竹信三恵子著

「ワークシェアリングの実像−雇用の分配か、分断か」

岩波書店



 このところのワークシェアリング論議の高まりを受けて、「ワークシェアリング」と題する新しい本もいくつか見かけるようになってきた。著者は朝日新聞のジャーナリストであるという。題材のタイムリーな捉え方、副題の「雇用の分配か、分断か」はじめ「雇用不均衡社会ニッポン」「労働がみえない社会」といったワーディングの巧みさ、独自の取材にもとづく事例紹介、そしてさすがに達意の文章による読みやすい記述など、なるほどジャーナリストらしさの随所に出た本であるといえそうだ。
 しかし、巧みなワーディング、読みやすい文章にもかかわらず、ページを繰るたびに違和感が強まってくるという感を禁じえなかった。読み進むほどに、ワークシェアリングが実体のない絵空事に思えてきてしまうのだ。
 この本では日本と欧州の「ワークシェアリング」と称される取り組みが紹介されている。その上で、日本における「ワークシェアリング」は、「雇う側の都合に合わせて雇用を上から裁断」し、安定して良質な仕事を不安定で悪質な仕事に分割する「雇用の分断」であると断罪する。そのうえで、生活の質の向上と雇用の安定を備えた「雇用の分配」を、「働く当事者による自発的な分け合い」として実施すべきだと主張している。出来の悪い社会主義のような意見だが、著者は真剣にそう考えているらしい。実際、いかなる内容の短時間労働であっても、生活が支えられるだけの賃金が支払われなければならないという主張は随所に出てくる。公的福祉とあわせて、ではなく、「賃金で」なのだ。
 これは評者にとってきわめて違和感のあるものではあるが、もちろんこうした考え方もあっていいと思う。しかし、もし、これを実現するとしたら、高度な業務に長時間従事している人の賃金水準を相当程度引き下げなければならないだろうし、おそらくはそれにとどまらず、たとえば株主への配分を大きく削るといったことも必要になるだろう。別にそれもそれでありえない考え方ではないのだから、こうした対応が必要となることを明言したうえで、それが現実的なのか、あるいは国民経済にとって望ましいことなのか(評者はそうは思わないが)を正々堂々と議論すべきではないか。そうでなければ、議論以前の問題としておよそ責任ある言論とは言えまい。
 次になんとも違和感を覚えるのが、日本での取り組み事例について、いずれも雇用を守る、あるいは増やすという善良な意図に立って、労使が真剣に取り組んでいるものであるにもかかわらず、何やかやと難癖をつけて否定しようという態度が露骨に見えることだ(さすがにこれは著者もいくらか気がさしたらしく、エクスキューズの記述もされている)。その理由は荒っぽくいえば「もっとひどい目にあっている人がいる」とか「それで現に労働条件が悪化した」といったものであるが、それを言い出したらなんだってそうだろう。つまるところは、著者の主観的な価値観にもとづく色眼鏡(主張を正当化するため、とまでは言わないにしても)なのだ。労使がともに良かれと信じて取り組んでいることをこうまで悪しざまに書かれたら、当事者としてはまことに憤激にたえないのではないか。少なくとも、色眼鏡で見た記述を「実像」と称するのは片腹痛いことこの上ない。
 もう一つの違和感は、この本はワークシェアリングの本というよりは女性労働問題に近い、という点にあるのではあるまいかと思う。実際、この本には、非常勤社員が差別されているのは不当であるとか、介護のホームヘルパーの移動時間がカウントされないのはけしからんとか、それ自体は重要な問題なのかも知れないにしても、ワークシェアリングとは直接関係のないエピソードが目立つ。これも、この本がワークシェアリングを題材にした女性労働問題の本だと考えればわかりやすい。というか、主な関心事項は女性労働問題で、それにワークシェアリングの話を接合している、ということになるだろうか。もちろん、ワークシェアリングと女性労働は密接不可分の問題であることは間違いないだろうが、この本の場合は書名を「ワークシェアリングと女性労働」とでもしてくれていれば、読み方も違うだろうし、受ける印象も異なったものであったような気がする(もっとも、それでは「売れない」からこの書名にしたのかも知れない)。
 もう一つ指摘しておきたいのは、最後の最後になって唐突に精神障害者や引きこもりの就労支援のNPOといったかなり特殊な事例を持ち出してきているところである。それをもって、非営利ならば「生身の人間が持っている能力や生活を生かせる構造」をつくることができる、ということが言いたいらしい。これらはそれ自身は事例としてたいへん優れた取り組みであるし、心情的に反論しにくい材料であることも事実である。しかし、少なくとも政策論としてはあまりにも幼稚で情緒的に過ぎるだろう。この数ページを読んだだけでも、まともに読むに値する本ではないことが明々白々なように感じられる。もっとも、そもそも、こうした煽情的なエンディングの演出効果を期待できる読み手を想定した本なのかも知れないが。
 忘れずに書いておかなければならないが、紹介されている事例に関しては、おそらく独自の取材もあるのだろう、なかなか参考になるものが数多く含まれている。スウェーデンやオランダの取り組みについて、成功している部分だけではなく問題点についてもかなり踏み込んで指摘しているのも好ましい(さすがに最近は世間でも「オランダ万歳」的な論調は減ってはきたが)。女性労働に関するエピソードの中も、話半分に割り引いても興味深いものがある。色眼鏡を通している(特に日本の事例)ことを承知で読めば、けっこう役立つ本であるとも言える。
 とはいえ、やはり現状の正しい理解や現実的な政策論のために資する本であるとは言えないと思う。著者は文中で、日経連が「ワークシェアリング」という語を戦略的に活用したと分析し、その「言語感覚には脱帽するしかない」と揶揄しているが、そう言うこの本も自体がやはり「分配」「分断」などの言語感覚をはじめとする「感覚」に頼った主張に終始してしまっているのが皮肉なところだ。

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