大竹文雄著

「日本の不平等−格差社会の幻想と未来」

日本経済新聞社



 数年前、橘木俊詔(1998)『日本の経済格差−所得と資産から考える』(岩波新書)や佐藤俊樹(2000)『不平等社会日本−さよなら総中流』(中公新書)がベストセラーになった。この2冊はその後、データの解釈や分析の不備が指摘され、その結論の妥当性も疑わしいとされているわけだが、世間ではむしろ「日本の格差と不平等は拡大している」という認識が定着しつつあるのかもしれない。
 この本は、この「日本の格差と不平等」について、経済学の立場から調査・検証し、一定の科学的結論を得た本格的な研究書であり、出版社の宣伝にもあるように「不平等問題研究の決定版」といえるものだろう。とりわけ優れた点としては、その広範さと入念さがあげられるように思う。
 第一の「広範さ」という点に関しては、この本は所得格差の実態とその要因にとどまらず、「どんな人が」「何をみて」格差拡大を感じているのか、その「感じ」は当たっているのか、格差拡大を問題だと考えているのは誰か、といった論点まで幅広く論じている。
 この本によれば、80年代以降日本の所得格差は拡大したように見えるが、その大部分は高齢化による見せかけの拡大である。これは定説となっているといっていいだろう。しかし、冒頭にあげた2冊が現実によく売れたように、多くの人は格差が拡大したと感じている。政策の場面では、「人々がそう思っている」ということのほうが「事実そうだ」ということより重大な意味を持つ場面は往々にしてあるから、誰が、なぜそう思うのか、の分析は重要であろう。著者は様々な検証を通じて、「人々が格差拡大を感じるのは賃金や収入の格差の拡大自体からではなく、失業者やホームレスの増大からかもしれない」「リスク回避度の高い人ほど所得格差の拡大を感じ、それに批判的で、再分配政策を支持する」「女性は所得格差拡大には批判的だが再分配政策は支持しない」「賃金格差の拡大は英米より小さく、成果主義賃金は今のところ賃金格差を拡大していない」「高学歴若年男性正社員を除き、パソコンの使用は賃金を高めない」「日本の賃金が年功的なのは、経済学的な説明のほかに心理学的な説明も無視できない」などといった興味深い結論を数多く引き出している。世間の一般的な認識と異なるものも多く、政策的含意も豊富である。成果主義と意欲に関する分析は、企業の人事担当者の実感ともよく一致するように思える。
 第二の「入念さ」に関しては、冒頭の2冊がデータの解釈や分析の不備を指摘されたということは、この問題を分析する上においてデータ面での困難がいかに大きいかを示している。この本はその大きな困難に、多くの既存統計の慎重な再集計と三つにおよぶ独自調査、そして入念な計量分析によって挑戦、克服している。たいへんな労作といえるのではなかろうか。また、計量分析手法に関しては私の能力をはるかにこえるが、天気予報の降水確率を利用したリスク回避度の測定や、同一個人の転職前後のデータを利用したコンピューター・プレミアムの抽出は、素人目にはたいへん鮮やかなものに映った。
 本格的な研究書だけに、実務家が読むにはかなりの労力を要するが、身近なテーマであり、企業の人事管理とも深く関連している。意欲ある人事担当者には強くお勧めしたい一冊だと思う。

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