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◇はじめに このところ、外国人労働の受け入れ、特に移民の受け入れの議論が、活発になってきている。 これまでも、景気が過熱して、人手不足が深刻化すると、外国人受け入れの議論が繰り返されてきた。そして、景気がピークを打って後退をはじめると、いつのまにか鎮静化するのが常であった。また、現実の問題としては、たとえば先般のバブル景気絶頂期には、ブラジルに移民した日本人の子孫は、三世までは日本で就労できることとされたし、その後実習制度の拡充もはかられた。また、非合法に就労する外国人も増加したことは周知である。 今回の議論は、以前とは異なり、少子高齢化の進展により、循環的要因でなく、構造的に労働力が減少していくという問題意識を背景としている点がこれまでと異なっているようだ。経済の成長は規模の拡大と生産性の向上によるわけだが、将来的に規模が縮小すると経済成長も困難となり、やがて効率も低下して経済がどんどん縮小してしまうのではないかと心配されているわけだ。国連の推計によれば、日本が2005年のピーク時の人口1億2750万人を将来も維持するためには、2050年まで毎年平均31万人の移民を受け入れる必要があるのだそうだ。 とはいえ、なるほど、それでは今すぐにも外国人をもっと受け入れようか、と簡単に始められるような話ではないことも間違いない。解決すべき課題はとにかく多いから、検討にはかなりの時間が必要になる。実施するとなれば、当然、国民的なコンセンサスづくりが必要になるだろうが、それにも相当の時間がかかるだろう。しかも、外国人が社会に定着するにも時間が必要で、いよいよどうにもならなくなってから腰を上げるのでは手後れになることは明らかである。外国人受け入れが不要、あるいは反対と考えている人たちにとっては、そうやって時間切れを狙うという手もあるのかも知れない。とはいえ、外国人を受け入れないなら受け入れないで、代替的な施策、例えば労働力率の引き上げや生産性向上のための取り組みが必要になってくるわけで、やはり、入れるのか入れないのか、どういう状況なら入れる決断をすべきなのか、ということは考えておく必要があるだろう。以下、この問題を検討するにあたっての論点と考え方を、いくつか書いてみたい。 1.外国人労働受け入れの必要性をめぐって 外国人受け入れを主張する人の意見を聞いていると、その根拠は大別して3つあるのではないかと思う。第一に、冒頭にも書いた少子高齢化にともなう全般的な労働力不足対策、第二に、3K職場など、特定職種における労働力不足(ミスマッチ)対策、そして、第三に、わが国の国際貢献である。 a.少子高齢化対策としての外国人労働 第一の、少子高齢化にともなう全般的な労働力不足対策については、現在、将来の人口について一定の前提をおいた上で、女性や高齢者の労働力率を上げていくことや、一人当たりの生産性を上げていくことで対処していこうという方向性が打ち出され、一応の合意を得ているようである。実際、必ずしも、ピーク時の人口を維持することが必要であるという説得力のある説明を聞いたこともない。 問題なのは、前提となっている人口推計がどうもあてにならない、ということだ。実際、これまでの推計もよく当たっているとは言えない。だいたい、前回推計の下位推計が、今回推計の中位推計になっている、という印象である。それで外れたというのは酷かも知れないが、政策検討にあたっては大きな違いになるはずである。世間でもあまり信頼を置かれていないことも事実として認めなければなるまい。労働力人口の推計は年金制度の検討などにも使われているので、この推計が国民に信頼されないというのは影響が大きい。 こうした経緯を考慮に入れれば、今後、人口が、現在の議論の前提となっている推計を下回って推移した場合、わが国の経済や産業、あるいは財政などがどのようになるのかをきちんと検討しておくべきであろう。恣意的に好都合な前提を置いているとは思わないし、いたずらに危機感をあおる必要もないとは思うが、広く国民の納得が得られるように、かなり最悪に近いケースもふくめ、いくつかのシナリオを想定して検討を進めることが必要ではないかと思う。 労働力率の向上や、一人当たり生産性の向上のための施策については、すでに広く議論されているところであるから、ここでは繰り返さないが、ひとつだけ言っておくとしたら、外国人を入れない選択を仮にしたとしても、社会構造や意識の変革は相当程度必要になるだろう。決して、外国人を入れなければ今の世の中が変わらずにすむというものではない。もちろん、外国人を入れた場合の変わり方は、さらに大きいと考えることが妥当だろうとは思うが、その差はそんなには大きくないと考えてよいのではないかと思う。 b.特定職種の労働力不足対策としての外国人労働 第二に、特定職種における労働力不足、ミスマッチの問題がある。これにはさらに2つの側面があるようで、ひとつは金融業などに典型的に見られるような、わが国にはない優れたノウハウ、技術を持つ外国人の受け入れである。そしてもうひとつは、3K職場のような、日本人には引き受け手のいない仕事で、外国人に就労していもらっているケースである。 優れた技術を持つ外国人にわが国で活躍していただくことは、わが国の経済の活性化、ひいては国力の増強にもつながることであり、前向きに受け入れを考えるべきであることは、ほぼ異論のないところだろう。「ウィンブルドン化」がいけない、という考え方はこの際捨てるべき時に来ている。日本企業が海外展開しているように、外国資本がわが国に参入してくるのも受け入れるべきであり、事実、すでに外資による日本国内への投資は大幅な増勢にある。これはむしろ歓迎すべきことである。その場合、日本企業が海外投資する場合と同様に、経営トップや経営幹部として外国人が日本で働くことになるが、こうした優れた外国人、あるいは日本人の持たないノウハウや技術を持つ外国人が日本で働くということは、とりもなおさず日本の国力の増強につながる。日本国内で、日本の国内法にしたがって、事業活動を行い、労働者を雇用し、納税する企業は、ceoが外国人で、株主の大半が外国人で、持株会社の本社がニューヨークにあったとしても、それは日本企業だと考えるべきだろう。最近、巨額の公的資金を投入したはたん金融機関が外資に捨て値で買い叩かれることを快く思わない論調が見られるが、それは日本企業にそれだけの力がなかったのだから仕方のないことなのだ。むしろ、これから外資のノウハウを日本企業に導入することができるのだから、けっこうなことだと思わなければなるまい。 さて、3K職場のケースとなると、現在すでに実態として外国人がいなければ職場が成り立たないケースも数多くある。実際、築地の魚市場に行ってみれば、首都圏の食卓がそこで働く多くの外国人によって維持されていることが実感できる。正確に把握されたことがあるのかどうか知らないのだが、おそらくはそのかなりの数が不法就労者であることは想像に難くない。 一部には、「現実にこうした仕事は日本人にはやり手がいないのだし、外国人本人も、安価な賃金でいいから働きたいと言っているのだから、かまわないではないか」などと いう議論がある。実際、一部上場のゼネコンのトップが、公式な場で堂々とそう言い放ったのを聞いたときには驚愕した。これは明らかに一部企業や業界のエゴであり、奴隷貿易の発想となんら変わりはないと云ったら云い過ぎだろうか。コストについては後述したいが、こうした主張は外国人受け入れにともなうコストを行政や地域に転嫁してただ乗りしようという議論であり、およそ公正であるとは言えない。もし、どうしても3K職場などで外国人労働力が必要であるというのであれば、賃金などの労働条件を日本人と同様のものとすることや、受け入れにともなうコストを企業が負担することは当然だろう。 現実問題として無視することができないのが、エンターテインメント、夜の街で働く外国人たちである。男性たちは主に重労働に従事することが多いが、女性たちはもっぱら接客にあたる。彼女たちは低賃金(とは言っても、他の仕事で外国人が稼得できる賃金に比べるとかなり高いことが多いらしいが)であるだけではなく、日本人としてはまことに情けない感もあるのだが、「商品力もある」ということで、かなりの競争力を有する存在なのだそうだ。 夜のお仕事や風俗についてここで四の五のいうつもりはないが、こうした就労が、不法滞在・不法就労や、当然守られるべき労働条件の最低基準が満足されていないような劣悪な労働条件の温床となっていることは否定できないと思う。禁止されているからかえって不法や劣悪を招くのであり、したがって開放すべきだという議論はさすがに本末転倒だろう。将来、具体的に外国人を受け入れるという段階になってきたときに、このような就労の存在が思わぬ阻害要因になる可能性もあり、まずは実態を明らかにして、しかるべき処置を取るべきだろう。仮に将来は必要になる、入れるという結論に達したとしても、現在の不法を看過する理由にはならない。 c.国際貢献のための外国人労働 第三の、国際貢献のための就労受け入れについては、アジア諸国をはじめとして、自国民を日本で就労させてほしいという要望はかなり強いものがあるらしい。もちろんこれは就労の場を確保したいということだから、必ずしも移民となることを前提としているわけではなく、時限的な就労もありうる。さらに今後、世界的な人口増加の中で、わが国に対する移民などの受け入れ圧力がさらに強まるだろうという予想もあるそうだ。 事実として、過去においては、日本人も、ブラジルやハワイへ移民したり、あるいはドイツに出稼ぎに行ったりして、外国に助けてもらったこともあるのだから、今、外国の要望にまったく応えないというのは、いささか無責任であると考えるのが常識的かも知れない。とはいえ、かつて日本人がブラジルに移民した際には、ブラジルにとっても、未開の国土を開墾・開発するという大きな経済的メリットがあったように、受け入れ国にメリットがない形で移民や出稼ぎが行われるということも考えにくい。必要性もないのに移民を受け入れるというのは、国際貢献の方法としては上等であるとは考えにくいのではないか。 日本人だって海外で働いているのだから、日本だけが「鎖国」するのは公正ではない、だから日本は「世界の孤児」になるのだ、といった感情論もあるが、それはあくまで結果論であって、制度的には日本が海外諸国と比較して外国人労働力の受け入れを閉ざしているということはない。むしろ、「移民の国」と思われているアメリカの方が、アメリカ人の雇用を代替しない、アメリカでは調達できない技術やノウハウも持っている人に対してでなければ就労ビザを発行しないなど、閉鎖的なくらいである(移民に関しては、日本には入国管理法があるだけで、「移民法」などの明文規定がないという問題はある)。もちろん、外国の貴重な労働力を、格安だからという理由だけで利用したいというような、国際貢献という意味でマイナスになってしまうようなことはあってはならないが、外国人労働力の問題は、基本的にはメリットベースで考えるべき問題であり、国際貢献というのは結果としてついてくるものではないかと思う。 ここまでをまとめると、まず、労働力不足に対処するために外国人が必要、という議論については、国民の納得を得られるような前提をおいて、かなり悲観的なものまで含めた複数のシナリオを描き、外国人以外の手段、方策も総合的に勘案して判断する必要がある。 ミスマッチへの対処としては、日本にはない高度なノウハウや技術を持つ外国人は、積極的に受け入れるべきであるが、3K職場など、日本人には引き受け手がいない仕事については、受け入れの是非は別として、少なくとも日本人と同等の労働条件を確保することなどは必要である。 国際貢献としては、すでに日本は国際的に遜色のない外国人に開かれた国となっていることから、メリットベースで判断したことが結果として国際貢献になるのだと考えておけばよい。 以上のような基本的な考え方をもとに、さらに個々の問題について考えてみたい。 2.外国人労働をめぐるさまざまな課題 a.管理の問題 まずは、管理の問題がある。世間では、資金や貿易財のように、労働力も完全自由化こそが理想なのだ、という意見もあるらしい。euは国境を越えた就労を自由化しているではないか、というわけだ。 しかしこれは、いかにも乱暴な議論というべきだろう。もし入国も就労も完全自由化したとしたら、近隣諸国からなだれを打って外国人労働者が入り込んでくるだろう。失業率は急上昇し、労働市場は大混乱に陥るだろう。市場原理主義者たちは、それこそが一物一価の法則というものであり、そうなるべきなのだと言うかも知れない。百歩譲ってそれはそれでいいとしても、社会的な混乱はその比ではあるまい。もし、中国から3億人(中国の人口と経済状態を考えればそんなに非現実的な数ではない)入ってきたとしたら、日本は事実上中国の属国になってしまうだろう。それを喜ぶおかしな人も日本にはいるらしいが、少なくともそれで社会主義経済になってしまったら市場原理主義者たちは面白くなかろう。 こんなばかばかしいごたくはどうでもいいが、移民という形にせよ、帰国前提の出稼ぎにせよ、外国人を受け入れる場合には、国家によるきちんとした管理下において行うことが必要なことは、自明なことだろう。質・量の両面で厳格な管理を行ない、わが国にとって有益な人物を、必要十分な人数入国させるシステムが必要である。これは当然、取り締まり体制の強化ということも含まなければならない。 前述したが、そう考えると、現在の不法就労者、不法滞在者の存在が、具体的に外国人受け入れの拡大を進めようとしたときに、障害となる可能性が高い。行政当局は努力しているのだろうと思うが、さらに取り締まりを強化すべきだろう。 b.コストの問題 次に、コストの問題を考えてみたい。受け入れにあたっては、住居などのハードウェアはもちろん、教育や環境、あるいは社会秩序や治安などのインフラも含め、相当大きなコストが発生することは間違いない。アメリカでも、移民は教育や社会政策、文化的摩擦などの面で高コストで引き合わないとの意見があるくらいである。事実、アメリカは決して移民を無条件に受け入れているわけではなく、むしろ、アメリカ人の雇用を代替するような外国人労働力の入国は厳しく禁止しているくらいなのである。現実にアメリカに移民が多いのは、それでも不法入国をシャットアウトすることが難しく、相当数が日常的に流入してくるため、すべてを退去させることの方がコスト的に不利になることから、不法入国者であっても、ある程度定住してしまったら事後的に合法化しているからであって、決して積極的に促進しているわけではない。なにしろ、リオグランデ川を泳いで渡ってきたり、キューバからいかだに乗ってやってくるくらいなのだ。 ◆誰が負担するのか まずはじめに、コストの負担についてだが、受け入れによって利を得るものが負担するのが当然の正論であろう。そのコストを負担してもなお、費用対効果があるということでなければ、受け入れを行うべきではない。具体的に言えば、外国人労働力を活用する企業は、それにともなって地域社会などで発生するコストを負担すべきであり、それでもなおメリットがあるのでなければ、導入を主張すべきではない。 もちろん、これは外国人を雇用する企業が100%コストを負担するということではない。企業活動を通じて、他の雇用者やその家族、取引先や地域社会にも二次的にメリットは発生するのだから、それぞれ応分の負担を求めることは筋にかなっている。結果として国全体にメリットがあるのであれば、そのコストの一部を行政を通じて広く国民に負担を求めてもよいだろうが、前述したように、少なくとも、最初から行政によるコスト負担にフリーライドすることを前提に考えてはなるまい。 逆に、過度のコストを負担せざるを得なくなる人については、他の人の負担で補助を行なうことも必要となってくるだろう。誰がどれだけのメリットを受けるのか、否応なくデメリットを被らざるを得ない人は誰でそのコストはどれほどなのか、これらを冷静に検証して、公正なコスト負担を求める必要があるだろう。とはいえ、おそらくは、企業が相当部分を負担すべきことになるだろう。外国人を多く活用する企業が多くを負担することになるよう、外国人に支払った賃金総額に対して外形標準課税するといったアイデアが考えられる。ただし、コストの多くは外国人の居住地で発生するので、なんらかの調整が必要になるかも知れない。 ◆どんなコストが発生するのか さて、負担に続いては、どんなコストがどれだけかかるのか、という大問題がある。アメリカではどうかと云えば、アメリカはもともと、ヨーロッパからの移民が先住民族を駆逐して築いた移民国家であり、さらにその後、奴隷貿易という形で多数の移民が行われたわけで、そもそも人種・民族の多様性が高い。そのため、「建国」以来の主流派と、後続の少数派の間に、差別や摩擦、対立が発生している。さらに、言語の問題をはじめ、文化や伝統、宗教、風俗などの違いにもとづくコミュニケーション・ギャップが存在し、これにともなう大きなコストを発生している。 特に、外国人受け入れの費用対効果を考える際には、金額的な換算が難しい、感覚的、感情的なコストも大きいことから、その判断にあたっては、広く国民的な議論とコンセンサスの形成が必要であろう。理屈や理念で考えれば筋の通らないようなことでも、それなりに配慮をしなければ、決して受け入れは成功しないだろう。たとえば、外国人の住宅を建設するとして、その隣の人はどう感じるだろうか。原子力発電所、産業廃棄物処理場、こうしたものは社会的に必要なものだし、直接間接にあらゆる国民があまねくその恩恵に浴している。しかし、いざそれらが近所に建設されるとなると、その反対運動のパワーは驚くべきものがある。それらと同様の反対運動が起こってもなんら不思議はないし、理屈も道理もないとしても、その心情は理解できるものである。結果として、なんらかの金銭的な補償で解決することが現実には順当であり、それはコストとなってはねかえる。 よく言われる治安維持の問題も、どのようにコストを負担するのかは大問題である。警察力を強化して治安を維持するというのは正攻法であるが、そのコストは誰が支払うのか。あるいは、ある程度の治安の悪化はやむを得ないとして容認するという方法もある。この場合は、住民が治安悪化という形でコストを負担しているということになる。それに見合うメリットが住民にあるのでなければ、この方法は採用されないだろう。 また、実際に受け入れを行なえば、差別の問題の発生は避けては通れないだろう。それを是正するためのコスト、予防するためのコスト、被害を補償するためのコスト、これらもすべて発生してくることになる。 逆に、受け入れ方によっては、コストを軽減できる可能性もある。例えば、日常生活レベルの日本語ができる、ということを受け入れの条件にすれば、言語によるコミュニケーション・ギャップは大幅に解消され、コストもかなり低減できるだろう。コストを外国人に転嫁するわけである。送り出し国に一定の負担を求めることも、理解は得られにくいだろうが不可能ではあるまい。たとえば、外国人が本国に送金する場合、それに課税するといった方法は考えられてもよいはずだ。 外国人受け入れのコストは、決して住宅と教育だけではない。すでに外国人が多数居住している自治体などの例を見れば、おおむね予測はつくだろうが、さらに増えた場合に思わぬところからコストが発生してくる可能性もある。また、移民なのか、出稼ぎなのかによっても、いろいろと異なってくるだろう。決して軽々しく、甘く見ないようにしなければならないだろう。 c.優れた外国人に日本で働いてもらうためには 日本は、制度面では、国際的に比較して、外国人労働に開かれた国であるにもかかわらず、必ずしも多くの外国人が働いているわけではない。特に、わが国にとってメリットの大きい、優れたノウハウや先端技術を持った外国人は、期待ほどには多くないという実態がある。 外国人から見て、日本は働きにくい、暮らしにくいということが、実にたびたび議論にのぼる。仕事にせよ暮らしにせよ、言葉の問題はもちろんある。しかし、実は日本語の難しさのほとんどは「漢字」のせいである、という話もあるらしい。それはそれとしても、優れた外国人と一緒に仕事をするような日本人であれば、英語でのコミュニケーションの問題はそんなに大きくはないだろう。暮らしの場面では不自由があるかも知れないが、それまで解消しようとすればたいへんなコストがかかる。少なくとも、外国人のエグゼクティブとその家族が立ち回るようなところであれば、そんなにもコミュニケーションで苦しむということもあるまい。言葉の問題は大げさに言われ過ぎているように感じる。英語を第二公用語にせよとの提言があったが、思い付きにしても荒唐無稽だ。 私は、おそらく日本で優れた外国人の就労が少ない最大の理由は、外資の投資がまだまだ少ないからというのが最も大きな理由ではないかと思う。海外で働く日本人にしても、やはり日本企業の国際展開にともなって、海外支店の従業員、あるいは現地法人の駐在員などの立場で働いている人が多い。 そういう意味では、この2年くらい、日本への外資の投資が増えている。外資系金融機関の進出は相次いでいるし、丸の内・大手町界隈で外国人の姿を見掛けることも多くなってきたと感じる。日産自動車には、カルロス・ゴーンの他にも、何人も外国人の役員や幹部がいるそうだ。外資の進出につれて、外国人の就労は今後ますます増えていくのではないかと思う。 その他の問題点としては、私自身の経験からは、日本に滞在したほとんどすべての外国人が例外なく文句を言うのは、物価の高さである。東京だと、通勤ラッシュがこれに加わる。もちろん、他にもいろいろと不満は寄せられるが、個人の好みのような問題が多い。 物価の高さは特にアジア諸国の人にはつらいようだ。アメリカ人でも、自販機のカップ入りのコーヒーが1ドル、缶ビールが2ドルというのはクレイジーだと言う(おおむね、アメリカの3倍、2倍くらいらしい)。夜のお仕事にアジア系の女性が多いのは、日本の物価の高さゆえに、なるべくたくさん稼げる仕事に向かわざるを得ないという事情が背景にある。こうした状況はなんとかしたいという声も強い。しかし、いわゆる内外価格差問題だが、その解消は言うは易しく行なうは難しだろう。 逆に、気候の蒸し暑さについては、ASEANの人は平気なようだが、欧米人は苦情を述べる。住宅が狭いというのも、言うのはアメリカ人くらいである。欧州人でも都市部の人は日本のマンション並のコンドミニアムに住んでいることが多い。 オフィスに関しては、個室が普通と思っている欧米の上級ホワイトカラーにとっては、日本の大部屋はあまり居心地がよくないようではある。まあ、これは必要に応じて個別に考えればいいことであり、実際、外国人幹部には特に個室を与えるなどの配慮をしている企業もあるらしい。 企業風土については、権限や役割分担、意思決定が明確でないとか、職場外のインフォーマルなコミュニケーションの位置づけが大きいとか、欧米企業と比較して「だから日本企業はダメ」というような話は、話としてはよく聞くが、現実に外国人に意見を聞いてみれば、確かに不満ではあるが、本国でも同じような不満がないというわけではないらしい。彼らは逆に日本企業の良さもそれなりに認識している。まあ、どちらかと言えば不満の方が多いことは間違いないようだが・・・。 これとは逆に、優秀な人材であれば、外国からも積極的に引き抜いてくるべきだ、という議論も、最近はしばしば見られる。IT技術者の世界的な不足の中で、アメリカやドイツの企業が、あるいは国策として、インド人などの優秀なIT技術者を自国に招こうという動きが出てきたため、わが国でもそのようなことを行なうべきであるという議論である。 確かに、優れた人材であれば国籍に無関係に採用し、活用することが合理的であるというのは一理ある。もちろん、国籍が違う人を海外から連れてくるわけだから、それなりにコストは必要となるが、それでもペイするのであれば、企業活動としては正解かも知れない。 しかし、例えばインド人のIT技術者、先端技術を持つ人ということになると、おそらく彼(彼女)をそこまで育成するためには、相当の国費が投入されているに違いない。そういう人材を、本人を札束で一本釣りするような方法で引き抜くというのは、外交倫理上いかがなものか、という感じは否めない。インドの国立工科大学(日本でいえば東工大あたりに相当するのだろうか)では、卒業生の半数が海外に流出してしまうのだという。とりあえずは、彼らが本国に送金するドルはインドにとって貴重な外貨なので、それなりにバランスは取れているということらしい。しかし、それでは、国内の産業を支えるべき人材が不足するという事態を招きかねない。最近ではインドも人材の海外流出を規制する方針に転換したと聞く。やはり人材は国内で育てるというのが正論であって、国際社会で恥をかくようなことにならないようにしてほしいものである。 私は、少なくとも上級ビジネスマンについては、日本での外国人の就労は増えていくと思うし、増やすための特別の努力を大いにすべしとの意見は持たない。優秀な外国人が日本に来ない、というのは、ビジネスの世界というより、むしろ大学や研究機関などの問題のように思われる。 d.外交問題としての外国人労働 さて、上級ビジネスマンの受け入れならば、そんなに大きな問題とはならないだろうが、より受け入れの幅を広げて、例えばブルーカラー、さらには未熟練労働といった職種まで、多数を受け入れていこうということになった場合は、複数の送り出し国との外交問題になるわけで、これをいかにうまく処理していくかというのも、大きな課題だろう。 こうした労働力を受け入れるとなると、実際の受け入れは、近隣のアジア諸国からが多くなるのが自然だと思うが、移民にせよ出稼ぎにせよ、各国とも日本になるべく多くの労働力を受け入れてほしいというのがホンネだろうから、どの国からどういう人を何人受け入れるのか、といった計画を作ることは、非常に難しい外交テーマになるものと思う。 仮に計画ができたとして、入国の際には当然審査を行なうことになる。そもそも、その審査基準を作ることが非常に難しい(例えば、防疫のための検査を行なうことを認めるのか?など)上、実際に不合格となって入国を拒否された場合、本人も収まらないだろうし、本国政府も納得しないこともあるだろう。こうした問題への対処も難しい。 さらに、入国後、場合によっては、外国人に対する差別の問題や、不当、不正な扱いといった事態が発生することも、あってはならないことだが、考えには入れておく必要がある。というか、現実には避けて通ることはできないだろう。さらには、外国人が犯罪を犯し、国内法にもとづいて処分される場合に、冤罪ではないか、あるいは重きに失するのではないか、といった問題が、国民感情を背景に大きな外交問題に発展することは、すでに他の国では実例もある。 しかも悪いことに、日本の特殊事情として、もともと、近隣諸国には、先の大戦の経緯などから、日本に対する反感も根強いということがある。したがって、些細なはずの問題が、こうした感情も手伝って、きわめて厳しい外交問題となりかねない。 外交的には、「入れる」のも「入れない」のも困難だが、「入れる」方がより困難が大きくなる可能性があることを銘記しておかなければなるまい。 e.若年労働と外国人労働 最後に、3K労働における外国人労働について、もう一度考えてみたい。 「3K」という言葉自体が、バブル期の人手不足の時代に生まれたものである。当時は若年労働力は奪い合いの状態で、きつい、きたない、危険な仕事は若者に敬遠されるという文脈で流行語になった。そこで、そうした職場には、合法非合法の外国人労働力が広く入り込んで行き、それを仲介するブローカーが暗躍した。当時は、いくら給料をはずんでも(もちろん、おのずと限界はあるにしても、かなり高騰した)、日本人の特に若年層はそういった職場では確保できず、外国人は低賃金と言われたが、ブローカーのマージンなどを考えると、格別外国人が企業にとって安上がりということはなかったとも言われる。こうした中で、若年層の中には、「あれは外国人の仕事」といった、人も仕事も見下すような雰囲気が醸成されていたことも、悲しい現実であった。 さて、バブルが崩壊し、急速に人手不足は解消し、人余りの状態となった。多くの3K職場から外国人が消え、日本人に代わるようになった。しかし、それでも、とりわけ3Kな職場は、依然として外国人が担っている。完全失業率が過去最悪を記録し、300万人もの人が失業している状況なのに、それでも日本人が就労しない職場がある。 実際、それらの仕事は実にきつい。雇用主にしてみれば、リーズナブルな賃金で、まじめに就労する外国人の方が重宝だというのも偽らざる本音らしい。事実として、それらの仕事、あるいはその周辺で働いている日本人の賃金も、格別高いというわけではなく、その比較からして、それらの仕事にもそんなに高い賃金は支払えない。となると、その賃金でそれらの仕事をやってくれるのは外国人だけ、ということになってしまうのだという。 しかし、だから外国人に違法に就労させることが認められてよい、ということではないだろう。やはり、本来は、日本人がその仕事に従事してもよいと考えるような賃金を提示するのが正論であろう。周囲とのバランスで高くなり過ぎるというのであれば、それは周囲が低すぎるのである。もし、周囲の誰かが退職したとして、同じ賃金で代わりを採用することはおそらく難しかろう。となると、賃金を上げるか、その賃金で働く外国人を採用するかしかないということになる。要するに、外国人を使うということが、本来ならもっと高賃金の職となるはずの日本人の就労をクラウディング・アウトしているのである。 それらの仕事は非常にきついゆえに、中高年の失業者にこれに就職せよというのはさすがに過酷である。しかし、失業者は中高年ばかりではない。むしろ、若年の失業率は10%を超えている。彼らは若いゆえにこのご時世にも再就職は比較的容易であり、多くはより良い、彼らの気に入る仕事を求めて転職するのだが、単に気に入る仕事が見つからないというだけの理由で、親のスネをかじってぶらぶらしているだけの人もいる。彼らの中には、それなりの高賃金であれば、3K職場も一丁やってやるか、という人もいるに違いない。当然のことながら、彼らに3K労働への就職を強制することはできない。労働条件で誘引するしかない。しかし、たいした技能もないのに(技能があればその技能を生かす仕事を探すという要因が入ってくる)、仕事を選り好みしてぶらぶら失業している若者の一群がいる一方で、外国人労働がどんどん増えていく社会というのが、健全な社会であるとは私にはどうしても思えない。 ◇おわりに 以上、外国人労働の問題について、さまざまに考えてきた。私には、この問題に関する結論はない。というより、文中でも触れたとおり、判断の材料となるような確からしい情報がないので、判断しようがないのである。ただ、私の印象としては、外国人労働が必要であると考える人も不要であると考える人も、この問題を安易に考え過ぎているきらいがあるのではないかという気がする。実際、わが国の少子高齢化や財政の実情は、外国人労働の導入なくして、国民が現在の生活水準を維持することは、まず不可能に近い状況になりつつあるのではないか。しかし、その一方で、わが国への外国人労働の導入を拡大、特に単純・非熟練労働にまで大きく拡大した場合、その社会的コストは膨大なものになることも間違いない。 私の個人的な予感としては、この問題で国民的なコンセンサスを形成することは困難を極めるように思われる。すなわち、これを争点に総選挙(=国民投票)が必要となるような問題であるはずだ。 今まで触れなかったが、現時点では、「基本的に、外国人は特殊な能力を持つ人しか入れないことを原則、建前とする。ただし、不法滞在、不法就労も、ある部分までは必要悪として目をつぶる。ただし、非合法という位置づけは維持しておいて、排除が必要となった場合は排除できるようにしておく」という暗黙のコンセンサスが出来上がっているように感じる。確かに、欧州諸国の経験を見ても、不況期には外国人の排斥を訴える声が高まっている。非合法にしておけば、こういう時期には、黙ってお引き取り願うこともできる。事実、バブル崩壊後、そのようにして多くの外国人にお引き取りいただいているのではないか。 これはなかなか賢明な方針であるかも知れない。しかし、企業の立場にしてみれば、所詮は非合法なのだから、「大手を振って」雇用はできない。非合法だからということが低労働条件につながっている面も無視はできないだろう。そして何より、事実上その存在なくしては経済のある部分は成り立たなくなっている外国人労働者を、いつまでも「非合法」という位置づけに置いておくことが本当にいいのかどうか。もちろんこにれは、受容という選択と、排除という選択の両方がありうる。 現状のまま、はっきりさせず、あいまいな状態を続けるのか、それともはっきりさせるのか。あいまいには限界があり、はっきりさせるには労力を要する。結局のところ、ぜひともはっきりさせなければならなくなるまで、あいまいな状態を続けるのだろうか。それはそれで現実的な選択なのかも知れないが、後から振り返って後悔することになるかも知れない。とにかく一度判断についての材料をいろいろ揃えて、しっかり議論しておいて悪いことはないはずだ。 |