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■2003/07/31 (木) 例によって一貫性欠如 今朝の日経は、社説で少子化対策基本法と次世代育成支援法を取り上げている。内容的には、産みたい人への支援に加えて産ま(め)ない人への配慮を求めるということと、企業が柔軟で個人を大事にすることが重要であり、「強引に産ませる策より自然に産みたくなる策を期待したい」と述べている。たしかにそうだろうし、とりわけ「男性の働き方の再考こそ少子化克服のカギ」との意見はまことにそのとおりと思う。それにしても、従業員にとってもっとも重要な雇用や収入の部分で、首切り・賃下げ路線まっしぐらの日経が「個人を大事にする」とは笑わせる。職場慣行がどうしたこうしたというはるか以前に、雇用や収入が安定しないことには、それこそ子どもを「自然と産みたくなる」わけがないだろう。 それはそれとして、次世代育成支援法について「当初は(企業が作成する次世代育成支援計画の)計画内容の国への届け出も求められたが、経済界の反対で策定事実の届け出に変更。公表義務も見送られた。不況下のトータルコスト増を警戒する声に折れた格好だが、少子化進行で苦境に陥るのは企業自身でもある。おざなりの計画づくりは自縄自縛に通じるだけだろう。」というのはどうしたことだろう。 日本経団連などが当初案に反対したのは、当初案の内容が、行政が自らの努力を怠り、その分を企業にツケ回ししようとの意図が明らかだった(まあ、「トータルコスト増を警戒」といえなくもないが)ことと、規制強化、とりわけ行政が恣意的に介入してくるタイプの規制強化だったからであるはずで、単純にコストアップだから反対したというわけではなかろう。だいたい、日経は以前から強硬な規制緩和路線をとって来ているわけで、どうしてこの問題に限ってはこのような最悪の形態による行政の企業に対する介入を支持するのだろうか。 なお、細かいことだが、三省堂の「大辞林第二版」をみると、自縄自縛という語は「自分の言動が自分を束縛して、自由に振る舞えず苦しむこと。」となっている。おざなりな計画→少子化進行→企業が(労働力や顧客の減少で)困る、という論旨を「自縄自縛」というのはいささかおかしい。間違いではないとは言えるかもしれないが、新聞記事、しかも社説としてはなんともお粗末ではないだろうか。 ■2003/07/28 (月) もともと「まん延」していたサービス残業 今朝の社会面に、「サービス残業不況でまん延」という記事が掲載されている。消費者金融大手の武富士がこの問題で書類送検された(これは1面で報じられている)ことをうけてのものだ。 本文中にも、「不況の長期化に伴い」サービス残業が広くまん延している、との記述があるので、不況だからサービス残業が広がった、という趣旨の報道なのだろう。しかし、これはかなり疑わしい。 サービス残業のデータとしては、勤労者の自己申告にもとづいた「労働力調査」の労働時間と、事業所調査である「毎月勤労統計調査」の労働時間の差をみて推定するのが一般的といえるだろう。この数字をみるかぎり、バブル絶頂の好況期もバブル崩壊後の低迷期にも、おおむね二十数時間程度で大きな変化はなく、不況でサービス残業がまん延したとの形跡はない(ただし、私の手元には2000年までの資料しかなく、その後増加している可能性はあるが、それでも2000年にはすでに十分不況だっただろう)。 そのいっぽうで、サービス残業は正社員に特有のものとまではいえないにしても、時間給のパートタイマーやアルバイト、あるいは派遣社員などに較べれば、正社員において発生しやすいものと考えることに無理はないだろう。ということは、最近の経済低迷期において非典型雇用が顕著に増加していることを考えると、むしろサービス残業は特定の正社員に偏在するようになっているのが実態であると思われ、「まん延」とはむしろ逆のことが起きているのではないかと推測される。サービス残業ではないが、総労働時間では現実にこうした事態が起きていることを示唆するデータもある。 まあ、おそらくはこれは厚生労働省の発表などをほぼそのまま記事にしたものだろうから、若干気の毒な面もあるし、悪質な事例が本当に増えているのならそれはそれで問題であることも間違いなかろう。しかし、事実を伝えるという意味ではこの記事はいささか杜撰の感は免れない。 ■2003/07/23 (水) 自社調査の価値を落とすだけだと思うのだが 今日も若干反則ながら日経産業新聞から。今朝の日経新聞12面の「日経産業新聞から 23日」の欄で、「『働きやすい会社』を考える ランキング一位はNEC、女性登用など評価」と紹介されていたので、さっそく見てみた。 1面トップを飾っているこの記事、記事リードにいわく、「経済成長が鈍化、賃金の伸び悩みも目立つなかで、企業で働く人にとっては『働きやすさ』がやりがいや充実した人生を送るうえでより重要なファクターになってきた。日経産業新聞は今回、主要企業の人事・労務制度について調査、併せて実施したビジネスマンが重視する『働きやすさ』の調査を加味して『働きやすい会社』像を探った」のだそうだ。 その「ビジネスマンが重視する『働きやすさ』」のランキングが掲載されており、トップは「有給休暇のとりやすさ」、次が「勤務時間の自由度」、次いで「パソコンの使用環境」「勤務地の選択制」「職種の選択制」「人事考課結果の伝達」…と、18位まで掲載されている。いずれも人事管理において重要なポイントだろうが、驚いたことにこの18位までの間に「賃金」に関する項目がひとつも出てこない。 詳しく読んでみると、1面本文に「賃金ファクターなどを除いた人事・労務面から分析」となっている。とはいえ、賃金ファクターを除いた人事・労務の分析などというものは、無意味とまでは言わないまでもおよそ限界があることは明らかだ。しかも、22面に掲載された選択肢ごとの結果を見ると「賃金の上昇」というのが入っていて、しかも、「非常に重視」度がランキング1位の「有給休暇」の49.0%をはるかに上回る60.9%となっているではないか。さらによく読むと、1面の「調査の方法」のところに、「『賃金の上昇』『会社の成長』も上位に入ったが、今回の企業ランキングは各社の制度や取り組みに重きを置くため、対象質問からはずした」とエクスキューズが書いてある。ちなみに、この雇用不安の時代にもかかわらず、「雇用の安定」は選択肢すらない。 このところ、日経は「カネより働きがい」をキャンペーンしているようで、それはそれで大切な考え方だと思うが、とはいえこの分析については、都合の悪いデータを意図的に除外したとの印象を禁じえない。キャンペーンには不都合でも、虚心にデータを受け止め、「カネあっての働きがい」という真実に向き合ってほしいものだ。 ■2003/07/22 (火) ガイジン好き 本日の朝刊1面コラム「春秋」欄では、新国立劇場の芸術監督の人選をめぐるトラブルをとりあげている。このトラブルの構図は比較的単純で、新芸術監督のトマス・ノボラスツキー氏の人気外人歌手起用の興行重視路線に対し、二期会や藤原歌劇団などの国内オペラ団体がより多くの歌手への出演機会を求めて反発している、というものだ。「春秋」子はこれをみて、「日本人枠」を設けた上演では官僚と業界が一体になって予算獲得にしのぎを削る公共事業と選ぶところがない、と断じる。そして、「松井もイチローも徒手空拳の競争から生まれた」と結んで、興行重視路線への支持をにじませている。 現実には、海外の有名歌手を招いての公演活動は、民間の呼び屋さんたちが活発に実施しており、これはこれで国の文化振興のおカネがついているわけだが、新国立劇場とはおカネのつき方が違う。新国立劇場が興行重視になると、明らかに民間の呼び屋さんは競争上不利になる。いわゆる「民業圧迫」というやつだ。それでもいい、というのは日経の普段の主張とは正反対だが、まあこれは「実力主義」の大義があるから、ということでよしとできるかもしれない。 とはいえ、明らかな事実誤認は見過ごせない。たとえば、「新国立劇場の舞台には天下り官僚を頂いた芸術家の団体がしっかりと組み込まれてきた」と述べているが、今回の主要な登場人物である二期会や藤原歌劇団が「天下り官僚を頂いて」いる形跡はない。むしろ新国立劇場の事務局に天下りが目立つわけだが、いずれにしても「天下りだからもたれあい」という理屈にはならない(もたれあいがあるかどうかは別問題だが)。 また、「松井もイチローも徒手空拳」というのは噴飯ものも甚だしい事実誤認で、日本のプロ野球が今も昔も枠を設けて外国人選手を制限していることは小学生でも知っている事実だ。野球に限らずサッカーやラグビーも、優れた技量を持つ外国人選手や指導者を招くことが、そのレベルアップに大きく貢献してきていることは明らかだし、枠を設けることのよしあしも議論があるだろうが、少なくとも枠があることは事実であり、「徒手空拳」は事実誤認だ。 まあ、このコラムは主張というよりエッセイに近いものだろうから、内容的には大いにフリーハンドが認められてしかるべきものだろうが、それにしてもこれほどの短い文章にここまで事実誤認があるというのも情けない話だ。 ■2003/07/18 (金) 日経記者の悲哀の反映か? きょうの「働くということ」は、動機付けはカネだけではないという、あたりまえながら大切なことをとりあげて、けっこういい内容だと思う。 それにもかかわらず、「仕事へのこだわりや使命感が単なる愛社精神を超え、新たな働く手応えを生む。」とか「年功秩序や愛社精神など旧来価値と、成果主義などドライな就労観の間で揺れる日本人。働く喜びを持ち続けられる新しい会社との関係を探っている。」といった主張には、どうにも違和感がある。この背後に「これまでの会社との関係では働く喜びを持ち続けられない」というもうひとつの主張が読み取れるからだ。 たしかに、長引く経済低迷のなかで、かつての高度成長期のように簡単には「働く喜び」が実感できにくくなっているのは事実だろう。しかし、人事担当者は相変わらず「いかにして従業員に喜びをもって働いてもらうか」に腐心している。経済環境の悪さを考えれば、その努力はかなり実っているといってもいいのではないだろうか。逆にいえば、起業したものの順調にいかず、およそ「働く喜び」どころではなくなっているケースもかなりあるはずだ。この経済不振のなかでも業績のよい企業は、従業員の多くが「働く喜び」を感じ、「愛社精神」を持っているのではあるまいか。 愛社精神というものは、単に自分の職場だから愛するという単純なものではない。会社のビジネスが付加価値を生み、雇用を増やし、社会のニーズにこたえる、その会社の一員として働くことで、ドーア氏のいうように「人のためになる仕事をして働きがいを感じる。」だから自分の会社が好きになる。それが愛社精神というものではあるまいか。 だから、「仕事へのこだわりや使命感」と愛社精神とはむしろ密接に関係していることが多く、決して「超える」という関係ではない。また、愛社精神と成果主義は対立関係にあるものではなく、十分に共存可能だ。よくつくられて、うまく運用される成果主義は、愛社精神をも高めるに違いない(ついでにいえば、年功秩序と成果主義も十分両立しうる。成果主義で逆転人事が行われることも普通になったが、年上の部下には敬語で語りかけるといった秩序は維持されている)。 この記事は、日経の記者がよき愛社精神を持てず、「ジャーナリストである」という独善的な「使命感」に働く喜びを見出しているという実態を反映しているのだろうか。だとしたら気の毒なことだ。 ■2003/07/17 (木) 救いがたい単細胞 今朝の「働くということ」もなかなかのデタラメぶりだ。 「働き手と会社が適度な緊張感を保ちながら、刺激し合う。」とか、やりたい仕事、面白い仕事ができれば人はがんばる、というのはたしかにそのとおりで、人事担当者はまさにそのための仕事をしている。組織とメンバーが刺激しあう風土・制度をつくる、個人の適性や関心のある仕事につかせる、逆に仕事の面白さを知らせ、興味をもたせる。いずれも人事の基本、あたりまえの仕事だ。 ところが、日経は、どういう根拠があってか知らないが、「独立」「転職」「起業」でなければ「やりたいことをやっている」とは認めないらしい。もちろん、そうした方法でやりたいことにこだわる人もいるだろうが、だからといってそれだけしか方法がないということにはならないはずだ。 しかも、事例も実はピンボケで、最初に出てくる婦人靴販売の事例は、流通業ではふつうに見られる形態で、独立とはいっても資金繰りや店舗賃貸、仕入先確保などの心配はしなくていい。これは「売れる店員」にとっていちばん快適な環境だろう。それを会社が準備しているのであって、古くから行なわれていることだ。 また、「会社への従属を嫌い距離を置く人々を組織に取り込み、戦力として生かす」事例として、雇っている若者たちの「四割は学生。出勤時間は自由、期日までに受注したソフトを開発すればいい。報酬は成果主義で正社員と同等だ。」という企業が出てくる。こう書くととても立派に感じるが、要は出来高払いのアルバイトということだろう。そもそも、「四割は学生」というが、学生に会社への従属もなにもあったものではない。ほかの人たちも、不本意ながらフリーター的にここで働いているにすぎない可能性も十分ある。出来高払いのアルバイトは昔々からあるし、資金をためて独立をめざす若者だっていつの時代にもいる。 ましてや、「社内の独立予備軍を“獅子身中の虫”と警戒するのではなく、むしろその潜在力を企業の活力源として生かす」の事例が、そもそも独立予備軍だらけのシンクタンクというのでは何をかいわんやだ。 この記事は、以前からあったあたりまえのことを「会社を対等の立場で利用する。会社は仕える場ではなく、使いこなす対象ととらえる新しい距離感」などとコギレイなことばにして、それを「独立」「転職」「起業」にこじつけただけのもので、まことにオソマツだ。 ■2003/07/16 (水) 阪神タイガースはなぜ強い 今日の「働くということ」もまたまた意味不明だが、それ以上に社説が面白い。阪神タイガースの好調ぶりを自説に牽強付会している。 いわく、「抵抗を押し切って、前任者の野村克也監督に続き「よそ者」を招いた輸入人事。純血主義が生む関西のもたれ合い風土にメスを入れる経営改革は成功した」。「コーチ陣も大幅に入れ替え」たことで「鮮やかな結果を出し」「構造改革により復活した」のだという。そして、「しょせん野球の世界」と予防線をはったうえで、「世の経済人にとって身につまされる話である」と皮肉っている。 まず、事実関係がおかしい。よそ者がいいならなぜ野村克也氏は3年で3回最下位だったのか、といいたくなるが、まあこれは効果が出るまでここまでかかった、ということにしよう。しかし、「コーチ陣も大幅に入れ替え」るのは監督が変わればむしろ当然のことだし、そのコーチ陣をみると、ヘッドコーチの島野育夫氏をはじめ10人中7人が球団OBで(選手経験のないトレーニングコーチの前田健氏をのぞく)、二軍監督の木戸克彦氏も球団OBだ。むしろバランスの取れた人事というべきではないか。 くわえて、議論もはなはだ皮相だ。私はプロ野球には詳しくないが、そもそも、今年の阪神の好成績は昨年来の積極的な補強の成功によるもので、「構造改革」などではないというのが普通の見方ではないのか。昨年はやはり大型の補強を続けた読売ジャイアンツが独走で優勝したが、あれも「構造改革」だったのか。 最大の問題点は、成績は好調かもしれないが、業績はそうでもないということだ。阪神球団の今期の利益は、大型補強による人件費増などのために、前期比半減以下の大幅減益が見込まれているという。一般企業に例えれば、同業他社から事業を買収して売上は大幅に伸び、知名度も上がったものの、利益はかえって減少した、ということになる。これをとらえて「経営改革が成功」「構造改革により復活」というのか。日経が唱えてきた「構造改革」とはこういうものなのか。 まあ、阪神の活躍で世間の雰囲気が明るくなることは大いにけっこうだし、社説といえどもお堅いばかりではなく、たまには雑談もいいものかもしれないが、経済の「クォリティ・ペーパー」を自称するにしては貧弱な内容だ。 ■2003/07/15 (火) どこが「会社にもたれず」なんだろう? 今朝の日経新聞朝刊から、特集「働くということ」の第3部がスタートした。第1部、第2部にも申し上げたいことは多々あったのだが、今回もまた疑問が大きい。 第3部は「カイシャとの距離」だそうで、今日の見出しは「依存脱却 自立に備え」となっている。最初に出てくる事例は、共働きで、多忙な週は遠方の実家に飛行機で子どもを預けに行くという、飯田さんという女性だ。彼女は「育児休暇や定時退社は職場の負荷になってしまう」が「自分の力を認めてもらうためにも会社を辞める気はない」。「成果主義が浸透し、会社と社員の間にきしみが目立つ時代。飯田は会社にもたれず、懸命に自立を探る」のだという。 会社に「認めてもらうために」子どもを飛行機で預けに行き、「職場の負荷」もかえりみず、「会社を辞める気はない」。誤解を恐れずに書くが、これのどこが「会社にもたれず」「自立を探る」なのか。専業主婦でない、経済的に男性に依存していない、という意味では「自立」なのだろうが、これで「会社にもたれず」といえるだろうか。 また、富士通出身の技術者が起業したファイベストの事例も、定年を2年後に控えた技術者が転身支援制度を利用して起業し、しかも富士通に製品を納入するというのだから、「会社を飛び出した」「会社と決別した」というのはいかにも大仰ではないか。少なくとも、この人がそれだけのことができたのは、基本的に「飛び出さない」ことを前提に、富士通で長年蓄積し磨き上げた技術力があるからなのは間違いない(実際、こうした人は技術力があるので投資ファンドも資金を提供しやすく、同じような形の起業が増えているという)。普通に考えて「依存脱却」といえる事例ではないだろう。しかも、ファイベストの場合はまだ起業したばかりで成功したわけではない。 この調子だと、明日からもデタラメが並ぶのだろう。やれやれである。 ■2003/07/14 (月) 新聞休刊日 きょうは新聞休刊日なので、「日経病を断つ」もお休みということで(笑)。 しかし、この新聞休刊日というもの、見事に横並びであきれるばかりだ(一時期、産経が発刊していたと思うのだが、どうなってしまったのだろう?)。まさに日経が常々こきおろしている「業界横並び」というやつだと思うのだが、自分だけは例外ということなのだろうか? まあ、再版制度についても規制堅持を主張する日経のこと。自分だけ例外という特権意識は新聞に限らずマスコミ共通のものだろうけど。 ■2003/07/11 (金) 相も変わらぬ大企業憎し 今日の特集「デフレが蝕む」も、またまたトンデモナイ。まずは5面掲載の関連インタビュー記事から行こう。 登場するのは東芝を飛び出して起業して成功した起業家氏だが、いきなり「(韓国のサムスン電子は)競争に脱落した社員は解雇されるので、猛烈な緊張感を持って仕事に取り組んでいる。土曜日も働き、睡眠は三時間。…日本の会社がもし勝ったら、アンフェアだと思うくらいだ。」ときたものだ。いやはや、成功した人は云いたいことを言っていいとは思うが、それにしても、国際社会では週6日、平均睡眠三時間で働くほうがアンフェアであるというのが常識だ。90年代に入ってもなお、日本が「長時間労働で失業を輸出している」と非難されていたということをお忘れになったのだろうか。 また、米国での起業について「失敗しても投資家に謝るだけで済む」などと呑気なことを言っているが、失敗すれは投資家以外にも顧客や取引先などにも相当の迷惑を与えることがほとんどのはずだ。 1面の本編のほうでは、大企業勤務から起業家に転じた2人の成功例をあげて、大組織(大企業)が悪い、と主張している。 しかし、別に大企業が起業を希望する人を無理やりに引き止めているわけではない。足止め効果のある年功賃金もとくに大企業ではどんどん是正されているし、企業に帰属する権利等を侵害する恐れの強い競合事業などでないかぎり退職後の起業を制約しているわけでもない。むしろ、多くの大企業は社員が独立企業することを歓迎し、支援しているのが現実だ。 問題はむしろ原因は経済不振という環境の悪さであり、資金調達の不自由さであり、税制の問題点でもあるだろう。いずれにしても、大企業が悪いわけではない。 さらに笑えるのは、大企業から独立上場した企業の「時価総額は合計六千億円弱。みずほファイナンシャルグループの約4割の株主価値を生み出した」と賞賛している。しかし、みずほの時価総額は1兆5千億円くらいで、トヨタやソニーの数分の一という規模にすぎない。しかもみずほについては金融不安で株価がかなり安くてこの水準なのだ。「大企業から独立上場」の規模を大きく見せたいという意図は涙ぐましいが、これでは逆効果だろう。 結局のところ、相変わらずの大企業(の長期雇用の社員)憎しという感情論にすぎない。同じ感情を持っている人はいるだろうから、それで記事は書けるだろうが。 |