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この本は、アメリカにおける雇用の「ニュー・ディール」について書かれている。1980年代に進行したリエンジニアリングの過程で、アメリカの雇用関係が大幅に変貌した、その前後の状況を仔細に調査している。アメリカの雇用、労働市場について知る上で非常に参考になる本である。 1890年代に米国は深刻な不況に陥り、企業は人員削減の必要に迫られた。退職者年金基金などの機関投資家が、株主として経営に対する影響力を行使し、短期的な業績や株価を追求するようになったことがそれに拍車をかけた。この過程で、それまでホワイトカラーには成立していた雇用保証、内部昇進といった暗黙の了解が完全に破壊された。企業は、従業員が企業に貢献できる限りは雇用するが、そうでなくなれば雇用は保証しない、その代償としてエンプロイアビリティ向上を支援するという新しい枠組みを提示した。雇用のニュー・ディールの出現である。 それによって何が起こったか。従業員の企業に対する信頼は一気に消滅し、モラルは低下した。雇用は激しい流動化をはじめ、優秀な人材は高額のオファーでどんどん引き抜かれるようになった。従業員は「履歴書にはくがつく」仕事を求め、企業特殊的熟練の修得には関心を示さなくなった。社内労働市場に深く社外労働市場が入り込み、むしろ、企業は社外労働市場の人の海に浮かぶような形になった。 しかし、まことに不思議にも生産性は低下せず、むしろ向上したという。 その理由はいくつかあるが、ひとつはリエンジニアリング効果が大きいだろう。組織がフラット化し、中間管理職が減少した。また、不況下では失業のコストが大きかったことも生産性の低下を防いだ。90年代に入ってからは、it化の効果と、逆に好況で賃金が高騰したことが労働者のモラルを向上させたことが生産性に寄与しているだろう。 とはいえ、それではこのニュー・ディールで今後もうまくやっていけるのか、と言えば必ずしもそうではない。実際、米国における人事管理の最大の関心事は、優秀な社員をいかに定着させるかにある。また、著者は特に、企業内での技能の蓄積が行われにくいことを懸念する。これらは環境条件次第によっては大きな問題点になる可能性が高い。 しかし、著者はもはやオールド・ディールに戻ることもできない、という。企業が失った従業員の信頼を回復することはほとんど不可能だし、仮に一企業がオールド・ディールをふたたび実践したところで、せっかく投資して育てた社員を次々とライバル社に引き抜かれるだろうことは自明だからだ。 そうした前提のもとに、著者はその対応策を提唱する。たとえば、パイロットなどに見られる「職人モデル」、すなわち人材を育成する外部インフラの整備である。あるいは、ある地域全体で、産学で人材を融通し必要な職能を育成していく「シリコンバレー・モデル」である。この本を読むと、こと人材に関してはシリコンバレー全体に「シリコンバレー株式会社」とも言うべきシステムが成立していることがわかる。報酬制度や仕事(プロジェクト)の割り振り方、エンプロアビリティー向上による動機づけなども論じられる。 そして、結論として、ニュー・ディールのもたらす格差拡大などの問題点も冷静に指摘した上で、「最後の忠告」として長期的視野の重要性をあげ、ニュー・ディールもいずれは過去のものとなり、その後の雇用がどうなるかはわからない、と述べて終わっている。 われわれがこの本を読む上で気をつけなければならないのは、この本はアメリカの本であり、著者は「もはやオールド・ディールには戻れない」という前提で議論している、ということである。著者はニュー・ディールとオールド・ディールの優劣や善悪については断言を避けているように見える。 実際、著者が示した対応策も、優秀な社員の定着や、企業特殊的熟練の形成といった問題に十分に対処できるものであるとは私にはあまり思えない。そもそも、パイロットや弁護士など、ニュー・ディール的システムが有効な分野ではすでに同様のシステムが成り立っており、そうなっていない分野はやはりそれが適切でないからそうなっていないと考えるのが素直ではないか。おそらく、ニュー・ディールが近年のアメリカでうまく行っているのは、長期にわたる好況の助けによるところが多いに違いない。この本は1999年の本であり、これから始まるかも知れない景気後退期において、ニュー・ディールが企業と従業員にどう影響するか、うまく適応するかどうかは考慮されていないのだ。 不況期におけるニュー・ディールは、おそらく、失業の急増をもたらすだろう。事実、すでにシリコン・バレーでは好況期の人手不足を埋め合わせていた外国人たちの多くが解雇されている。これは実体経済にも打撃だし、ニュー・ディールのもとで能力開発のコストを全面的に負わされた国民にとって、収入の減少が能力開発にどのように影響するかは容易に想像できる。 幸いにして、日本ではまだアメリカ型のニュー・ディールは広がっていない。長期雇用のもと、企業特殊的熟練まで含めて技能を蓄積していく人材育成のシステムもまだ健在である。こうした人材育成が競争力に直結している分野は案外多く、そうした分野においては人材育成システムを失わないように努力することが大切なことではなかろうか。 もちろん、アメリカ型のニュー・ディールがなじむ分野もあるだろう。たとえば金融や証券、シンクタンクなどで、事実これらの分野ではすでにかなりの部分ニュー・ディール的な人の動きも見られる。それが合理的なら、それをさらに進めていけばいいのである。 わが国はまだ、後戻りができないところまで来ているというわけではない。アメリカの優れた点には学びつつ、盲従はせずに、よりよいシステムを維持し、構築していく努力が必要だろう。 なお、翻訳について苦言を呈しておきたい。この本の訳題が「雇用の未来」となっているのは不適当である(原題は "the new deal at work: managing the market-driven workforce")。この本は主に雇用の「現在」を述べており、「過去」にも触れているが、「未来」についてはほとんど語っていない。第1章の原題も"the new deal at work"であり、訳も「雇用のニューディール」となっている。なぜ、書名も同様にしないのか。また、第7章の訳題も「雇用の未来」となっているが、この章の原題も"concluding observations on the new, market-driven employment relationship"であり、内容的にも「雇用の未来」という題がふさわしいとは思えない。いずれも、"market-driven" という語の含意が生かされていないし、この本の内容や主張を超えて、「ニュー・ディールは日本の『雇用の未来』」だと言いたいという意図が感じられる。これは著者に対する冒涜ではあるまいか。 |