村上龍 著

「13歳のハローワーク」

幻冬社



 この本は非常によく売れているらしい。成果主義でいけば、たくさん売れたのだからいい本だというのも、ひとつの真理であるにはちがいない。事実、この本の最大の功績は、なにより「たくさん売れた」という点にあると思う。
 総覧的な職業紹介の本という意味では、はっきりいってこの本の値打ちはあまりない。取り上げられた職業は数多いが、あきらかに偏っており、その分類にも疑問がある。また、紹介の記述も、職業によっては妙に韜晦していたり変にセンチメンタルな記述で紹介になっていないものがあるいっぽうで、一面的でなげやりな記述、実態にあわない記述も多々みられ、具体例をあげればきりがないくらいだ。決して、まじめに職業について知ろうとする13歳のこどもにすすめられる本ではない。
 実際、この本よりはるかに記述が充実し、実態に即した本もある。たとえば、日本労働研究機構(現労働政策研究・研修機構)の「職業ハンドブック」は、職業の特徴や歴史、労働条件などをなるべく正確かつわかりやすく説明しようとしている(値段がはるかに高いので内容がいいのは当然といえば当然だが、地域や学校の図書館に置いてまわし読みすればいいのだし、ウェブでも公開されている)。さらに、ウェブ上には、厚生労働省関係の「私のしごと館Job Job WORLD」や、文部科学省関係の「世の中ネット中学生のための仕事カタログ」、民間のものとしては学研の「将来の仕事なり方完全ガイド」などがある。画像や音声などをふんだんに使ってイメージしやすくつくられており、興味のある分野からの検索もできる。もちろん無料で閲覧できるし、内容的にもどれもこの本よりはるかに優れているだろう。
 しかし、いくら中身がよくても読まれなければなんの意味もないのだ。たいへん残念ながら、多くの13歳のこどもたちは、お役所の関連組織がつくったものだというだけで、反発を感じればまだいいほうで(実際、たとえばJob Job WORLDがやたらにビジネス・キャリア制度や公共職業訓練のサイトへ誘導しようとするのは私がみてもうっとうしい)、ほとんどは無関心なのではないだろうか。しかし、村上龍という当代随一の売れっ子作家が書いたということになると、内容は貧弱でもベストセラーになるのだ。私には評価できないが、親しみやすい(しかしおおむねは無意味な)挿絵を入れるなど、売れるようなたくみな本作りがされているのだろう。こどもが自分の将来の職業について早い段階から考えることは、基本的にたいへん望ましいことだ。したがって、誰が買うにしても多くの職業を網羅した本がこどもの手近にあり、実際に読まれることもありうるという状況が広まることは、それ自体は非常にいいことだと思う。内容がよくないことは問題ではあるが、それは読み手が承知していれはいいわけで、まずはこの本で関心を持ち、より正確で詳細な情報は別の方法で調べればいいのだ。そう考えれば、取り上げられた職業のバランスの悪さも、多くのこどもが興味を持つであろう「音楽」や「映画」のジャンルを重点的に取り上げて、関心をひきつけるように作ってあるという長所としてみることもできる。そういう意味では、本当に大切なのは、この本で職業に関心を持ったこどもたちが、さらに正しく深い理解に進めるように誘導することではないかと思う。
 要するに、これはむしろ小説の一種なのだ。実際、職業を紹介する記述のほかに、あちこちに村上氏のエッセイが多数配置されている(もっとも、エッセイも文章はみごとだが内容はわりと薄っぺらな感じのものが多いが)。この本は、これらを通じて、作者である村上氏のメッセージを伝えるメディアであると理解すべきなのだ。
 それではそのメッセージとはなにか、というと、村上氏も本文中で言及しているが、まずは「いい大学を出て、いい会社や官庁に入ればそれで安心、という時代が終わろうとしています」ということらしい。だから、好きなこと、向いていることを仕事にすべきだ、「できるだけ多くの子どもたちに、自分に向いた仕事、自分にぴったりの仕事を見つけて欲しい」のだそうだ。「わたしが伝えたいのは、『社会に出る前に自分がやりたい仕事を見つけておくべきだ』という『アドバイス』ではない。『社会に出る前に自分がやりたい仕事を見つけた人のほうが人生を有利に生きる』という『事実』だ」とも書いている。
 言うまでもなく、これは社会における事実ではない可能性が高い。現実には、「いい会社に入る」ことが有利なことを否定することは難しい。安心して適職探しができ、能力開発につながる環境があるといった「いい会社」のメリットは依然としてかなり大きいのではないか。世間ではたしかに村上氏のメッセージのようなことがいわれるが、それはあくまで傾向であり、確率が少し下がったという程度のことに過ぎない。「『社会に出る前に自分がやりたい仕事を見つけた人のほうが人生を有利に生きる』という『事実』」も、誰がどうやって検証したのだろう。自分がやりたい仕事にこだわったあげく人生を棒に振った人や、社会に出てから思いがけぬ天職に出会った人といった、この『事実』に対する反例は多数あるように思うのだが。ましてや、13歳の時点で「自分に向いた仕事、自分にぴったりの仕事」を、それがアドバンテージになるほど確実に「見つけられる」のは、かなりの才能や素質にめぐまれたこどもなどの例外に限られるだろう。
 どうも、村上氏には、「いい大学を出ていい会社に入っただけで安心できるのはけしからん」とか、「収入にかかわらず好きなことを仕事にする生き方が立派だ」とか、「自分のことは当然自分でわかり、自分で決めるべきだ」とか、「他人に依存するのは悪だ」とか、「自由のためには命令や拘束に反発すべきだ」などなどといった、一種の強固な倫理観というか、信念があるらしい。それがあまりに強烈なので、自分でそれが事実だと確信するに到っているのかもしれない。私はこんなトンチンカンな信念を押し付けられたら迷惑だが、村上氏のファンならこのメッセージにうっとりするのだろう。どう感じようと個人の自由だ。ただし、私はまじめに勉強していい大学に入っていい会社に入って安心して働きたいという考え方があってもいいと思うし、嫌な仕事でもおカネのためと割り切って仕事以外に人生の喜びを見出すという生き方があってもいいと思うし、サラリーマンになって与えられた仕事をまじめにやっているうちにその面白さに目覚めるという働き方があってもいいと思う。村上氏の信念がこうした生き方を否定する根拠として十分であるとはとても思えないし、私個人は率直にいってこのような考え方が広がってほしくないと思う。
 だから、私はこの本がたくさん売れたことには一定の意義があったとは思うが、しかし他人にはすすめない。作家の本だからフィクションであって悪い理由はないが、とはいえこの本はフィクションがあたかも事実であるかのような誤解を与えるような、悪く言えば欺瞞的な書き方がされているように感じる。冷静なおとなならこの本がフィクションであることを察知するだろうが、こどもに与えるときには注意が必要だろう。人気者の本だけに、それが悪いほうに出ないか心配だ。

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