると、真偽を確認するまでもなくすぐに売りを出し、値下がりすると買い戻して利益をあげるのだという。その間わずか十分ということも珍しくないとか。 こういう話を聞いて嫌悪感を覚えるのが常識的で健康な感覚だと思うが、日経は「個人の株取引に占めるネット投資家の割合は五割を超え、いまや市場の主役」だと美化し、正当化しようとする。実際には日本の株取引にしめる個人の割合は小さなものだから、その5割などといってもおよそ「主役」などとはいえないのだが。 まあ、日経を読む人はこういう話が好きなのかもしれないから、それにあわせているつもりなのかもしれない。しかし、それ以上に大問題なのは、この「Aさん」なる人物が、自分で匿名のネット掲示板に書き込みをしていないという保証はどこにもないことだ(というか、たぶんやっているだろう)。 価値観の相違といってしまえばそれきりかもしれないが、しかし、日本人が、あるいは人類がすべてネット投資で生きていけるわけではないことは明らかだ。さらにいえば、こうしたネット投資家がトータルで社会や人類に有益な貢献をなしているとはとても思えない。それを美化し、正当化し、その利益を代表することがいやしくもマスコミたるものの取るべき態度であるとは私には考えられない。恥を知ってほしいものだ。必要なのは企業情報の公開以上に不透明な取引で利を貪る投資家の情報公開のほうではないか。 なお、「大上海」については、日本ダメだ論の裏返しで無邪気な中国礼賛論にならないことを期待したい。上海の浦東新区の開発については、中国国内でもその成否を疑問視する声が強く、日経が礼賛するインセンティブ競争も過剰供給ゆえという部分は否定できなくなっているのだという。数年前の日経の中国特集は、文革期の朝日の中国礼賛論を思い出させるものだったが、同じ轍をふまないでほしいものだ。 ■2003/01/20 (月) このまま終わってもらいたい 18日(土)に掲載された第15回で、「日本病を断つ」は一応終了ということになったようだ。第二部があるのかどうかわからないが、できればこのまま静かに終わってほしいものだ。 今回は、「日本病」の病根は「画一教育」「リスク過敏」「政府衰弱」だ、という見出しが出ている。画一教育については、低きにあわせる画一性の批判という限りでは正論と思う。「政府の衰弱」も、政府がどんな仕事を担うべきか、ということが合理的に決められていない、決めることができない、という意味であればそのとおりだと思う。 これらに対し、「リスク過敏」というのは、どうしても理解できない。経済活動にはリスクはつきものであり、リスクとリターンを考慮して判断するのが合理的な姿勢だろう。これは当然、成功の確率と得られる利益だけではなく、失敗の確率と受けるダメージをふくめて判断される。この判断において、日本が特別に不合理であることの証拠はどこにもない。株価が値下がりを続けているときには株を買わないというのは理にかなっている。これほどの不景気のときに開業すれば失敗する可能性が高いから開業しない。これも普通の考え方だ。今よりいい勤め先がみつかりそうもないから、不満はあっても今の仕事を続ける。当然のことだ。ところが日経は、日本人は株を買わない、独立開業しない、転職しないからリスク過敏だという。自分が得するために他人に損をしろというのはまことに卑しい精神であり、軽蔑を禁じえない(したがって、リスク軽減こそが大切なのだ)。 その点、家族の扶養責任が軽く、体力にまさる若い世代はリスク負担力がある。生計費が別途確保された上で行われ、利益をあげて金利を支払う必要のないNPOはリスクが小さいに決まっている。こういうものをあげて「リスク過敏症からの復調」などというのは理屈にあわない。 また、「不良債権化して今も塩漬け状態になっている雑居ビルが多い」なかで、「昨春、ビルを買い取った」ある不動産会社が、若手だけに「改修からテナント募集までを任せた」ことで成功した、という事例をひいているが、最大の問題点は、塩漬け状態のビルを後腐れなく「買う」ことが難しいことなのであり、その後に「コンクリートむき出しに」しようがどうしようが、それが本質ではないのだ。 やはり、本質無視の「日経病むき出し」の特集は終わってもらいたい。 ■2003/01/16 (木) 本旨を埋没させてもいいたい悪口 「なにをいいたいかわからない」というのは、「日経病」のよく見かける症状だ。 今日の「日本病を断つ」も、なにをいいたいのか今ひとつわからない。まず鉄腕アトムの話、次にフィリピン人看護師の話があり、外資導入の話があり、そのあとがアジア諸国の話になる。見出しも「成長アジアの重みを悟る」となっているので、成長著しいアジア諸国との経済的関係を大切にしよう、ということなのだろう。具体的には統一通貨とFTAだということなら、それは大いにけっこうな話ではないか。それならそうとはっきり言えばいい。アジアは成長していて有望な市場だから、経済的関係強化が必要だ。具体的には統一通貨やFTAを推進すべきだ。幸い塩爺とマハティールは意気投合した。FTAをやるためには農業問題への取り組みが必要だ。さあやろう。こう書いてくれればよくわかる。 ところが、「経済格差が縮小」という一方で、中国の安い人件費でアニメを作るとかフィリピン人の安い看護師を入れるとか云っている。かと思うと、「首相は日本のセールスマン」「自国を売り込む外交」でアジアから?対日直接投資を呼び込め、という話が出てきたりする(まあ、シンガポールや香港の資本は入ってきているが…)から話がわからなくなる。要するに、「日本はダメだ」ということを言いたいという気持ちが強すぎるから、本筋に関係ない悪口が入り込んでしまうのだろう。 もう一つ、フィリピンのアロヨ大統領に言われて小泉首相が「看護師の受け入れを検討する」と答えたのに、厚生労働省が冷淡なのはけしからん、と言っているが、首相が「検討する」と言ったことがすなわち政策が正しいという根拠にはならない。厚生労働省の判断の方が根拠があるかもしれない。首相の発言に是々非々で論評するのは当然で、日経も国債30兆円枠には批判的なのだから、フィリピン人看護師も「首相が言ったから」では根拠にならないことはわかりきっているはずなのだが。 ところで、私はこの記事の「10万馬力のロボットが中国で復活。市場の融合は進む」という見出しを真に受けて、「中国が10万馬力のロボットを作ったのか!」と一瞬驚愕してしまった(笑)。鉄腕アトムのことだったのだが、自動車用エンジンがせいぜい200馬力というところだから、10万馬力というと凄いことになる。まあ、どうでもいいことだが。 ■2003/01/15 (水) 編集が歪めている部分もあると思う 今日は「日本病」はお休みらしく、他のネタもなさそうなので、きのうの5面の「日本病を断つ特別編」についてコメントしたい。 早大ラグビー部監督の清宮氏の発言は、大学ラグビー部ならばそのとおりなのだろうと思う。「成功はほんの一部」とはずいぶん正直だが、失敗したところで財産を失うわけでも生活に困窮するわけでもないからそれでいいわけで、要するにリスクが低いのだ。スポーツクラブと国家・社会を同一視できないことはいうまでもない。 オフィス北野社長の森氏の発言は誇張が目立つ。そもそも逆輸入はおおいにけっこうなことで、日本に限ったことではなかろう。「日本は『いつも』海外のフィルターを通して評価」というが、たまたま北野氏がそうだったからといって「いつも」というのは乱暴だ。具体例としてあげられている野茂投手にしても、渡米前にすでに日本を代表する投手という評価を受けていたはずだ。 ザ・アールの奥谷社長の記事はおおむねもっともなのだが、一部の事実誤認がはなはだしい。これだけ非正規の割合が高くなったいま、どこの企業が「正社員か失業か」という二者択一の考えを持っているだろうか。あるいは「解雇ルールを明確に」というが、すでに解雇ルールは存在するし、かなり明確でもある。規制緩和を規制(ルール)の明確化とすりかえてはならない。また、「能力を売るのが労働者」だとしたら、「企業から自立」することは非常にむずかしいはずである(まあ、「理想」と言ってはいるが)。 漫画家の広兼氏は、前半では非常にいいことを言っている。出世だけがすべてではないとの意見もうなづけるものだ。残念なのは、「年下の上司が嫌なら自分で会社を起こすべきだ」とシバイてしまっていること。普通の人は嫌でも我慢して働いて、仕事以外に人それぞれの生活を見出すのであり、そういう生き方にエールを送ってほしかった。 なお、横浜市長の中田氏と森ビル社長の森氏の意見はそれぞれもっともだと思う。 ■2003/01/14 (火) 無償経済を支えるものは まず書いておくが(笑)、今日の日経1面の「日本病を断つ」はなかなかいい内容だと思う(5面の特集は別として)。見出しのように「無償経済が停滞打ち破る」かどうかは別として、日経のいわゆる無償経済、公共性の一部を担う非営利部門の育成は日本の大きな課題だと思うし、記事が紹介しているような動きが広がっていることはとてもいいことだと思う。 ただ、忘れてはいけないのは、こうした非営利部門の担い手が現われるためには、それなりの経済的な裏付けが必要だ、ということだ。長期雇用や生計費賃金、あるいは老齢厚生年金の支えがあればこそ、多くの人が「無償で」非営利部門への参画する余地が出てくるのである。したがって、日経が常々主張している首切り・賃下げ路線と、今日の記事のような「無償経済」とは両立しにくいはずだ。自分が食っていくための仕事がボランティアより優先するのは当然だし、いつクビになるかわからない状態では、呑気に「無償経済」にかかわってもいられないはずだからだ。 しかも、今日の5面の「日本病を断つ特別編」では、例によって終身雇用と年功序列をあげつらっているのだからまったくもって矛盾している。まさにいいとこどり、都合のいいところをつまみ食いする「日経病」である。 現実には、人々を雇用し、賃金を支払って非営利活動を行うという意味での「有償の」NPOもあわせて充実していく必要があると思う。こうした公共性、相互扶助の担い手が有償無償あわせて確立され、リスクが分散されるしくみが整うことで、人々の経済活動や社会活動が活性化していく可能性は高いと思う。 相変わらずの強引なこじつけもある。長野県の泰阜村が助役や議員を削減したという例をひいて、それを国にムリヤリあてはめて、「机上の計算だが」とのエクスキューズつきで「小さな村の大きな決断に国はついていけない」と批判する。もちろん、国の行革の遅れは大問題だ。しかし、小さな組織の方が小回りが利くのはあたりまえだし、そもそも本質的な問題は、人口2300人の泰阜村が助役を持ち、12人の議員を持っていたという非効率ではないだろうか。そうした点を無視して、国の対応が悪いと非難するのは不合理であり、かえって説得力を失うように思う。 |