■2003/02/28 (金) 市場の相手もたいへんだ

 今日からまた「ザ・ディスクロージャー」の特集がはじまった。今回は「真のグループ力」だそうだ。
 出てくるのが東急電鉄の事例だ。東急電鉄グループは連結決算と別に、連結対象とならない企業も含めた「系列決算」というものを作成しているのだそうだ。そのきっかけは90年代後半に系列企業の経営悪化が相次いだため格付け会社が東急の格付けを一気に四ランク下げたということらしい。そこで東急は系列決算を発表するようになり、その結果、「開示前に200円台まで下げた株価はその後、一時は800円近くまで持ち直した」という。
 「開示前に200円台」で「開示後に800円近く」といわれると、いかにも系列決算で株価が上がったように見える。しかし、現在の東急の株価は390円というところで、800円近くを維持できているわけではない。しかも、200円台というのは、日経も書いているように「一気に四ランク」格下げされて低落した最低の価格だ。現在まで見れば、現実には系列決算開示の前後で、東急の株価は300円台であまり変わっていないのであり、200円台と800円近くの比較は明らかにミスリーディングだ。系列決算なるものを作るのにどれほどの手間がかかるかは知らないが、システム対応なども含めて並大抵の手数ではあるまい。それで一時的に株価が上がったにしても(日経もアナリストの談をひいて「市場をなだめるのに役立った」と書いているくらいだ)、それが維持できているわけではない。逆に、手間がかかりすぎるということで系列決算をやめたら、それこそそれが材料にされて株価が下がるだろう。一度やりはじめてしまったら二度とやめられなくなるわけで、おそらく、東急の関係者は、バカなことをはじめてしまったものだと後悔しているのではあるまいか。
 そもそも、問題とされるべきなのは、「一気に四ランク」格下げした格付け会社の方ではないのか。ランクというものは、それなりに科学的な根拠をもって分類できるだけの数になっていなければ意味がない。それを「一気に四ランク」も変動させるということは、従来の格付けがいかに大きく誤ったものであったかを示しているだろう。そのせいでテマヒマかかる新しい仕事が増えてしまったのだから、東急はむしろ格付け会社のずさんな格付けの被害者ではないのかという気さえする。

■2003/02/26 (水) デタラメアンケートのデタラメ記事

 今朝の日経は一面トップで「定昇・ベア『存続』2割」と大々的に報じた。日経新聞が実施した「社長100人アンケート」の結果であるという。
 この記事については、「労働掲示板」でも、常連のsaturn16GSR氏から次のような疑義が提示されている。
◆「定昇存続」を選んだ人は「2003年度以降も現行の定昇を維持」という人のみであり、それが2割近いのはむしろ高率
◆「廃止」と「見直し」を一括りにした選択肢では高率に出るのは当然。また、定昇の見直しはその方法・方向・程度などが重要であり、廃止とひとくくりにするのは不適切
◆ベアは定昇(制度)のように制度として規定されているものではないため、それを「廃止」というのは意味不明
 いずれももっともな指摘だと思う。要するに、日経は賃金制度や労使交渉についてほとんど理解できていないのだ。しかも、これを1面トップに持ってくるというのには、定昇やベアがなくなる方向に世論を誘導しようという意図がありありと見える。
 それにしても「ベアを廃止」などといった不思議な回答が4割もあったのも不思議ではある。これは、このアンケートを誰が記入しているか、という問題だろう。 「社長100人アンケート」と銘打ってはいるが、12面に記載された回答者名を見ると超多忙と思われる経営トップばかりで、まずご本人が書いているということはあるまい。しかも、このアンケートは景気認識や金融政策などについても質問しているので、おそらくは秘書役などのスタッフが書いていることがほとんどだろう。となると、賃金制度などについての詳細な知識なしに、「去年ベアゼロだったから、ベアは廃止だな」という回答をしているケースも多いだろう。もちろん、設問によって人事部や調査部などに回送することもあるだろうから、そういうケースでは、人事部長が答えようがなく「その他」を選択していることも多いのではないか。自由回答欄(があるかどうか知らないが)に「設問の意味がわからない」という記入がどのくらいあったのか知りたいものだ。
 さらにもう一つ、「▼定昇・ベア」という用語解説がまたデタラメだ。これではすべての企業の全部の賃金が賃金表で決められているかのような誤解を与える。しかも、ここで一昨日(2つ下)書いた去年の日経の解説とも符合しない。
 saturn16GSR氏もいうとおり、マスコミとしての良心が疑われる記事だと思う。

■2003/02/25 (火) 面白い記事とは思う

 この日曜日から再開した「日本病を断つ」、まずは「特区攻防」上中下が3回シリーズで掲載された。内容的には構造改革特区をめぐる規制緩和に抵抗する官僚の姿勢への批判が中心となっており、官僚機構の硬直性と独善が日経のいわゆる「日本病」の根源だと主張している。
 全体にはかなりもっともな内容であるように思う。そのうえで細かいことをいえば、「上」で地方の特区提案に対する中央官庁の回答が「現行規制のもとでも対応可能」が三割であり、「『自由の領域』を続々と浮かび上がらせている」というのはいささか能天気な感がある」と書いているのは若干能天気な感がある。なぜなら、その三割の中には事実上の拒絶も含まれているからだ。たとえば「民宿などでのどぶろくの製造・(宿泊客への)販売の解禁」に対する財務省の回答は「民宿などの零細な製造では採算が悪いので、酒造免許を持つ業者に生産を委託すればよい」から現行規制で対応可能というものだが、これではそれぞれの民宿が独自に作ったどぶろくの提供を売り物にしたい、という提案の意図はまったく実現しない(しかも、この「どぶろく」の事例は「中」で引かれているのだから解せない。まあ、書き手が違うのだろうから致し方ないのかもしれないが…)。
 さて、この3回で「日本病」ということばが4回登場するようだ。「古いシステムに執着し、新時代への一歩を踏み出そうとしない日本病」「官僚機構の硬直性は日本病のやっかいな病根」「(地方の改革の試みを)日本病克服の原動力に」「改革に背を向けようとする日本病」という4回だ。しかし、最初のフレーズは、「地方や民間を中央官僚が押し戻す。古いシステムに執着し、新時代への一歩を踏み出そうとしない日本病」とつながっている。「日本病」ということばを無理やりに使おうという努力は涙ぐましいが、率直にいってこんな珍妙なことばは使わないほうがはるかにわかりやすい。今回の記事の趣旨なら「官僚病」の方がはるかにふさわしいだろう。
 まあ、地方や民間にも別にいろいろ問題があり、全体として「日本病」だ、という趣旨なのかもしれないが、それなら、どこにも問題がない状態など考えられないのだから、常時「日本病」だ、ということになる。日本以上に重度の「○○病」の国も少なくあるまい。使っちゃいけないというつもりはないが、無理やり使うのはおやめになってはいかがかと思う。

■2003/02/24 (月) そもそも春闘とは??????

 きのうから「日本病を断つ」が再開しているが、まずはきのうの朝刊の「サンデー日経」の「そもそもQ」について触れてみたい。
 「そもそも、春闘とは何ですか?」が「そもそもQ」で、記事はいきなり「『春季生活闘争』の略です」という「A」で始まっている。うーん、まあ、現時点での回答ということなら(新聞なのだからそれでいいと思う)、一応は正解といえるのかもしれない。ただし、これが正確に正解なのは連合の内部だけだ。「春季生活闘争」ということばは62年に民間連合が1988年に使い出したもので、共産党系の全労連などはいまだに「国民生活春闘」といっている。時事用語の解説なので目くじらを立てるほどのことではないかもしれないが、少なくとも公平な解説ではないし、「経済専門紙」らしい解説とも思えない(特に、記事はその後延々と春闘の歴史を述べているのだからなおさらだ)。ちなみに日経連政策調査局編「改訂新版人事・労務用語辞典」には「春季(賃金)闘争の略」という「正解」が載っている。
 それはまだいい。しかし、「多くが固定的な経費増につながるベアや定昇に二の足を踏み始めている」とはなんだろう。定昇は原則として経費増につながらない、というのは労使が共有している認識のはずだ。そもそも、日経新聞自身が、昨年2月26日の「きょうのことば」で「定昇はその年に退職した従業員の賃金を原資にするため、ベアゼロで賃上げを定昇のみにとどめれば原則として企業の総人件費は前の年と同じになる。逆にベアを実施すれば固定費が増えることになる」と解説しているではないか。まさか、「経費増につながる」は「ベア」だけにかかる、などとは云わないだろうな。
 もちろん、個別企業の労務構成によっては定昇だけでも人件費が増えることはある(減ることもある)。限られたスペースではそこまで説明できなかったということかもしれないが、率直に申しあげてオソマツな記事だと思う。

■2003/02/21 (金) 読者を欺くカラクリ

 今朝の日経新聞の企業財務欄に、「米国型の企業統治『委員会等設置会社』来年度中の導入 企業の3割検討」という見出しの記事があった。記事本文も「三割の企業が2003年度中の『委員会等設置会社』導入を決めたか検討中であることがわかった」と書いている。
 日経新聞は委員会等設置会社の新設の動きをリードしたという自負があるようで、非常に熱心に委員会等設置会社を賞賛、奨励しているが、今回も喜色満面で書いているという印象だ。
 それにしても3割というのは実感をかけはなれた大きな数字なので、ホンマかいなという感じだが、案の定カラクリがあった。
 この数値は、「日本取締役協会が会員企業を対象とした調査」なのだ。日本取締役協会というのは、米国型企業統治の熱狂的支持者であるオリックスの宮内義彦会長が、コーポレート・ガバナンスを中心的関心事項として設立した団体だ。協会のホームページには、「設立の背景と目的」として「半世紀ぶりの大改正といわれる商法改正の中心課題も、経営監督者としての社外取締役の役割強化にあり、執行役員の法定化と大幅な権限委譲にあります。そこで、新しい時代の企業経営を担う取締役の機能を確立し普及させるとともに、社外取締役の人材供給の安定化と一層の能力向上を促進するために、私たちは日本取締役協会を創立することにいたしました」と明記されている。要するに、委員会等設置会社に特に関心の深い経営者を集めて作った団体なのだ。したがって会員はわずか140人にとどまっており、さらに、そのうち回答を寄せたのは83人にすぎない。くわえて、調査の内容や団体の性格から考えて、委員会等設置会社に前向きな人ほど回答する可能性が高いだろう。そう考えれば、「導入する・導入を検討する」という回答が多くなるのは当たり前で、むしろ「導入」が5%、「検討中」すら28%というのは、むしろ低すぎて驚くべき数字ではないのか。
 日経は協会設立時にもちょうちん記事を書いていたのだから、協会の内容を知らないわけがない。にもかかわらず、あたかもすべての企業の3割が委員会等設置会社を検討しているかのような書き方をしているのは、意図的に読者を欺こうとしているとしか考えられない。犯罪的な蛮行というべきものだと思うが、どうだろうか。

■2003/02/19 (水) すべてがこうではないと祈りたい

 さらに続けて2月17日付の社説をとりあげたい。
 最後の部分は、もはやおかしいを通り越して支離滅裂に近い。大企業の中高年サラリーマンの賃金が社外の労働市場の相場とかけ離れていることは事実だろうが、「このため企業は賃金の調整に躍起になっている」とはどういうことだろう。まあ、レトリックとして「賃金は市場価格にあわせる」とかいう経営者はいるかもしれない。しかし、いま企業が賃金水準を調整するのはなにより売り上げや利益に較べて人件費が過大だという経営上の都合であって、労働市場にあわせるためではないだろう。
 そして、結論は、「究極的には、企業を超えて労働市場で決まる賃金にリンクする形に向かわざるを得ない」ということらしい。
 根拠となるべき前段の議論が混乱と錯誤に終始して根拠となっていないことは別としても、なおかつまことにもって面妖きわまりない結論だ。第一に、企業を超えて労働市場で決まる以上は、少なくとも企業の業績によって賃金が決まるということはなくなるということだろう。これは一面では究極の横並びであり、その面では左翼系労組の主張とも大いに通じるものであるが、それでいいという企業はほとんどあるまい。
 第二に、企業特殊的な能力を正当に評価すれば、賃金は外部労働市場の相場を上回るのがむしろ当然である。これを無視すると、ひいては長期的な人材活用や人材育成も困難になる可能性が高い。日経がこれが嫌いなのは勝手だが、企業が日経と同じ考えかどうかは大いに疑問だ(というか、同じでないから日経はいらだっているのだろう)。
 第三に、こうしたことを考えると、市場の相場をかけはなれて見える現状の賃金決定も、それなりに「企業を超えて労働市場で決まる賃金にリンク」している。春闘賃上げ率が有効求人倍率とよく相関していることは広く知られているが、実際人手不足で外部労働市場で相場が上がるときは、初任給だけでなく賃上げ率も高くなる。逆も概ね言えているだろう(賃金の下方硬直性は生きているので、賃下げにはなかなかならないが)。
 結局のところ、無理な結論を強引に導こうとして、世間でいわれている議論の中からそれらしいものをつないで体裁をつけようとした、というところなのだろう。まさかすべての社説がこうだということはないと思いたいが・・・。

■2003/02/18 (火) まだまだあるぞおかしな記述

 今日も引き続ききのうの朝刊の社説をとりあげる。「定昇」の意味が混乱しているほかにも、おかしな記述が多々あるからだ。
 たとえば社説は、「高度成長期に根づいた賃金の常識はここ数年の間に次々と崩れた。賃金は下がらないという『下方硬直性』は今や死語である。『ベースアップ』も連合の要求基準から消えた」などと述べる。死語うんぬんはレトリックとしても、賃金の下方硬直性が高度成長期に根づいた常識だというのはかなり疑わしい。一般的には高度成長期以前にも賃金の下方硬直性が見られるというのが通説だと思う(いっぽうで本当に日本で賃金の下方硬直性が見られるかどうかは未検証だという説もあるという)。
 「定昇はもともと経営側が作り出したものである。毎年昇給させるのは労働者に企業への帰属意識を植え付けて定着させるためだ」というのも、「もともと」と歴史的経緯として述べるならおかしい。もちろん、定着を促すことは定昇制度(というか、後払い的な賃金制度)の大きな目的のひとつだし、当初からその意図もあっただろうが、それにしても定昇制度導入当初の最大の目的は「労組のベースアップ闘争への対抗」であるからだ。
 「(同一産別でも)同業他社の同じ年齢、職種の賃金は分からないのが普通である。企業別に分断されていて、春闘の時だけ手を組んでベアを金額や引き上げ率で便宜的にそろえてきたのだ」との記述は、実は前後となんの脈絡もなく、この段落自体が不要なのだが、事実としても民間の賃上げ要求はかなり長いあいだ「定昇込みの率要求」が相当割合を占めていて、「ベアをそろえてきた」と断言できるかどうかは疑わしい。
 続けて「定昇プラスベアによる全社一律の賃上げはもはや維持できない」という。企業内の賃上げが一律かどうかというのは、どの程度で「一律」というかという問題だからまあいいとしても、「前提となっていた終身雇用慣行」というのはどういうことだろう。賃金カーブは人がいれかわっても描けるから、終身(長期)雇用でなくても定昇相当分は存在する。したがって終身(長期)雇用を「定昇プラスベア」の「前提」というのはおかしい。おそらくは終身(長期)雇用を否定したいという切実な(笑)気持ちゆえに筆が走ってしまったのだろう。

■2003/02/17 (月) 「定昇改革」を論じたいなら

 きょうの日経新聞は、社説で「定昇改革」をとりあげた。通常社説は1日2テーマだが、今日はこのテーマひとつで全スペースを使うという力のいれようだ。ところが、その内容がさっぱり理解できない。
 それもそのはずで、根本的な部分に混乱がある。春闘で労組がいう「定昇」、すなわち「賃金カーブ維持分」と、賃金制度の設計などでいわれる「定昇」、すなわち「賃金制度上(労働協約上)自動的に昇給する分」とはまったく意味が異なるので、きちんと区別して使わなければならない(ここでは便宜的に前者を「定昇相当分」後者を「定昇制度」と書くことにしよう)。ところが、日経の社説はこのふたつがみごとに混同されている。
 たとえば、「定期昇給分の確保などの要求が主要な労働組合から出ているが…定昇の全廃、圧縮、さらには賃金引き下げなどの動きが早くも相次いでいる」などと書いている。この中で、「定昇の全廃」の「定昇」はまず定昇制度である。「定昇を圧縮」の「定昇」はどちらか悩ましい。賃金制度を変更して圧縮するなら「定昇制度」だし、賃金制度の枠組みを変えずにテーブルを書きかえて定昇を圧縮するのであれば、これはベースダウンの配分の問題にすぎず、「定昇相当分」になるだろう。また、そのあとに労務行政研究所のアンケートを引用して「経営側の六割強は定昇について『見直し、縮小、廃止』を実施すると答えている」と書いているが、ここの「定昇」は明らかに「定昇制度」であり、これを春闘のベアゼロと結びつけて論じるのはおかしい。
 さらに社説は、「一口に定昇と言っても仕組みは企業によって様々である。賃金制度がばらばらなので…」と言っているが、この「定昇」は文脈からして「定昇制度」のことだろう。ところがこの記述は「この定昇プラスベアによる全社一律の賃上げはもはや維持できない」と続いている。「定昇プラスベア」という以上、この定昇は定昇相当分でなければおかしい。
 たしかにこれは賃金管理の技術論で、紛らわしい話ではあろう。しかし、だからといって社説の混乱を正当化する理由にはならないだろう。もちろん、論説委員がこうした細部の技術論を知悉していなければならないとまではいえないが、せめて誰かにチェックしてもらうくらいのことはしてもいいのではないか。別に外部の立派な専門家に聞くまでのことはなく、日経の人事部で賃金担当者に聞けばいいだけの話なのだが。

■2003/02/06 (木) 形から入ることも大切だが

 このところ、日経新聞は「委員会等設置会社」にいたくご執心の様子である。ソニーが移行を決めたのを一面で大々的に報じたのをはじめ、解説記事や社説と、ちょっとしたキャンペーンの様相を呈している。論調もほぼ手放しに近い礼賛という感じだ。要するに、「市場重視」「投資家重視」で「コーポレート・ガバナンスを強化」しているからすばらしい、ということらしい。
 もちろん、企業統治の強化は結構なことだし、今回委員会等設置会社を認めた商法改正の趣旨も、基本的には従来型の取締役・監査役会の機能不全や弊害に対する問題意識からであるので、これを活用して経営の改善をはかろうというのは立派な考え方であることも間違いない。移行を決めた各社の取り組みは多とすべきであろう。
 しかし、あたかも委員長等設置会社への移行が企業統治強化であり、移行しないことが強化ではないという一面的な発想はいかがなものだろうか。今日の社説をみても、最後に形ばかり「監査役制度を強化するという選択肢もある」とアリバイを作ってはいるが、基本的には委員長等設置会社のPRになっている。
 現実には、大切なのは企業統治をしっかりすることであって、委員会等設置会社への移行ではない。委員会等設置会社にしても、米国のように指名委員会や報酬委員会が(社外の)CEOのお友達ばかりになってしまったら意味がないし、むしろ執行役の権限が大きい(取締役会決議がいらなくなる事項が多い)ことからかえって企業統治が低下する危険性がある。また、日経もいうとおり、監査役制度にしても、本来の趣旨に立ってきちんと運営すれば企業統治の強化は可能である。
 ところが日経は、今日の社説でも「透明な経営を目指していることを形でも示す必要がある」と、企業統治の強化以上に体制の移行を重視している。本末転倒である。
 これは全くの憶測だが、日経としては移行する会社が増えることで社外取締役が増えることを歓迎しているのではないか。要するに、社外取締役になって稼ごうという一部のコンサルタントなど(新聞記者・論説委員も含まれるかもしれない)の利益を代表しているのではないかという気もしてしまう。邪推ではあろうが・・・。

■2003/02/03 (月) 特殊法人改革はどうした

 日経新聞は「政治家」という特集もスタートさせたようだ。「かくも長き不在」というサブタイトルで1、2と番号が振られているので、これまたいくつかに分けて波状連載していくのだろう。経済政策が思い通りにならないのは政治家のせいだということだろうか。
 実際問題、日本の政治のありさまには、日経ならずとももの申したい向きは多いに違いない(このコーナーでは日経の偏向や独善を批判しているが、すべてそうだというわけではない。日経の主張にはまともなものや的確な部分も多々ある)し、小生も大いに不満があるのは多くの国民諸氏と同様である。
 とはいえ、今日の「政治家」を読むと、いくらなんでも無節操なのではないか、という印象は禁じえない。たしかに、エネルギー資源の確保は国家的な重要課題で、トップ外交の必要な分野だ。それを官僚任せにしてきたことと、任された官僚のシステム的な問題のせいで、日本のそれがうまくいっていないことも事実だろう。それが政治家の怠慢のゆえである部分も大きいかもしれない。
 しかし、この記事を読む限り、あたかも石油公団は必要であるかのような印象を受けるし、サウジアラビアの要求した鉄道建設を蹴ったことでカフジ油田の利権を失ったことも誤り、失敗だったかのような書きぶりだ。しかし、これまでの日経の報道姿勢は、石油公団は廃止ないし民営化すべきだというものだったはずだ。サウジの鉄道にしても、その当時は建設すべきという立場はとっていなかったはずだ。
 もちろん、事情は変わったのだから、主張も変わってもかまわないが、いかにも結果論めいていて見苦しい印象がある。とりわけ、石油公団についての考え方などは、今現在の日経のほかの主張との一貫性、整合性は確保できているのだろうか。記者によって多少の主張の違いはあってもかまわないだろうが、これはかなり根本的な編集の大方針にかかわる問題であるように思われる。

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