「春闘」の役割は終わったのか
(平成14年4月)
「日本労働研究雑誌」2002年4月号所収



  原稿のもくじに戻る
homeホームに戻る


春闘の歴史に見る三つの役割

 1955年に太田薫合化労連委員長が「労働組合運動の根幹は政治闘争ではなく賃金闘争である」という考え方のもと、八つの単産を集めて賃上げ要求を行なったのがいわゆる「春闘」の始まりとされている。労組のベースアップ要求に対して、日経連はじめ経営サイドが定期昇給制で対抗していた時期であり、この八単産の取り組みが定期昇給を上回る成果を上げたことから、翌56年には官公労組も加えて総評主導による春闘の原型が成立した。この時期の春闘の役割は、まずは共闘による「大幅賃上げ(ベースアップ)獲得」にあったと考えられる。これを春闘の第一の役割としよう。
 こうした状況は73年の石油ショックとインフレ、高度成長の終焉によって一変することになる。インフレ対策をめぐって労使対話がはじまり、政府の介入もあって、75年には春闘は国民経済との整合性ある賃金決定という考え方への転換を迫られた。この時期に、金属産業−私鉄−公共事業体−公務員という春闘の賃上げ相場の大きな流れが定着して、さらに他の産業、他の企業に及ぶという「相場形成・波及」の枠組みができあがったと見られる。これを春闘の第二の役割としよう。
 87年11月に発足した民間連合は、88年の春闘を「総合生活改善の取り組み」と称し、賃上げに加えて労働時間短縮、制度・政策要求を「三本柱」とした。90年の春闘では労働サイドはさらに賞与・一時金、福利厚生などに関しても要求を行い、経営サイドもこれに応えた。こうして、春闘はその範囲を賃上げ以外にも大きく広げ、労働条件だけではなく、その背景としての経済情勢や経営状況、あるいは人事制度なども含めた労使の幅広い対話、コミュニケーションの機会としての役割を負うことになったと考えられる。これを春闘の第三の役割としよう。

「大幅賃上げ獲得」の役割は終わった

 まず、第一の役割「大幅賃上げ獲得」について見ていきたい。


資料出所:厚生労働省調査(賃上げ率)
     内閣府経済社会総合研究所「国民経済計算」(実質GDP成長率)

 図1は、58年から99年までにかけて、賃上げ率と実質GDP成長率の前後2年をふくむ5年移動平均を示したものである。賃上げ率はGDP成長率のおおむね数年遅れで推移している。74年までの春闘は年10%前後という高度成長を背景に右肩上がりの大幅賃上げを獲得してきたが、年4〜5%の安定成長への移行という転機にあっては、その考え方も成果も転換せざるを得なかった。それをみて、75年には春闘生みの親である太田薫氏自身が著書「春闘の終焉」を発表するなど、春闘終焉論が展開されたが、こと前年実績プラスアルファで大幅賃上げを獲得するという役割に関しては、この時点で終わったと考えることもできるだろう。最近では、01年の春闘で賃上げ率が定期昇給のめやすとされる2%を割り込み、02年の春闘では連合がベースアップの統一要求基準を見送った。春闘開始の動機のひとつが「経営サイドが主張する定期昇給制への対抗」であったことを思えば、ますます春闘の第一の役割は終わったという感がある。

「相場形成・波及」の役割は終わったか

 次に、第二の役割「相場形成・波及」についてはどうか。経営サイドは春闘のこの役割に対しあまり肯定的ではない。日経連は95年春闘で「わが国の高物価体質の大きな要因が各企業の生産性や支払能力を無視した横並び賃上げによってもたらされた」「先行する金属産業などの賃金決定をみつつ、安易に追随型の賃金決定を行うという構図の見直し」などと主張している。
 一方、連合は、01年の春闘において「春闘改革」を旗印のひとつに掲げた。同年の連合白書は「春季生活闘争は、日本経済にビルトインされた『社会的所得配分メカニズム』」「労働組合の組織率が低く、労働協約がカバーする範囲も限られているのに、こうしたメカニズムが働いてきたのは、情報の伝達と共有を通じた一種の調整機能として春季生活闘争が機能してきたから」と「相場形成・波及」の意義を肯定的に再確認している。その上で、「これまでの相場形成→波及パターンが今後も機能するのか?」という疑問を投げかけている。


資料出所:厚生労働省調査(大企業・中小企業)、中労委調査(四現業)、
     金属労協「2002年闘争の推進」(金属労協)

 この疑問を裏付けるデータがある。図2は1992〜2001年の、金属労協、厚生労働省調べの大企業(従業員1000人以上)、同中小企業(同300人未満)、中労委調べの四現業の賃上げ率の推移を示したものである(比較のため、四現業は定昇見合い分として2%を便宜的に加算している)。太線が春闘相場に指導的な役割を果たすといわれる金属労協のデータである。中小企業のデータは点線で示した。見るとおり、97年以降は中小企業への影響力がかなり低下しているように見える。
 01年の春闘はこうした問題意識のもとに、さまざまな課題を掲げて取り組まれたが、図2で見る限り効果は明らかではないようだ。経済情勢の悪さもあり、成果が上がるまでには時間がかかるとの見方もあろう。春闘の「相場形成・波及」という役割が終わったのかどうかは、いましばらく推移を見なければ判断できそうもない。

「労使の幅広い対話の場」としての役割は続く

 最後に、第三の役割の「労使の幅広い対話の場」を見てみたい。連合が「春闘改革」を掲げた01年、日経連の労働問題研究委員会報告は「賃金などの労働条件を横並び対応で決定する時代は終わったから、いわゆる春闘も終焉したという見方もある。しかし、われわれは年に一度、自社の労働条件、経営の実情、さらに企業を取り巻く経済環境の変化などについて、労使が真剣に論議することは望ましいと考える」と述べている。「国民総学習」の場としての春闘の役割を高く評価したものと言えるだろう。  労働サイドにも、春闘で取り組むテーマを拡大しようという動きが見られる。連合は、98年の春闘から、従来の「賃金・時短・雇用」の三本柱に「ワークルール」を加えて四本柱とした。00年の春闘では60歳以降の雇用延長が、01年にはパートタイム労働者の賃金引き上げがテーマとされ、02年には、多くの労組がベア要求を見送ってまで雇用の維持・安定を春闘の重要なテーマとした。春闘のカバーする範囲は毎年のように拡大しているといえそうだ。「労使の幅広い対話の場」としての役割も拡大しているといえるだろう。労使をとりまく環境がますます大きく、速く変化する中で、春闘の第三の役割は、これからさらに重要性を増していくのではあるまいか。

(参考文献)
太田薫(1975)『春闘の終焉』(中央経済社)
神代和欣・連合総研編(1995)『戦後50年産業・雇用・労働史』(日本労働研究機構)
津田真澂(1980)『労使関係』(日本経済新聞社)
日本経営者団体連盟編(1998)『日経連五十年史』
−(1995)『平成7年版労働問題研究委員会報告』
−(2001)『2001年版労働問題研究委員会報告』
日本労働組合総連合会(1998)『1998連合白書』
−(2001)『2001連合白書』


原稿のもくじに戻る
homeホームに戻る