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■2003/06/30 (月) はしゃぎすぎで見苦しい 週末の日経新聞から。先週は各社で株主総会が相次いで開催されたということで、日経も決算特集にあわせて総会関連の記事が多数掲載されている。まあ、量が多いのは日経新聞だから当然ではあるだろう。しかし、内容的にはいささか誇張が度を過ぎているように感じられる面が多々見受けられるように思う。 28日の朝刊3面には、編集委員の塩田宏之氏の解説記事が掲載されているが、「三十社以上が米国型に近い委員会等設置会社への移行を決議し、取締役や執行役の責任が現実の経営を通じて問われ始める」というのはなんなのだろう。これまでだってそれなりに取締役や執行役の責任は現実の経営を通じて問われていたのではなかろうか。米国型に近くなければ責任が問われていないといわんばかりの書き方もおかしい。 また、オリックスの宮内氏の言を借りて、米国型と非米国型の「制度間競争が始まる」というのだが、はたして米国型を採用した企業が「非米国型と競争している」などという意識を持っているのか(その逆もあるのか)。まあ、同業他社であればビジネスでは競争しているので、間接的な制度間競争といえるのかもしれないが、その意味ではむしろ業界内の横並びの方が目立つのではないのか。 「戦後日本の経営史上、企業統治(コーポレートガバナンス)改革の元年といえる」という表現も、あまりに大仰で笑える(しかも、見出しにまで使うはしゃぎようだ)。同じ日の読売新聞の見出しは「ジワリ『物言う株主』」という表現になっているが、こちらのほうが実態に近いだろう。 解説というには能天気にはしゃぎまわりすぎという印象があるのだが。 ■2003/06/24 (火) 二者択一ではなく両立が重要 ちょっと反則だが(笑)、今朝の日経産業新聞の記事を取り上げたい。1面に掲載された、企業統治をめぐる記事で、日経がご執心の「委員会等設置会社」に積極的な宮内義彦オリックス会長と、消極的な御手洗冨士夫キヤノン社長のインタビュー記事を並べて、「論争 日本の会社」と銘打っている。見出しは「米国型統治 是か非か」だ。 記事の最後に、軍配の絵を書いた編集部のコメントがあり、「二人の論議を突き詰めると、会社に距離をおく『部外者』と、会社の業務に精通した『部内者』のどちらが経営の監視役として適切か、という論点が浮かび上がる」とまとめている。 一見すると、きれいにまとまった感があるが、実はこの整理は理屈が通っていない。経営の監視役は会社に距離があるほうがいいし、同様に会社の業務に精通していたほうがいい。これは部外者だろうが部内者だろうが同じことだ。問題は、「会社に距離」と「業務に精通」が両立できるかどうかだ。 日経産業新聞は、これは両立しないという立場をとっている。そしてそれは、宮内氏の立場と同じだ。御手洗氏は、馴れ合いになる危険性は認めつつも、両立の可能性を否定していない。 結局のところ、双方のいずれかをとるかという選択で思考停止するのではなく、両立に努力することが大切なはずだ。部内者の監査役が経営者と馴れ合いにならないよう、監査役の規律を高める。部外者の社外取締役が業務に精通できるよう、企業は情報を提供し、社外取締役はしっかり勉強する。このどちらが優れているかは簡単には決められないし、おそらくケースバイケースで異なってくるのではないだろうか。 一見中立を装いつつ、その実一方に肩入れする。マスコミにはありがちな話だし、今回はなかなか巧妙でもあるが、しかし不見識であるに違いはあるまい。 ■2003/06/23 (月) 退職金が労基法違反?? 日曜日の日経新聞朝刊(日曜は朝刊しかないが)に、「経営の視点」というコラムがある。きのうは、編集委員の森一夫氏が、「役員退職金廃止は当然 従業員意識から脱皮を」との一文を寄せている。 その内容はともかくとして、その中に、「従業員の定年時の退職金は一般に賃金の後払いと考えられている。実は後払いは労働基準法違反だが、これが実態である」という記述が出てくる。なに!!?? まず、退職金は一般に賃金の後払いと考えられている、というが、これは二重の誤りを含んでいる。まず、同じ退職金でも、「それを支給するか否か、いかなる基準で支給するかがもっぱら使用者の裁量に委ねられているかぎりは、任意的恩恵的給付であって、賃金ではない」(菅野和夫(2002)「労働法第六版』弘文堂、211頁)。「一般に賃金」というのは誤りだろう。さらに、支給時期が退職金規程などで明示してあるなら、それはその定めに従って払うのが適正な時期であり、「後払い」ではない(たぶん、長期精算論と混同しているのだろう)。 さらに、「実は後払いは労働基準法違反だが」というのも、二重に間違っている。退職金を退職時に支払うことは、労働基準法違反ではない。これは労働基準法第24条2項に明示されている。また、「後払い」そのものも、たとえば前月の残業手当を月末に締めて翌月払う、といったことは普通に行われており、なんら労働基準法違反ではない(これまた、全額払いや毎月一定期日払いの原則と混同しているのだろう)。 そもそも、本当にこれが労働基準法違反なら、厚生労働省が長期間放置しているはずがないではないか。せめて、「最低賃金を守りましょう」「サービス残業はさせないように」などと同様、「退職金はやめましょう」(?)などといった啓発活動くらいはするはずだ。 それにしても幼稚というか、お粗末きわまりない間違いである。本筋とは関係ないのでいい加減に書き飛ばしたのだろうが、新聞全体の信頼性を低下させかねない間違いだと思う。 ■2003/06/20 (金) 再就職促進と流動化促進は違う 今朝の日経新聞は1面トップで雇用対策関連の助成金の統廃合による削減を報じた。雇用保険財政が逼迫するなか、失業者を雇用した場合に支給される雇入れ助成は、労働需要が冷え込む中で利用実績が低いため、これを縮小して支出を減らす一方、一部は早期再就職支援への助成金への転用することなどを検討しているということだが、例によって「保険財政の立て直しとともに雇用の流動化を促す」という一文がくっついている。「雇用の流動化」への日経の執念はすさまじいものがあるようだ。 まあ、噛みつくほどのことではないのかもしれないが、とはいえ、日経の記事にあるように、「失業者を雇い入れた企業への助成」から「離職者の早期再就職支援への助成」にシフトすることは、「雇用の流動化」につながることは考えにくい。離職と就職の双方が増加しているのでなければ、雇用の「流動化」とはいえないだろうが、このような助成金のシフトは、就職を増やして失業者を減らす効果はあるかもしれないが、離職を増やす効果はありそうもないからだ。たとえば、記事にもある「離職予定者の再就職を支援した事業主への助成金の拡充」を実施しても、離職者の再就職は増えるかもしれないが、離職予定者そのものが増えるとは思えない。 もっとも、助成金の見直しが雇用の流動化を促すことはありえないわけではない。たとえば、雇用調整助成金のような、現在雇用されている企業での雇用維持への助成制度を縮小し、再就職支援への助成を拡大すれば、少なくとも雇用の移動を促進する可能性はある。しかし、これはそもそも、対象が人員余剰が一時的なケースに限られているはずの雇用調整助成金を、余剰が一時的でないケースでも受給しているという実態を是正するものであって、流動化の促進が目的ではないはずだ。 日経としては同じことに見えているのかもしれないが、失業者の再就職を促進することと、「雇用の流動化を促す」ことは基本的に異なる(リクツをつけることはできるかもしれないが)。雇用対策の助成の統廃合も、その趣旨は基本的に前者(と財政の立て直し)のはずだ。 ■2003/06/19 (木) 産業インフラも他のアジア各国並みでいいのか 今日は特段のネタもなかったので、昨日(18日)の社説をとりあげたい。全欄を使って、政府税調の答申をとりあげている。「本格増税の前になすべきことは多い」としたうえで、歳出削減や不公平是正、あるいは経済活性化による税収増への努力や年金改革との調整を求めている。私は税制は素人だが、おおむね妥当な見解であると感じる。 ただ、最後に「法人減税、アジア視野に」として、「確かに法人課税の実効税率は」米独並みだが、「日本は中国などアジア諸国と企業の奪い合いになっている。それらの国々の低い法人課税をにらんで着実に引き下げていくべきではないか」というのには、若干の問題を感じる。 もちろん、経済の活力を高めるには企業活動の活性化が不可欠であり、そのためには税負担が重きに失しないことが重要であることはよくわかる。私自身も産業人のはしくれとして法人の税負担軽減を願うものである。しかし、国際比較をするのであれば、単に税率の水準のみを比較するのではなく、行政サービスの水準もあわせて比較すべきではないか。用役・用水の供給、交通機関の定時運行など物流網の整備、治安や産業平和の確保などの産業インフラのレベルと、税負担との関係で議論するのがスジではないかと思う。産業誘致に熱心なアジア諸国では、こうした面でも大幅な優遇策・優先策をとっていることが多いにしても、なお日本との差は大きいのではないか。それを無視して、低いにこしたことはない的に国際比較で引き下げを主張するのは、主張自体は有力なものであるとしても、根拠付けとしては弱いのではなかろうか。 社説は続けて、地方の自主課税に対する歯止めが必要であると主張するが、法人課税に関しては、むしろ地方の自主性を大幅に認めて、特色ある企業優遇税制を地方が競い合う方向に進めるのが好ましいのではないだろうか。 ■2003/06/18 (水) 解雇取消が流動化につながるという謎 いささか古いのだが、先週金曜日(13日)の日経夕刊は「労使紛争に和解制度、労組法改正、厚労省検討――審査短縮、早期解決促す」との見出しで、労組法の改正について報じている。内容は、労働委員会での不当労働行為救済手続きに時間がかかりすぎるということで、和解の制度化など迅速化のための見直しを行なうというものだが、なんと驚いたことに「労働者を早期に救済し、次の職場に移るなど『雇用の流動化を促す狙いもある』」というのだ。 いやはや、単に知らないだけなのか、わかっていての確信犯なのかはしらないが、不当労働行為で労働者を救済するということは、解雇などの不利益取り扱いを取り消すということなのだから、労働者は次の職場に移らなくてよくなるというのが基本なのであって、根本的なところで間違っている。 まあ、それでも、退職するかわりに解決金を払うといった和解が成立しやすくなるから職場を移りやすくなるという理屈もあるかもしれない。 とはいえ、記事にも「雇用情勢が厳しさを増すなか、2002年の労働委への申立件数は前年比15%増の400件近くに上り、増加傾向にある。」と書いてあるように、ここ10年以上、不当労働行為の労委への申立は300件台に過ぎない(また、「増加傾向にある」というが、足元はそうでも中期的に見れば減少傾向は明らかである)。そもそも申立がすべて解雇というわけではないし、いまどき労組員だからということだけで10人も20人もクビが飛ぶなどということは滅多にない。むしろ、解雇されてから一般労組に駆け込んで団交拒否で労委に持ち込むケースも多く、この場合は対象者は1人が普通だ。つまり、よほど高く見積もっても解雇の救済を申し立てているのは数百人オーダーにとどまるだろう。さらに、現実に和解で退職する人はその一部に過ぎない。一方で、通常の転職などによる労働移動は毎年300万人にのぼるのだから、そこに数百人が加わったところで、「雇用の流動化を促す」ことになるとは到底いえないだろう。 したがって、そもそもこの見直しを検討している労働省の研究会の「中間整理」をみても、「雇用の流動化を促す」などということはひとことも出てこない。 結論として、この「雇用の流動化を促す狙いもある。」というのはまったくのウソであろう。日経が雇用流動化にご執心なのは自由だが、だからウソを報道していいというものではないと思うのだが、違うだろうか。 ■2003/06/17 (火) 「集中と選択」路線の転換はけっこうだが 今朝の朝刊から、「企業興亡」という特集がはじまったようだ。「第一部では競争力に磨きをかけ、ライバルたちとの差を広げる『勝ち組』企業の強さの秘密に迫る」のだそうだ。 そこで最初に取り上げられたのが米IBMで、「総合経営で巻き返し」と見出しにある。「集中の経営」ではない、多様な事業を抱える総合力経営の米IBMの好調ぶりをレポートしたもので、日経が従来の「集中と選択」礼賛のリストラ路線を転換したのであれば、まことに結構なことである。 ところが、記事は米IBMが「個々の事業を徹底的に鍛え、その強さを他の事業にも波及させる。各事業の弱さを総合力で補おうとした日本の総合電機と一線を画す『強さの総合力』の追及だ」と、日本企業をこきおろすことも忘れない。しかし、日米の経済環境の極端な違いもあって、業績が好調と不調に分かれてはいるが、それを除けばどこに違いがあるのかは私にはさっぱりわからない。総合経営は、好調銘柄に一点張りする投資のような「集中と選択」の経営のもつ経営環境の変化に大きく左右されるリスクが軽減されるし、また、異分野の技術との融合がもたらすイノベーションの機会が増える。記事のはじめに延々と書かれている生産性向上の事例は、むしろ日本企業が先行しているはずだが、こうした優れたノウハウを複数事業に展開できることも総合経営の強みだ。こうした総合経営のメリットを追及しているという点においては、日本の総合電機もなんら変わりはないはずだ。それを業績の好不調だけを見て「一線を画す」などというのはおよそ科学的とはいいがたい。 もちろん、グローバルな巨大企業であるIBMには、総合経営云々とは関係なく、優れた経営ノウハウの蓄積があるだろう。しかし、日本企業との業績の違いは、米国の経済環境の良さや通商条件の有利さなどによる部分も大きいのではないか。であれば、経済環境や交易条件の改善を主張するのが本筋であって、単に日本企業を業績が悪いといって叩くだけではマスコミとしていかにも幼稚に過ぎるのではなかろうか(もっとも、日本の総合電機の経営者の中には、こうした社外の批判を合理化に利用しようというしたたかな意図もあるようなので、これはこれで一面の役にたっていることも事実ではあろうが)。 ■2003/06/16 (月) なにをそんなにムキになるやら きのうの日経新聞朝刊の1面トップは「米国型統治 まず36社」という記事だった。しかも、3面にも大々的な関係記事がある。内容は「6月末までに上場企業の36社が『委員会等設置会社』に移行する」というもので、「海外の投資家や消費者の声を踏まえ…経営の透明性を高めようとしている」「海外企業の関係者が社外取締役に就任して経営改革を急ぐ」などと委員会等設置会社をベタボメ・礼賛する一方、「代表取締役を取締役が監督するのは難しく、監査役の役割も形がい化しているという指摘もあるが、委員会等設置会社への移行を決めた企業はまだ少数派だ」と、監査役型を採用している企業は不見識だといわんばかりの書き方だ。 しかし、仮に監査役制度が形骸化しているなら、それを再度実質化させるという改善の道もあるはずで、だから一律に委員会等設置会社にならなけらばならないという理由にはならないはずだ。 そもそも、「36社」というのが、大新聞が一面トップに持ってくるほどのニュースなのか。上場企業数千社のうちの36社に過ぎないのだ。それで利益が飛躍的に高まるというようなものならともかく、業績への影響ははなはだ疑わしい、少なくとも未検証のものなのだ。 しかも、この「36社」というのがまた欺瞞的な数字で、その半数以上の19社がグループをあげて以降した日立製作所とそのグループ各社なのだ。すなわち、日経のお好きな「連結ベース」でカウントすれば、実は移行会社は記事の半数の18社にとどまることになる。こんな水増し数字で「企業統治」を論じた記事を書くのだからチャンチャラおかしい。 もちろん、委員会等設置会社はこれから増えていくだろう。そもそも、もともとがゼロだったのだから増えるに決まっている。しかし、それがいいかどうかはまだ結果が出ていない。それをどうしてこれほどプッシュするのだろうか。まことに不可解きわまりない。「米国型だからいい」「日本型だからダメ」というワンパターンに凝り固まるのはいいかげんにしてはいかがか。 |