|
■2003/08/29 (金) 支離滅裂 毎回毎回同じような話ばかりで飽き飽きしてきたが、今朝の「働くということ」もまたまた凄い。 最初の事例はなぜかマンション建設で、広島市の「下層階は千数百万円のワンルーム。最上階は三億七千万円。最大で二十二倍の価格差」という高層マンションの販売が好調だ、という。まあ、多様化時代にあってうなづける話だが、それを「脱・一律中流」とこじつけるところが日経のすごいところだ。別に、これまでだって高級マンションもあれば大衆マンションもあったし、高層マンションの最上階は高かった(値段が)はずだ。だいたい、ワンルームで千数百万円というのはきわめて「中流」ではないのかね。 次の樹研工業はユニークな経営と名物経営者で有名な会社で、見出しにもなっている「先着順採用」も広く知られているが、よく読むと「人並みに慣れきった若者が“偏屈”な松浦に共鳴し、仕事師に変身する。」と、さりげなく妙なことが書いてある。 実務的には、先着順採用は奇抜に見えて実はかなり合理的な考え方だ。樹研の採用は不定期なので、現実に採用される人は常に「樹研に入りたい」という気持ちで求人が出るのをチェックし、そして求人が出ると「最先着」するために相当の努力をすることになる(どれほど待つのか知らないが)。したがって、熱意と行動力と愛社精神に燃えた人が採用できることになる。樹研の社長の本を読むと、社会的な落ちこぼれやアウトローが変身した事例は多々あるが、彼らは決して「人並みに慣れきった若者」ではない。「中流幻想」どころか、むしろ「下流」に含まれるような人が変身するところが樹研のすばらしさなのだ。 さらに記事は、「産業能率大学の調査では、今年の新入社員で起業志向は11%と昨年より9ポイント減り、90年以降で最低。一方、管理職志望は最高の30%。『就職した会社でそこそこの地位に』。中流への幻想が頭をもたげる。」と続く。しかし、これは幻想でもなんでもなく、経済環境をふまえた合理的な考え方ではないのか。実際、そのあとに続いているゼビオの店長の事例は、まさしく「管理職」であり、「中流」ではないか。この事例は、管理職として成功するのはなかなか大変だし、新入社員の目標に値するものだということを示しているとも考えられる。 どうしてこんな支離滅裂な記事が出てくるのか。不思議だ。 ■2003/08/28 (木) すさまじき怨念と牽強付会 その2 下の続きです。 また、「独立」や「派遣」の礼賛事例もよくみるとおかしい。まず、「ホワイトカラー職人協会――。秋山進(39)は仲間三十人とこんな組織をつくる計画を進めている。秋山らはコンピューター会社などで働く独立業務請負人。高度な専門性を武器に企業と対等な立場で契約を交わす“プロビジネスマン”集団をめざすというのだ。」という事例が出てくる。企業と対等な人がなぜ協会をつくって群れるのか、ということがまず不審だが、それは「職人協会では『親方の下で腕を磨き独立する』スタイルで人材発掘から育成を側面支援」するということなのだそうだ。しかし、そもそもそんなやり方で「企業と対等」になれるだけの専門性がそうやすやすと身につくのかはいかにも疑わしい。だいたい、考えてもみれば、これは要するにOJTで能力を伸ばして一人前にするという意味では、普通の企業が普通にやっていることだからだ。育てている時間がない、というニーズはあるかもしれないが、それは逆にいえば内部で育ってくればそれにとって代わられるということだ。 さらに、次の事例は、富士写真フイルムの関連会社で働く旭化成子会社からの派遣社員で、「(賃金は)旭化成本体の初任給を上回る水準だが、五年以上の雇用保障はない。」「平日の夜や週末に同僚と勉強会を重ね、技術を磨く。」で、派遣先の評判も上々、「親会社の旭化成が二年連続でベースアップゼロとなったのをよそに、今春の契約更改では給与が一割ほど上がった。」「将来、派遣社員で年収1000万円も可能だ。『実力さえあれば、正社員かどうかなんて……』と感じ始めている。」のだそうだ。 専門性を生かして派遣で働くというのはたいへん立派なことだと思うし、そういう選択をする人も増えてくるだろう。しかし、それはすなわち「正社員はダメ」ということにはならないことは当然だ。雇用保障がないのだから、そのリスクプレミアムの分は給料が高いのが合理的だし、勉強する正社員もいれば勉強しない派遣だっているだろう。派遣がよくて正社員がダメ、という理屈はどこにもない。ただし、おそらく事実としていえそうなのは、「旭化成本体」でキャリアアップしていくほうが「年収1000万円」の可能性は高いだろう、ということだ。 以上要するに、大企業や長期雇用を感情的にバッシングしているだけの、無価値な記事ということだ。 ■2003/08/28 (木) すさまじき怨念と牽強付会 その1 いやはや、予想通りではあるが、それにしても凄まじい。今朝の「働くということ」はいきなり「流通関連会社のベテラン課長」が倒産でホームレスになった、という話から来た。続けて、上場企業の元部長が再就職できない、というお決まりの話がくる。そして、例によってバカの一つ覚えで「独立」や「非正社員」を礼賛する。 何を言いたいかというと「中流の座にあって事務・技術系の幹部候補生を占めてきたホワイトカラーが職場で居場所を失い始めている。」ということらしい。まあ、確かに長引く経済不振、企業業績低迷のなかで、そうした実態もあるだろう。しかし、これだけの事例で、だから従来型のホワイトカラーはホームレスになるくらいに全然ダメで、独立や派遣が素晴らしいのだ、というのはいくらなんでも暴論だろう。実際、起業も減っているし、「独立した働き方」にしても、好況期に較べたらうまく行っていない。派遣の伸びも鈍っているし、単価も下落傾向だ。また、正社員についても、ホワイトカラーより空洞化の影響を受けているブルーカラーのほうがさらに厳しい状況にある。 結局のところは、正社員の最悪の事例と、派遣などの最善の事例(と思われるもの)を対比して、大企業正社員に対する怨念をぶちまけているに過ぎないのだ。 しかも、その内容もかなりおかしい。たとえば、ホワイトカラーについて「年功序列の横並び人事で、給与は米国の同様の職種より三割高。競争激化で企業は『能力を伴わないポストの整理』に躍起だ。」と書いてあるが、日本企業の給与が高いのは「年功序列の横並び人事」より何より円高によるところが大きい。また、「能力を伴わないポストの整理」というのも意味不明だ。まあ、無能な人がポストについているというのならそれは問題だが、現実に起きている問題の多くは、能力が高く、したがって賃金も高い人が、それに見合った仕事についていないことで高コストになっている点にあるのだ。 今回非常にとんでもないので、上に続きます。 ■2003/08/27 (水) おそるべきネジ曲げ 今朝の「働くということ」もまたまたすごい。 まず、「トヨタ自動車グループの労働組合、全トヨタ労連が組合員に『家計のリストラ』を勧めている。」という話がくる。「生命保険の加入し過ぎなどにメスを入れ」「系列部品会社の組合員…は『生涯で二千万円の保険料が浮く計算。もっと早く見直せばよかった』と漏らす。」と書く。で、「トヨタ労連は今春闘で一律ベースアップ要求を断念、右肩上がり経済の終わりを確認する役割を演じた」「最強企業で働く人たちでさえ安閑とせず、家計のムダのそぎ落としにかかる。」と続いて、「働きがい、家族の幸せ、報酬……。保証されたはずの人生の揺らぎは『従来と同じ』の発想に慣れきった中流層を揺さぶり、人生設計の立て直しを迫る。」と結論づける。 一見もっともらしいが、背後の重大なポイントが隠蔽されている。表面的には、全トヨタ労連の「保険の見直し」は上部団体である自動車総連の共済制度への切り替えを推奨しているが、さらに深くみれば、全トヨタ労連の有力単組においては、企業が福利厚生の一環として設定している、必要十分な保障を廉価に提供する団体保険に一本化することを推奨しているのだ。要するに会社の手厚い制度の下に入るということだ。この重要なポイントを看過したのか、知っていて隠蔽したのかは知らないが、まったく異なる結論にミスリードしている。前者なら無能のそしりは免れないし、後者ならジャーナリストとしての良心のかけらも感じられない書きぶりだ。 続く日本IBMの事例も、よくよく読めば要するに2年間出向扱いの転身支援制度を利用したのと基本的には同じことで、格別の目新しさがあるわけではない。「起業の妨げに『家族の反対』を挙げる割合は米国の一二%に対し、日本は二七%。主要国で最高だ。」というが、主要国で最悪の経済情勢、起業環境にある日本で、家族が最も起業に反対するのは当然だ。「大企業なら安泰との固定観念」もあるかもしれないが、現に起業するのに較べればまだしも大企業の方が安泰なのは事実だから致し方ない。 日経は「保証のない中流生活にもたれず一歩踏み出す。新しい設計図はそこから見えてくる。」などと気取ったことを書いてうっとりしているようだが、別にこれまでも「保証のない」中流生活にもたれる人などいなかっただろう。それなりに保証されていると思えばもたれるし、そう思わなければもたれない。それだけのことだ。 ■2003/08/26 (火) なんたる傲慢 あまりに不愉快なので本日ふたつめ。 今日の社説のひとつは「冷夏は「天気より元気」で」という。冷夏のせいで業績不振となる企業が多いが、それでも業績好調な企業もある、という内容だ。 最後にいわく、「夏物商品に早めに見切りをつけ秋物商品への移行、売れ筋の商品を切らさないなどの努力が不可欠だ。メーカーや問屋との効率的な情報、物流システムがあるかどうかが決め手である。利益率の高い独自商品の投入で価格競争を避ける手もある。」「『景気より天気それより元気』という小売りの格言もある。天気まかせなら経営者はいらない。」ときたもんだ。 いやはや、なんたる倣岸不遜な態度か。自分を神様かなにかだと思っているのだろう。社会の木鐸だかクオリティ・ペーパーだかなんだか知らないが、こんな口のききかたをするほど偉いのか。 せめて「『景気より天気それより元気』という小売りの格言もある。こうした逆境においてこそ、経営者には元気を出して一層の経営努力に取り組んでほしい。」くらいの書き方がどうしてできないのか。 印象に過ぎないが、日経新聞は他紙にくらべてもこうした非常識で傲慢な書きぶりが目立つように思う。朝っぱらから本当に不愉快な気分になってしまった。 ■2003/08/26 (火) またはじまった 「働くということ」の第4部がはじまった。今回は「中流幻想を超えて」ということで、「学歴社会、年功序列、前例踏襲……。働くことの意味を強く意識しなくても、『横並びでやっていればうまくいく』。従来の居心地のいいシステムはもはや通用しない。今回のシリーズは中流神話の崩れた現代に生きる人たちの価値観の再構築を追う。」のだそうだ。 しかし、「学歴社会、年功序列、前例踏襲」が「居心地のいいシステム」というのは、いつ、誰がそうだったのだろう。学歴の低い人や女性にとって、これが特段居心地が良かったとはいえそうもないし、オイルショック以降は、高齢者も基本的に厄介者扱いされる場面が増えたはずだ。まあ、それでも高度成長期にはたしかに多くの国民が居心地よかったのかもしれないが、それは高度成長の居心地がよかったのであって、学歴社会の居心地が良かったのだとは必ずしもいえまい。要するに、ターゲットは日経が憎悪する「高学歴のサラリーマン」なのだ。となると、よほど幅広い対象をふくむ「中流」が崩壊するとかしないとかいうことは基本的には関係ないはずだ。 で、「いい会社に就職して人並みに頑張れば、そこそこの暮らしができる――。戦後の右肩上がり経済で醸成された中流の生き方が揺らいでいる。」のだという。70年代に全国民の9割を占めた「中流」はみな「いい会社」に就職したというのだろうか。「人並みに頑張れば」というが、70年代の「いい会社」のサラリーマンは、週休1日、週48時間労働でがむしゃらに働くのが「人並みに頑張る」ことだったのではないか。 そして、結局は例によって「リストラでひどいめにあった大企業のサラリーマン」と「成功した企業家」というバカのひとつ覚えが来る。しかも、大企業の例のひとつはバブル期に入社した若手だから、「学歴社会…」で居心地がいいなどという思いはほとんどしていないはずだ。また、成功した起業家については「二浪後、早大に入学。自称『一番の落ちこぼれ』で、安定という言葉には違和感を抱き続けた。」というが、中流を論じようとしているときに「武蔵高校から早大」という学歴のどこが「落ちこぼれ」なのか。さらにいえば、「学歴社会…」が居心地よかった高度成長期には、起業して成功する人の比率は今よりずっと多かったはずだ。 どうせまた他人の不幸を喜ぶような連載になるのだろう。あほくさ。 ■2003/08/11 (月) 「眼光紙背」というのなら 今日は新聞休刊日でもあり、ちょっと古いのだが、8月7日の日経産業新聞から。16頁の「眼光紙背」というコラムに「正味の賃金」という記事がある。 いわんとしているのは、正社員にはサービス残業が多々あるが、パートタイマーには少ない。時給換算した正社員とパートの賃金格差が大きいのは、「サービス残業の有無も隠れた理由ではないか」。「経営側は正社員の表面的な賃金にサービス残業を織り込んでいるとさえ思えてくる」。で、「これでは、『同一価値労働は同一賃金』という議論の前提があやふやになる」という。 「表面的な賃金」というのがなんのことかよくわからないが、そもそも、企業経営においては人件費は事業活動に対してトータルでいくらか、というものだから、実態としてサービス残業があるのなら、正社員の(賃金ではなく)人件費にサービス残業が織り込まれているのは当たり前のことで、いまさら「とさえ思えてくる」などというほどのものではない。もし、杓子定規に時間割の賃金計算をすれば、一時的に正社員の賃金は多くなり、人件費は拡大するだろうが、それは利益を減らすだけだから、いずれ利益を回復すべく人件費は縮小される。それは正社員の平均所定内賃金の引き下げ(たとえば高賃金社員のリストラ)やパートの増加などで実現されるだろう。もっと端的に、杓子定規な計算で賃金の増えた社員の賞与を同額減額することで実現されるかもしれない。 それで「同一価値労働は同一賃金」という議論の前提があやふやになる、というのも少々あやしい。サービス残業がある、ということは、それだけ自己裁量度が高いということで、それは「価値」の評価にも影響しうる。そもそも定型的業務オンリーでサービス残業なしのパートと、正社員の間で「同一価値労働同一賃金」を議論するのがおかしいのだ。経営サイドはそもそも「同一価値労働同一賃金」という考え方をとっていないが、この考え方をとる人にしても、連合の建前はともかく、多くは事実上「サービス残業の有無まで含めて正社員と同じ勤務実態のパート」を問題視しているだろう。 「眼光紙背」の名が泣く表面的な記事だが、これで「眼光紙背」なら普通の記事が間違いだらけでもうなずけるというものだ。 ■2003/08/04 (月) 余計なお世話 日経新聞は日曜日朝刊の1面で、「生保・損保 「会社提案に反対」1% モノ言わぬ株主 鮮明」との記事を掲載した。その内容は、「主要生命保険・損害保険15社が、株式を保有する会社の今年6月の株主総会で会社提案に反対した割合は1%未満にとどまった」ことから、「保険会社が経営監視をしない「モノ言わぬ株主」にとどまっている」というものだ。そして、「厚生年金基金連合会は議案の43%に反対するなど、機関投資家が企業の経営を厳しく監視し始めており、今後、議決権行使に消極的な生損保の姿勢への批判が強まりそうだ。」と結んでいる。 「会社提案に反対するのが経営監視」という発想自身がいかにも短絡的という感じがするが、まあそれはよしとしよう。とはいえ、「生損保の2002年度の運用成績は株安の影響で低迷した。株式の運用悪化を放置したままでは、収益や配当水準にも悪影響が出て、保険契約者へもしわ寄せが及びかねない。」から、「反対すると企業の反発を呼び本業の保険販売に悪影響が及びかねないと懸念して」会社提案に反対しないのはけしからん、というのは、いささか妙な理屈ではないか。 議決権行使にあたっては保有株式の株価に加えて、経営上のさまざまな要因を考慮して態度を決めるのが、むしろ普通のことであるはずだ。現実に年金の資金を運用することが役割で、その成績低迷に対するエクスキューズが必要な厚生年金基金連合会が、そのためのパフォーマンスとして会社提案に反対するのが当然であるのと同様、保険業が本業であり、その一環として資金運用を行なっている生損保が、保険業との兼ね合いもふまえて会社提案に対処するのもまた当然ではないか。しかも、一般論としては会社提案への反対で株価上昇をはかれるのかもしれないが、「2002年度の運用成績は株安の影響で低迷した。」のは、およそ総会で会社提案に反対すればどうこうなるというレベルの問題ではない。であれば、本業への影響を重視したところで、それに文句をつける筋合いはないはずだ。 また、そもそも、会社提案への反対に報復するために保険を買わないという企業がどれほどあるのか。「株主としての立場より、その会社への保険販売など営業を優先したため。」などと断言しているが、その根拠はあるのか(まあ、どこかの幹部がオフレコで言ってくれた、というくらいの根拠はあるのだろうが)。疑問だらけの記事だ。 |