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この本には「フランス労働法制の歴史と理論」という副題がついており、その大半がフランスに関する記述に費やされている。第1章では、フランスの労働法制成立の過程と現状が、文化・社会・政治・思想などさまざまな背景をふまえながら記述される。第2章では、それをふまえて、フランスにおける労働法をめぐる理論面での議論、法学に限らず、経済学や社会学などさまざまな立場からの理論的議論が紹介される。とりわけ、第2章の後半で紹介されているシュピオの労働法理論とメダの政治哲学とは、きわめて深い哲学的考察に裏付けられたものであり、さすがに人文科学、哲学に豊富な蓄積のあるフランスならではと感じさせるものがあるように思う。これらの内容はわが国ではあまり紹介されることがないものと思われるだけに、それだけで価値のある本と言えそうだ。 しかし、この本の意図は、フランス労働思潮の紹介にとどまるものではない。そこから得られる視点によるわが国労働社会の歴史分析・理論分析を通じて、わが国労働社会の将来像を提示しようというものである。まことに骨太な構想であり、きわめて野心的な試みと言うべきであろう。 著者はまず、日本社会の歴史分析として、日本社会は共同体における和を重視する伝統的側面、西洋近代を範とする近代的側面、多様化・複雑化の進展する脱近代的側面とが同時に内包された混沌とした状況、すなわち「近代化」の中で形成された「伝統的側面」と「近代的側面」の折衷・融合的社会が、「脱近代化」の中で大きく動揺しつつある状況にあると述べる。 次に、日本社会の理論分析として、「自由」「社会」「手続」「労働」の基本的視点から考究される。「自由」については、多様化・複雑化の中で柔軟性を持った制度、それを内包しつつ社会的公正を担保できる法規制が必要であるとされる。「社会」については、やはり多様化・複雑化の中で、分権的で公正さを担保できるコミュニティづくりが重要であるという。そして、そのためには、当事者による多元的・複眼的で柔軟な議論・調整を尊重し、そこにおける論証的相互作用のなかに新たな法的理性を見出そうという、法の「手続化」が望ましいと述べる。とりわけわが国においては、議論・調整の開放性・透明性を確保し、多様な価値・利益が尊重される制度的基盤の整備が必要であるという。そのうえで、「労働」に対する経済的要請が強まる中で、なお「労働」に「人間」としての価値を見出すのか、それ以外の真に自立的で主体的な活動に新たな価値を見出すのかを社会的に決定していくことになるという。 これら分析を通じて得られた、今後の日本の労働法のあり方は、きわめてシンプルなものである。第一に、国家レベルの政治的討議によって、社会で尊重されるべき基本的価値、基本原則を設定する、第二に、その具体的運用・適用を利益当事者による集団的協議・調整に委ねる、というものだ。ここで重要なのは、利益当事者に開かれた透明で公正な調整が行われ、それが国家が定めた基本原則を尊重しつつ公正に行われたかを裁判所などが事後的かつ迅速に審査するという、真の意味での法の「手続化」が進められることだという。 実務家にとっても、示唆に富んだ本だと思う。まず第一に感謝したいのが、前述のとおり、現代フランスにおける深い哲学的思索の成果をコンパクトに紹介してくれたことである。わが国の現状を見ると、経済的利益、それも短期的な利益のみを追求する単線的な思考が大いに幅を利かせているように見える。そうした中で、評者も含めた人事・労務担当者も、本来なら正面から向き合って苦悩すべき根源的問題、労働とは、働くことの意味とは、企業の社会的役割とはなにか、企業は従業員の自由をどこまで制約できるのか、といった問題に対する真摯な姿勢が不足しているように感じられる。大いに反省しなければなるまい。 第二に感じるのが、日本社会の理論分析が、すぐれて理論的な考察に終始しているにもかかわらず、実務家の実感によく一致しているということだ。とりわけ、海外との比較による議論にありがちな日本社会に対する一方的な批判に陥らず、その長所と短所をバランスよく冷静に記述している点に好感を覚える。それが現場の実感にもマッチした説得力ある議論の展開に結びついているのではなかろうか。 第三に、多様化・複雑化が進む中で、共通の価値観を共有したうえで、具体的事項は労使自治に多くを委ねていくという考え方に、しっかりした根拠のひとつを付け加えてくれたことに感謝したい。これは信頼関係・協調関係にある労使が共通して目指す方向性に一致しており、その方向性の正しさをあらためて確信させてくれたように思う。 この本は、基本的な理念型を示しているが、その具体的展開はほとんど行われていない。それが物足りないと感じるむきもあるだろうが、この本はそういう本なのだろうと思う。とはいえ、この理念を現実化していく上ではさまざまな課題が現れそうなので、一つだけ指摘しておきたい。 現実に、企業実務の現場を見ると、さまざまな労働条件や制度、その運用などは、それぞれに労使の交渉と妥協の産物として出来上がっている。そのため、ひとたび全体を見ると、実は細かいことで辻褄があわないといったことが起こる。これは企業内の限られた世界での話だが、今後社会的に「手続化を通じた法的理性」を見出す作業が積み上げられたとき、一つ一つの手続きは公正であっても、法体系全体としての整合性に齟齬を生じる可能性は否定できない。そのとき、それをもって良しとするのか、あるいはなんらかの整合性担保のしくみを考えるのか。こうした点がこれからの課題になりそうだ。 実務家が読むにはかなりハードな部分もあり、フランス史の基本的知識も必要なので、広くおすすめするという本ではないと思うが、困難をおして読んで得るところの多い本であると思う。 |