久谷與四郎 監修

「労働組合よ しっかりしろ」

日本リーダーズ協会



 日本リーダーズ協会は、勤労者によるインフォーマル活動の健全なリーダーを育成する ことを目的に、労働評論家の芦村庸介氏の肝いりで設立された団体である。設立当時は、 まだ階級的・闘争的労働運動華やかなりし時代であり、ある意味で「労働組合よ、しっか りしろ」という状況であったに違いない。歳月は流れ、当時とは時代背景も労使関係も大 きく変わり、芦村庸介氏も故人となった。そして今、まったく別の意味で「労働組合よ し っかりしろ」という書名の本が出されるに到った。
 この本は、監修の久谷氏による、労働関係の有識者9人へのインタビューと、現役の活 動家たちの対談からなっている。こういう形式の本だけに、問題点の掘り下げや深い考察 に欠けることはいたしかたなかろう。とはいえ、そのことが、かえって現在の労働運動が どのような隘路に入りこんでいるのかを浮きぼりにしており、また、その病弊の想像以上 の深刻さを感じさせる。
 労働組合は時代の変化に対応できていないのだ、とほとんどの論者は主張する。労働市 場、ひいては社会・経済の構造変化、勤労者の意識の変化、ニーズの変化に対して、旧来 の労働運動が適応できず、その結果が長期にわたる組織率の低迷であるという。
 これはまことにその通りであり、より幅広い勤労者をカバーし、組織し、その利害を代 表しうる存在となることが急務であることは間違いあるまい。しかし、それは言うほど簡 単ではない、というより、それができないから苦心しているのだ。9人の論者はそれぞれ に労組の今後の方向性を指摘しており、聞けばもっともな意見ばかりなのだが、それでは 実際にそれができるのか、ということになると、現実的な道筋まで示しているとはおよそ 言いがたい。
 なぜ、このような空論に終始してしまうのか、それは、労働組合、労働運動のパワーが どこから得られるか、何がそのプレゼンスの源泉となっているかについての根本的な認識 が欠落しているから、あるいは基本的に間違っているからではないかと思う。それが有識 者9氏だけではなく、活動家の座談会にも感じられるところに問題の深刻さがある。
 最近、労使関係は集団的なものから個別的なものに主眼が移っているという説がある。 組織率が低下している以上、それは確かにそういう部分も大きいだろう。しかし、それは 労働者の側が弱くなったということに過ぎない。これに対して、仕事の専門化、ホワイト カラー化が進展したことで、労働者の交渉力が強まったから、それで均衡が取れていると いう意見がある。まあ、交渉力はいくらかは強まっているかも知れない。しかし、それで 対等になったかといえば、決してそんなことはない。景気動向や労働市場の成り行きは別 問題としても、労働者が依然として「失業すれば食うに困りかねない」存在であることに 大きな違いはない。すなわち、労働者が「集団的に」経営者と向き合わなければ、「対等 な」交渉は難しいはずである。
 また、最近、労働組合が企業の株式を取得して,、株主としての立場から影響力を行使し ようという取り組みも見られるようになってきたが、経営が傾いて株価が額面割れしてい るとかいうケースならともかく、通常の場合は労組が大株主になるほどの財力を持つこと はまず考えられない。したがって、労働組合が経営者に対する交渉力を、ひいては社会に おけるプレゼンスを持つのは、ひとえにその組織力によることは論を待たない。そしてそ の組織力は、単に組合員名簿に多数の名前が登載されているだけではパワーにならない。 構成員のそれぞれが、執行部の統制のもとに、組合活動に協調して参画してはじめて、組 合の組織力は遺憾なく発揮されるのである。
 この組織力はもちろん、ストライキのような争議行為においても発揮されるし、それは 経営陣に対する圧力となって交渉力を高めるだろう。しかし、組織力がさらに十全に発揮 されるのは、実は労使協調による生産性向上においてではないだろうか。実際、現在のよ うな競争経済においては、ストライキなどというのは労使双方にとって自殺行為に等しい ことも多い。それでも経営者が労使関係への配慮を怠らないのは、企業がその生産性を維 持するためには、ストライキが行われないといったレベルにとどまらない、高い次元の労 使協調を必要としているからに他ならない。いったい、例えばわが国におけるジャスト・ イン・タイム方式などは、リーン生産方式などと言われて、各国の企業にも導入され、生 産性向上に大きな役割を果たしているわけだが、どうして、労使関係の安定なくして、ジ ャスト・イン・タイム方式がその効果を万全に発揮することはないのである。
 とすれば、いかにして主体的に活動に参画する組合員を増やして行くのかが、これまで もこれからも労働組合の生命線であるはずだ。現在の労働運動の病弊は、組合員名簿に載 っている名前の数が減っているだけではなく、その中で主体的に活動する組合員が減少し ていることに真の病巣がある。例えば、選挙ひとつとっても、公称800万人の組織を誇る 連合が、どれほどの票を集めているのか。彼等のいわゆる「投票行動」を行う、すなわち 「主体的に活動に参画する」組合員がどれほどいるのか。自分だけではなく、家族、さら には親類縁者、知人友人の票まで獲得するほどに主体的に活動する組合員は、幹部役員を 除けばほとんといないのが実態だろう。くしくも、日本医師会は選挙になれば800万票を 集票するという。連合ははたしてそれだけの集票力があるのかどうか。
 こうした観点に立って、この本の9人のインタビューを見てみると、まず島田晴雄氏の 見解がまったくもって見当違いであることが知れる。氏はこれからの労使関係は「個別的」 なものが主流となると言う。そして、労働組合に対して、それをふまえて、組合員の支払 う組合費に見合ったサービスを提供する存在になれと説く。しかし、いったい、組合員の 支払う組合費でいかほどのことができるというのか?組合費などと言うもの、しょせんは 組合員の1%どころか、コンマ1%程度の専従者を養う程度のものでしかないのだ。800 万連合の専従役員はどれほどいるというのか?せいぜい100人かそこらでしかない。これ で、氏の言うような、「個別的」案件について「安心を与えられる」サービスが可能であ ろうか?まさか。まさにまったくの観念論としか言いようのない所論であるが、島田氏と いえば万人が認める労働分野の有識者の第一人者であり、労働分野に限らず、社会全体に 大きな影響力のあるオピニオン・リーダーである。それほどの人がここまで筋違いなこと を述べて平然としていることに、現在の労働運動の抱える病弊の深刻さを思わざるを得な い。しかも、監修者の久谷氏まで、この見解に恐れ入ってしまっているのだから、権威の 持てる力の恐ろしさを感じるとともに、まことに労働運動も末期的なところまで来ている のではないかと戦慄を覚える。これは要するに、組合員は、組合費を支払って執行部を雇 い、そのサービスを受け取る存在であるということである。カネを払っているのだから、 あとはサービスを受け取るだけで、自分はカネを出す以外の何もしないということである。 これでは組合の組織力もなにもあったものではない。そもそも、オレ達はカネを出してい るのだからそれ以上何もしないぞ、などという組合員ばかりになってしまったら、活動家 はなにを拠り所に活動すればいいのか。
 同様に、菅直人氏が、「労働組合員はタックスペイヤーなのだから、もっと自信を持っ て堂々と活動してほしい」と述べるのも、まったくもってお粗末な議論と言わざるを得な い。もちろん、私も、労組がもっと自信を持って活動してほしいと望まないものではない。 しかし、それは「税金を払っているのだから」という根拠に成り立つものではない。これ は菅氏がご自身の得意とする「市民運動」と「労働運動」とを混同していることによるも のだろうと思う。言うまでもなく、労組員は菅氏のいわゆるタックスペイヤーだけではな く、タックスイーターも多数含んでいる。労働運動とは税の支払とは基本的には無関係で あり、勤労者の所得、生活、経済的地位の改善をめざすものである。それは必ずしも市民 運動と整合的であるとは限らない。
 そこで、私なりに労働組合に提言するとすれば、何より組織化、組織強化に努力してほ しいということに尽きるだろう。労働運動は、組織の力を背景に、交渉によってその成果 を勝ちとっていくことこそが真髄である。それはどうすれば可能なのか?この本の中でも、 大沢真知子女史が述べるように、女性、パート、非正規といった範囲にまで組織化を広げ て行くこと、また、単に賃金や福利厚生などの経済面だけではなく、労働時間や働き方と いった面にもさらに活動の重点を置いて行くことなど、有益な提言が行われている。それ に加えて私は、組合員と非組合員の差別化ということを、少し考えて見てもいいのではな いかと思っている。
 連合は、組織率が低くなったことの言い訳として、波及効果があるということをあげて いる。春闘などでも、組合がある企業の労使が「世間相場」を作って、それが組合のない 企業の労使にまで波及するから、組織率は低くとも影響力という面で存在意義が高いのだ、 という理屈である。一理あるが、しかし、昨今の実態を見れば、波及効果が著しく低下し ていることに目を瞑るわけにはいかない。
 同じように、今の労働運動は、法制化運動にかなりの重点を置いている。連合のいわゆ る「ワークルール」の取り組みなど、まさにそうであろう。これは確かに、組織率は低く とも、すべての勤労者に波及効果があるのだ、ということで、組織率の低下を正当化でき る、魅力的な理屈である。しかし、法制化という手法は、フリーライダーをどんどん増や すことになる。自分は組合活動をしなくてもよい、組合に入りすらしなくてもよい、組合 の人ががんばってくれるからいいのだ、という考え方を正当化するものである。その費用 は、とりあえずは今は組織のしっかりした労組の組合員が負担してくれている。それは主 に大企業の正社員であり、負担能力のある人だから、一種の所得再分配機能として説明で きないこともない。しかし、これはまさに袋小路であるし、組合活動の自殺行為に等しい (そういう意味では、金子勝氏の所論も、ある意味で鋭く正鵠を突いているのではあるが、 運動論として立法を唱えているところに不満を覚える)。
 この本でも複数の識者が述べているとおり、戦後労働運動、春闘路線は、大きな成果を 上げたことは間違いない。その結果、全体の底上げがはかられ、今や勤労者で「明日の米 をよこせ」という実態にある人はごくごく少数になった。ここまで来たのだから、横並び をすべて止めろとまでは言わないまでも、ある程度までは、「波及効果」というものを捨 ててもいいのではないか。現に組合活動に参画し、組合費も払っている労働者については、 そうでない労働者に比べて恵まれていて当然だ、という価値観の転換を進めるべきではな いのか。そして、なにより組合員自身が、「組合費を払っていれば、それでいいのだ」と いう意識を転換し、組合員一人ひとりの参加が組合活動の力であるという認識に立ち返る ことができるような活動を実現していかなければなるまい。
 それを行わなければ、労働組合は今の隘路を脱することはできないだろうし、増え続け るフリーライダーに侵食されて、崩壊してしまいかねないのではないだろうか。
 格別目新しい発見のある本ではないが、いろいろと考えさせられる材料を多く含んだ本 ではあると思う。

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