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90年代以降、経済と企業業績の低迷が長引くなかで、わが国の労働市場や人事管理は大きく変動した。これらをめぐって、労働政策の面でも経営施策の面でも膨大な議論がなされた。しかし、これらの議論の流れが十分に整理されていたとはにいいがたく、むしろ議論されるほどに混迷の度を深めていったのが実態ではなかったか。政労使ともに本音と建前の使い分けが存在することは否定できないだろうし、人材ビジネス業者やコンサルタントなどが自らの利益のためにする議論も多々見受けられた。 とはいえ、わが国経済が長引く低迷から一応脱するのと並行して、こうした混乱にも一定の収束の方向が見られる(その転機を示すひとつが高橋伸夫「虚妄の成果主義」だろうか)。この時期に行われた行政の政策、企業の施策、そしてその結果としての労働市場の変化、これらを利害や思惑をはなれて冷静に評価・分析し、そこから将来に向けての建設的な含意を引き出すべき時期に至っているのではなかろうか。 この本は、労働経済学の手法によってこうした要請にこたえたものであり、まことに時宜を得た、優れた一冊でといえよう。まずはじめに、この間のわが国経済と労働市場、雇用システムを概観し、それに続いて、賃金の決め方(成果主義)、労働時間(ワークシェアリング)、多様化(非正規雇用)、失業、流動化、労働法制(法と経済学)などの各論を展開する。この間の主要なイシュー、トピックはほぼ網羅されているといってよいだろう。 この本の特長として第一にあげられるのが、その議論の説得力の高さであろう。二人の著者はともに労働経済の理論分析における第一人者だが、この本には著者らが得意とする数学を駆使した難解なモデルは登場しない。用いられるのはごく基本的・一般的な労働経済学の手法であり、それはときに素朴なほどにシンプルなこともあるが、しかし、得られた結論が実務家の実感に非常によく一致していることには驚かされる。著者らの水際立った手腕を示すものであろう。とりわけ、パートタイマーの賃金の決まり方(第5章)やUV分析による構造失業率の推計(第6章)、解雇規制と社会的な効率性や雇用増との関係(第8章)などをめぐる議論は、通説の問題点をシャープに指摘し、含意にも富んでおり、迫力がある。 第二にあげたいのが、ここで用いられているデータ、資料の多くが公表統計であることだ。これはすなわち、独自調査や既存調査の特別集計といった手段を用いなくても、データをもとにしたかなり突っ込んだ議論が可能であることを示している。実務家をふくむ市井の一般人であっても、容易に入手できるデータだけでもそれなりに有意義な議論が可能であることを示してくれていると考えるべきだろう(現実には、この本のような手際よい議論は一般人には難しいにしても)。それはいっぽうで、企業人が議論するにあたってもデータの裏付けが求められると心がけなければならないということでもある。そういう意味では、この本は労働市場との関わりが避けられない企業人、「働く人たち」に対しての、一種のまことに優れた「教科書」であるともいえるだろう。 第三に、この本は読んでいて非常に面白い。とりわけ、労働市場と人事管理について予備知識のある人には、労働市場のさまざまなイシューが経済学的に解き明かされていく過程をおおいに楽しむことができるだろう。もちろん、予備知識のない人であっても、経済学を学ぼうとする人であれば読むのにさほど大きな困難は感じないと思われる。そして、読み進めるうちに、労働経済学の基本的な考え方が学べるだけでなく、経済学が現実の経済・社会を分析するのにどのように使われるのかが理解でき、自然と労働経済学への関心が持てるように書かれている。これはすなわち、学生をはじめとする「学ぶ人たち」に対しても、一種の優れた「教科書」であるということだろう。 残念ながら、共著ゆえか、本文とコラムの参照図表番号が一致しないなどの些細な誤植の類が目立つのが難点といえば難点だが(これは重版の際に修正されているかもしれない)、副題の「働き方の未来を考えるために」まさに好適の一冊であり、多くの人に広くおすすめしたい好著であると思う。 |