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わが国では、1990年代を「失われた10年」と呼ぶのがどうやら定着しているようだが、最近になってようやく経済にも回復の兆しがみられ、労働市場の需給も改善の方向に向かっているようだ。 この本は、その「失われた」10年間に労働市場でなにが起こったのかを多面的かつ詳細に分析した研究書である。私は経済学の専門家ではないので学問的な評価はできないが、それでも各章の内容は研究活動の充実を十分うかがわせるに足る非常に凝縮されたものであるという印象を受けるし、また一貫して研究者としての高い倫理と良心を感じさせるものであるとも思う。まずはその誠実と勤勉に敬意を表したい。 加えて、各章で抽出される分析結果が、私たち人事労務の実務家の実感とよく一致していることも、この本の価値を一層高めるものではないかと思う。ここでは、そのうちから特に注目される2点を取り上げて紹介したい。 第一は、「本当の雇用消失の原因は、個々の企業の内部にある」との指摘に端的に示されているとおり、90年代の労働市場における問題点の多くが、需要サイド、すなわち企業サイドの雇用に対する需要不足に起因することを明らかにした点だ。 実際、人事労務管理の実務家の視点からこの本を読むと、記述されている分析と表裏一体をなす現場の実態、たとえばバブル崩壊後の急速な経営悪化、デフレと賃金の下方硬直性、あるいはおもに資本市場の要請による、人的投資を阻害する短期的業績指向といったものどもに翻弄され、あるいはこれらと格闘する現場の苦悩がまざまざと想起される(それが、分析が実務実感と一致する、ということでもあろう)。 それゆえ著者は第4章では「業務を通じて自分自身の能力開発を実現できる…仕事が、社会全体でもっと増えなければならない」と述べ、さらに第8章では「人材を育てる中小企業が成長する」という証拠をつきつける。そして、これらを受けた最終章での政策提言も、まっさきに「デフレ対策、不良債権処理など、適切なマクロ政策」が掲げられ、それ以外の政策においても第一に「雇用を創出する企業への支援」があげられている。まことに実務実感に一致した提言と思われる。 これは、逆にいえばこれまで政府が進めてきた、労働市場の供給サイドの改善(職業訓練とか「職業観」の向上とか、より広くとるなら「起業家の育成」もこれに含まれるかもしれない)や機能の改善(情報提供の充実とかカウンセリングとか)を中心とした雇用対策が、いかに的外れであったかを示すものともいえるのではないか。もちろん、これらの政策もそれなりに必要であり、一定の効果が期待できるものではあろう。しかし、それ以上にはるかに重要かつ効果的な政策があったという意味ではまさに的外れといわねばなるまい。 第二は、労働市場における「インサイダー対アウトサイダー」の対立構造を、「中高年対若年」という世代間対立の構図として鮮やかに描き直したことだ。 世間では、いまだに若年雇用問題について「職業観ができていない」などと若年自身の問題とする議論が少なくない。もちろん、それも一面の事実ではあろうが、しかし問題の多くは企業が若年の採用を絞り込んだことによって若年の就職環境が著しく悪化したことにあることは、いまや大方に共通の理解となっており、政策の重点も若年の能力開発や就労を支援する方向に移っている。これに関しては、早い時期からこの問題に注目し、データとその分析をもとに正確な理解を訴えつづけてきた(たとえば、著者は第10章で年代間所得格差の推移を分析し、その結果をふまえて『中高年の正社員に対する雇用保障や手厚い再分配に較べて、若年や自営業に対する施策は、はたして十分といえたのだろうか』と主張している)著者の功績が大きいことは、誰もが認めるところであろう。 とりわけ、個々の企業の人事担当者として、インサイダーを中心に考えざるを得ない実務家としては、この図式は非常に実感にあうものといえよう。さらにいえば、実務家からみればこれは「団塊世代問題」でもある、ということではなかろうか。産業・企業によって濃淡の差はあるにせよ、日本全体の人口構成のアンバランスは企業の人員構成、ひいては人事施策にも影響せざるを得ないだろう。 こうしてみると、団塊世代が中高年にさしかかったこの時期に、わが国がデフレと極度の労働需要不足に見舞われたことは、まことに不幸な巡りあわせであったと考えるほかはない。そのしわ寄せを受けたのは失業者であるとともに、若年層であろう。そう考えれば、若年層への対策はさらに手厚いものであってよいという著者の主張は説得力に富むのではないか。 とはいえ、世代間対立の構図が強調されすぎることが、かえって政策の選択肢を狭めている感もないではない。 著者の提言をごく大雑把にいえば、中高年の雇用を創出することで企業で過剰になっている中高年を移動させ、若年のポジションを空けようというものだろう。そのために、著者は民間の人材ビジネス、とくにアウトプレースメント会社に強い期待を寄せる。 この構想はおそらく、行政による従来の政策に比較すれば現実的なのだろう。それでもなお、これで若年雇用問題(あるいは雇用失業問題全般)が画期的に改善するとは考えにくい。著者は一貫して企業の努力に対して冷淡(まあ、結果をみれば致し方ないところではあろうが)だが、それにしても多くの企業は人材育成や技能伝承の観点から企業の存続のために必要な若年社員を確保するため、中高年の転籍出向先を血眼になって渉猟している。それでもなお需要がないから次善の策として雇用維持しているのが実態であろう。たしかに、アウトプレースメント業者の台頭によって中高年、あるいは管理職などの求人が増加していることも事実だが、しかし圧倒的な供給過剰に対しては焼け石に水という感は免れない。 このような異常事態においては、世代間対立の構図をこえて、世代間の連帯による政策に踏み出すことも考えられるのではないか。たとえば、マクロ経済政策とも連携しつつ、雇用と賃金を分かち合うワークシェアリング的な発想も考慮されてもよかったのではないかと思う。 いずれにしても、現実の雇用失業情勢は緩やかながら改善の動きがみられるようだ。おそらく、中長期的な趨勢として労働供給(とりわけ若年のそれ)が先細る見通しでもあり、労働需要が回復すれば課題の多くは実態として解決に向かうに違いない。そうなったとき、案外この「失われた10年」は、「時間はかかったものの、労働市場ひいては社会全体を崩壊させることなく、痛みを抑えつつ大きな調整をやりとげた10年」と評価されるのかもしれない。 この本は研究書であり、読みやすく書こうとのくふうは感じられるものの、私のような学部レベルの学力しか持たない実務家にはかなり骨が折れた。とはいえ、人事労務担当者が安易に世間の議論に流されず、実務家としての実感を大事にすることの重要性を感じさせる本でもある。そういう意味では実務家に自信を与えてくれる本であり、苦労して読む値打ちのある本だろうと思う。 |