清家 篤 著

「定年破壊」

講談社



 「定年破壊」とはまた刺激的なタイトルであるが、この書名を本屋で見かけて、楽しい気分になるサラリーマンは、実際のところどのくらいいるのだろう。
 われわれのような労務屋であれば、この本が清家篤氏の著であり、氏がエイジフリー社会、生涯現役社会論者であることを知っているから、定年制を廃止して、年齢に関係なく働き続けることができるようにしよう、という趣旨の本だということはすぐにわかる。しかし、そうでないサラリーマン諸氏、とりわけ中高年サラリーマンにとっては、この本は、定年制を廃止して、50歳でも45歳でも首切りできるようにしようという本に見えないだろうか。
 内容を見てみると、全体としては、清家氏の従来の「生涯現役社会」論の延長線上にある。ただし、この本は研究書ではないから、かなり極論に振った内容となっていることはある意味で当然であろう。
 とはいえ、読み進むに連れて、定年制の弊害ばかりが強調されて均衡を失したり、重要な論点が軽視されたりしている部分が目につくように感じられる。特に後半になるほどそうである。
 最大の問題点は、定年制廃止が手段ではなく目的になってしまっていることだろう。清家氏は定年制のさまざまな弊害を指摘してみせるが、それらのほとんどは、必ずしも定年制を廃止しなくても解決できるものであり、世間でよく見られるような、年功賃金の弊害を長期雇用の弊害と取り違えているような部分も見られる。現実には、こうした問題点は、年功制の見直しと、定年延長と再雇用制度の組み合わせなど、他の方法で対処可能なのである。定年制の持つメリットについても言及されてはいるが、デメリットに比べるとはるかに軽視されており、複数の選択肢について、それぞれの得失を比較衡量して最善の判断を行うという作業が欠落し、すべてが定年制廃止に短絡されているように感じられる時がある。
 具体例をあげると、本の一番最後の部分、「締め」の部分で、著者は「…早く引退して趣味や営利をともなわない社会活動などに没頭したい人、長く働き続けたいけれども途中で仕事環境を変えたい人、いずれにとっても定年まで働かないと大損するような仕組みでは困るのである。/定年なしにすることによって、このように定年まで働かないことによる不利益は根本的に解消される」と述べている。
 前段はたしかに正論である。それを妨げるような賃金制度、退職金制度、年金制度あるいは税制などが存在することも事実である。しかし、単に定年制を廃止すればそれらが一気に解決することなどはありえない。むしろ、それだけでは何の解決にもならない。長期勤続を奨励するような人事・処遇制度を改め、年金をポータブル化するといった施策を進めることによって、定年制のメリットを存続させつつ、こうした弊害を改めることは十分に可能である。働き続けたい人には再雇用制度を準備すればよいのである。
 他にもこの本には重大な問題点がいくつか見られる。例えば、労組の定年制堅持の主張に顕著に見られるように、定年制が国民の多くの支持を受けていることについての検討や考察が不足している。冒頭書いたように、今時のサラリーマンに定年破壊と云えば定年前に解雇されることだと思われるのがむしろ自然だろう。誰にも等しく存在し、誰の目にも明らかな年齢によって退職時期を予定することは、勤労者に人生の目標を与え、計画的な生活設計を可能にする。年金支給との接続の問題はあるが、これは接続の問題であって定年制自体の問題ではない。これほど定着し支持されている制度であるにもかかわらず、なぜ支持されるかの検討がほとんどないのは、いかにも考察不足に思える。
 特に、定年制が勤労者に支持されているのは、それが基本的に定年までの雇用保証、少なくとも雇用維持努力とセットになっているからである。企業としては、定年での退職が確実に見込めるからこそ、計画的な人員計画が可能になるわけだし、それ以上に重要なこととして、清家氏の述べる個人単位での賃金の長期清算だけではなく、従業員全体としての長期清算を可能としている。したがって、定年制を廃止した場合、60歳以前での解雇が相当程度容認されることは当然セットにならざるを得ない。これは社会的に相当大きな影響を与えざるを得ないが、この点についての言及は、わずか1頁をさいて解雇権拡大に簡単に言及したのみと、まったく軽視されてしまっている。
 清家氏は、定年がなくなれば労働者が自分で引退時期を決められるという発想のようだが、これはあまりに一面的で能天気な見解である。むしろ、企業の都合で、望むより早期の引退を強いられる労働者の方が多くなる可能性の方がはるかに高いと考えるべきである。
 また、やはりありがちな、市場に対する無批判な楽観主義に蝕まれていることも気になるところである。清家氏は労働市場の情報量を増やし、能力開発に注力すれば市場原理で十分に労働需給のマッチングが可能であると述べる(これは、多くのわが国の評論家たちの主張するところでもある)。しかし、労働市場は、本当に常に十分に多くの求人と求職が存在するのだろうか。失業者は、本当に再就職先で必要なスキルを正確に予測できるだろうか。野菜は余って腐ってきたら捨てれば良いかも知れないが、人間は失業してセーフティネットが切れたら(いつかは必ず切れるのである)捨てればいいというわけにはいかないのである。
 この本の中には、高いポテンシャルを持ちながら、仕事や職場に恵まれずに能力を十分に発揮できない、成長できないケースがあること、個人の能力や努力とは関係なく、与えられた仕事の善し悪しによって能力に差がつくことなどを指摘し、こうした人たちが大きな不利なく転職して新天地を求めることができるようにすべきだ、などといった有益な所論もあるのだが、しかし、清家篤氏と云えば市井の一介の学者ではなく、誰もが認める高齢者雇用の第一人者であり、権威である。高齢者労働行政は氏の意見に大きく左右されるのは周知のところであるから、かなり極論が目立つように感じられるのが残念なところである。

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