福岡道生著

「人を活かす!現場からの経営労務史」

日経連出版部



 日経連の専務理事を9年間の長きにわたって務めた福岡道生氏の著書が出版された。福岡氏は1955年に旧八幡製鉄に入社、以降一貫して経営・労務畑を歩み、92年に日経連常務理事、93年には日経連専務理事となってわが国人事・労務をリードしてきた。この5月には経団連との統合を機に勇退することが決まっている。この本は、著者の長きにわたる「経営労務」における仕事の集大成といえるだろう。
 この本は著者が自身の経験を語り、岡崎哲二、佐藤博樹、菅山真次、都留康という当代を代表する研究者がそれを聞き取り、まとめるという形を取っている。戦後の復興、高度成長という活力あふれる激動の時期にあって、わが国を代表する大企業が、経営労務においてさまざまなチャレンジを進めていく様子が、現実の体験をもとに語られていく。くわえて、各章には著者と4人の研究者との質疑応答も付されており、本編で記述されなかった細部がフォローされるという親切な構成となっている。戦後経営労務史の一断面をあざやかに切りとった史料として、貴重な一冊であるといえるだろう。さらに、体験談らしく非常にヴィヴィッドな臨場感があり、読み物としてもなかなか面白い。
 さて、そのような本であるにもかかわらず、一読して受ける印象は、この本は賃金制度の本である、というものだ。もちろん、組織や労使関係、要員合理化、安全衛生などについてもふんだんに記述されているが、賃金制度に関する記述はとりわけ熱をおびている。
 とりわけ著者の強い思いを感じるのは、職務給をめぐる記述である。当時は高度成長とともに技術革新が急速に進んだ時期であり、年功的な賃金と現実の職場での貢献との間に矛盾が生じていた。その矛盾を克服するために、賃金制度に職務給を導入することで、現実に職場での貢献度の高い人には若年であっても処遇を高くすることができたという。これを支えたのは「合理的なことは美しい」という信念であったと著者はいう。本来なら成果に対して支払うのがもっとも合理的であるが、成果には労働以外の要素が大きく入ってくるので現実には難しい。であれば、職務に対して支払うことが次いで合理的であるというのが著者の主張である。その背景には貢献と関係なく年功的に支払われる生活給が「合理的でない」との思いがあることは言うまでもない。著者らは旧八幡製鉄において、すべての職務について職務分析を行なってポイント化し、職務ランクを決定したという。
 その後の現実を見ると、職務給はわが国の賃金に定着することはなかった。その後出現した職能給制度は、その柔軟性と、能力向上を促進する優れたインセンティブであることによって、わが国賃金の主流となって今日に到っている。
 しかし著者は、職務給を経由した職能給とそうでない職能給とは大差があると主張する。職務給を経由しなかった職能給は、年功的な運用をもたらし、職能給そのものの存在を危うくしている実態が出てきたこともまた事実であった。これに対して著者は、これら職能給の年功的運用が、「職務を離れて、あいまいな能力に支払おうとした」と厳しく批判する。それに対して、職務給の経験を通じた職能給は、職務を離れた能力に支払うのではなく、職務(あるいは業績)という形で顕在化した能力について支払っていると主張する。
 この主張は実務感覚とも一致する。実際、「あの人は優秀だ」「あの人は将来有望だ」というときに、その根拠となるのは、「あの時、あの仕事であんなに活躍した」という「顕在化された能力」であることがほとんどだろう。「あの時は結局うまくいかなかったんだけど、しかしあの人の仕事ぶりはすばらしかったよ」と。「この学歴でこれだけ勤続したのだから、能力があるに違いない」などという判断は根拠とはされない。
 こうした著者の主張に対して、聞き手のひとりである佐藤博樹氏(東京大学社会科学研究所教授)は、職務としては顕在化されないが、異常対応などを通じて効率や競争力に大きく貢献する能力が存在すると述べた上で、そうした能力を積極的に評価し、その形成を促進するインセンティブとなる小池式職能給の合理性を指摘している。
 これに対して著者は、異常対応などを通じた貢献が大きいのであれば、それは別の職務であると考えるべきであるとしているのが注目される。これはすなわち、著者が現在考える職務給が、かつて著者自身が実施したような、職務分析でポイント化して賃金ランクを決めるという細分化された職務給とは本質的に異なるものであることを意味するからだ。事実著者は、幅広のブロードバンドによる賃金制度であっても職務給たりうるとも述べている。「賃金が企業業績に対する貢献度に応じて支払われる。生産性の高い人には高く、低い人には低く支払われる」のが職務給であるという。著者も述べるとおり、これらは明らかに職務給の通念とは異なっている。とはいえ、これは今後の賃金制度の方向性を示すものとしては適切で有益な考え方であると言えるだろう。この本は賃金制度の本としてもまことに優れていると評価できよう。
 さて、やはり聞き手のひとりである都留康氏(一橋大学経済学部教授)は、職務給の職能給化、職能給の職務給化という現象を指摘しており、著者もそれを支持している。実際、ここまで拡張されれば、著者のいう職務給と、小池式職能給との違いはみたところあまりない。そういう意味では、著者のいう「新しい職務給」も、すでに整理され体系化されていると考えることもできる。
 現実を見れば、職務でも成果でもなんでもいいのだが、とにかく貢献(顕在化した能力)と処遇との一致を指向する賃金制度の導入は明らかに進展している。むしろ、実務的な問題点は、それ以前の問題として、能力と職務の一致が十分でないという点にあるのではないか。著者自身も、職務給の前提は同一能力同一職務だと述べているが、著者の現役時代には成立していたこの前提が、今日の低成長、ポスト詰まり・仕事詰まりの時代にあっては成立しにくくなっているのだ。具体的に言えば、能力を伸ばし、それを顕在能力として発揮してみせたとしても、常にその能力を顕在化できるような仕事にステップアップすることが難しくなっているのだ。要するに、レベルの高い仕事は限られているのであり、上がつかえているとなかなかいい仕事にありつけないのだ。
 このときに、はたして能力を伸ばしても、それに見合う仕事がみつかるまでは賃金を上げないのがいいのだろうか、あるいは先行して賃金を上げるのがいいのだろうか?
 私の理解では、著者のいう職能給と小池式職能給の違いはここにあるように思われる。そして、私が小池式職能給を支持する理由もやはりここにある。

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