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1966年から1969年にかけて、日経連は民間企業の実務家たちによる「能力主義管理研究会」を開き、報告として、学歴、勤続・経験年数(≒年齢)などから推測される「潜在能力」中心の人事管理から、「業績として顕現化された」いわば「顕在能力」中心の「能力主義管理」への転換とその具体策を提言した。当時、その内容は非常に大胆なものと評価され、現在では、わが国労務管理史において画期的な出来事として高く位置づけられているという。 この5月に、その報告書が日経連から復刻された。その内容を論評することは、一介の実務家に過ぎない私の力の及ぶところではない。報告が世に出て30数年を経た現代の実務家がこの本をどう読んだかを書かせていただくこととしたい。 報告書は、能力主義が求められる理由として、将来的な労働力不足、高齢化、高学歴化、賃金水準の上昇、技術革新の進行、(欧米の模倣でない)技術開発に対するニーズ、国際競争の激化、若年労働者の価値観の増大などの環境変化をあげている。それから現在に到る30数年間、高齢化も高学歴化も賃金水準の上昇も技術革新もさらに進行した。国際競争が厳しくない時などなかったし、若年労働者の意識はいつの時代も前の世代とは異なっていた。企業が競争社会に生きる以上、昔も今も常に環境は厳しかったし、さらにその間、日本経済は二次にわたるオイルショックとプラザ合意以降の円高という大きな外生的ショックを受けてもいる。 そして現在、ここで述べられた多くの施策のほとんどが、程度の差こそあれ、現実のものとなり、拡大し、定着しつつある。この事実は、30年前には非常に大胆と見られたこの報告のすぐれた洞察力が、歴史によって検証された結果だと言っていいと思う。私たち実務家はまず、30数年前にこうした議論を行い、その後30年以上にわたってそれを現実化し、あるいは「日本型雇用ポートフォリオ」や「裁量労働」などといった新たな考え方をも取り込みつつ、今日の人事管理を築き上げてきた数多くの先輩たちの大きな努力に、深く思いをいたすべきだろう。そして、自信を持って、その路線と精神を引き継ぎ、進化させていきたいものだと思う。 この報告書の精神とは何かを考えてみるとき、448頁、2部13章から成る本文のうち、実に4分の1以上にあたる124頁が「能力評価とその運用」ただ1章にあてられていることに気づく。「能力主義管理」だから当然と言えば当然かも知れないが、そこには、当時の実務家たちが、能力主義管理の必要性を確信しながらも、「人間が人間を評価することの難しさ」をきわめて謙虚に受け止め、真摯な議論を重ねたことを伺わせて余りあるものがある。また、報告書は「やめる自由とやめさせる自由」を主張する。しかし、この「やめさせる自由」とは、報告書によれば「再教育再訓練→再配置をくり返し与え、なお、期待する職務業績をあげえない場合は社外における能力活用をはかる…それを拒否する場合は処遇(賃金)は低きに甘んじなければならない」ということだから、やめさせないように訓練と処遇とで最大限の努力を払うということを意味している。このように、「人間の能力や適性をよく知るには努力と時間が必要」、あるいは「現実の仕事を通じて育ち、育てる」、さらには「環境条件の不備のために持てる能力を発揮できない人がいる」などといった考え方が、この大部の報告書を一貫しているように感じる。 そこには、当時の実務家たちの、「神ならぬ人が、モノならぬ人に向かいあう」人事という仕事への、おそれにも似た感情が反映されているように思える。それこそが「人間尊重」ではなかろうか。この報告書がすぐれた洞察を示しえたのも、こうした精神に立って、繰り返し深い議論を重ねたからこそと思えてならない。 これはもちろん、私個人の感想に過ぎない。ただ私は、この本を読んで、諸先輩の謙虚さや真摯さ、考察の深さに比べて、まだまだ修行が足りないと感じざるを得なかった。世間で人事制度やその運用の見直しがさかんに行われている今、この本が復刻されたのは、史料としての価値もさることながら、私たち実務家に対する警鐘の意味も持ちうるのかも知れない。であれば私は、この本を座右において、未熟な自分の励ましとすることにしよう。 |