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■2001/06/22 (金) 世界長者番付に登場した日本人 米国の経済誌「フォーブス」が、例年掲載している「世界の長者番付」を今 年も掲載したそうです。トップは例によってビル・ゲイツで587億ドルの財 産とか。これなら11兆円の寄付も楽勝ですな。次がやはり米国の投資顧問会 社のウォーレン・バフェット、さらにポール・アレン、ラリー・エリソンとア メリカのit関連が続きます。オイルマネーはサウジのアルワリード・ビン・ タラル・アルサウド閣下(という呼称でいいのかな?)が第6位。面白いのは、 ウォルマートのサム・ウォルトンの子どもたちが、7位から同率10位まで5 人続けて出てくることで、ファミリーで見ればゲイツ以上かも知れません。ま あ、ゲイツのファミリーも長者揃いでしょうから、そんなこともないかも知れ ませんが。 日本人はと言えば、37位に武富士会長の武井保雄氏が出てくるのが最高で、 金額の方も83億ドルと控えめ?です。次いで佐治信忠氏(サントリー社長)、 孫正義氏(ソフトバンク社長)、木下恭輔氏(アコム会長)、福田吉孝氏(ア イフル社長)、柳井正氏(ファーストリテイリング社長)、伊藤雅俊氏(イト ーヨーカ堂名誉会長)、岩崎福三氏(岩崎産業社長)までがベスト100圏内 となっています。 残念ながら、日本勢の顔ぶれはおよそ楽しい感じがしません。もちろん、み なさん才能と努力で財を成した立派な方々ばかりですが、それにしてもサラ金 が7人中3人というのは少々悲しい感じは禁じ得ませんし、ソフトバンクとい うのも、実態としてはかなり投機屋に近い(なんて云ったら怒られるでしょう が)ように思います。ユニクロはあの調子ですし、岩崎産業もなにかと物議を かもした会社です。 日本で成金になろうと思ったら、サラリーマンや中小業者を泣かせるような アコギなビジネスでないとダメだということなのでしょうか。別にそれが悪い というわけではなく、それはそれで立派なビジネスだと思うのですが、まあ要 するに私はちょっと好きになれない。それだけのことなのですが。 ■2001/06/21 (木) 血も涙もある不良債権処理を 今井経団連会長は、昨日、都内で講演し、不良債権処理は法的整理を基本と し、過剰供給力を削減するものとすべきだと主張したそうだ。 確かに、国内の工業生産が低下する中で、過剰供給力が過当競争をもたらし、 デフレの一要因となったとの意見は、理屈において正しいのだろう。とりわけ、 今井氏の所属する製鋼業界においては、過剰供給による単価下落に悩まされて おり、供給削減による単価引き上げは悲願であり、今井氏がこれを強く主張す るのは理解できるものである。 しかし、供給力削減のために多くの企業を法的整理することが本当にいいの かどうかは、私には疑問だ。 なにより、過剰供給力といえばあからさまではないが、要するに過剰設備と 過剰雇用ということである。設備はどうしても過剰であれば廃却すればいいこ とであるが、人間は廃却するというわけにはいかない。もちろん、所得保障や 職業訓練などのセーフティー・ネットの整備もあわせて行う、という考えには 違いないだろうが、それにしても法的整理で雇用を失う人には大きな痛みがと もなう。もちろん、不良債権処理は痛みをともなわずにはいないものであるが、 その痛みを特定の企業・人に集中させることが好ましいとはとても思えない。 あるいは、長年、場合によっては何世代にもわたって経営に労力を注ぎ込ん できた企業が法的整理されるかたわら、生き残った企業が供給力の減少をいい ことに値上げに走ったりした場合、整理された企業の経営者はどのような感想 を持つであろうか。私にはこうした事態が公正であるとはとても思えないし、 これから起業して、新たな競争に挑むことをめざす人たちにとっても、およそ 励みになるような環境であるとは云えないだろう。 たしかに、個別の案件をとってみれば、法的整理はより公平・公正であるに 違いない。しかし、不良債権処理全体でみれば、法的整理を中心とすればする ほど、一部に負担を集中させ、一部が恩恵を享受するという、およそ公平・公 正とは縁遠い、血も涙もないやり方になってしまうのである。 現実の社会では、合理的思考は常に人間性の喪失と背中合わせであることが 多い。今井氏の思考に新日鉄経営のバックグラウンドがあるのは当然だし、経 団連には大企業の利益代表という立場があることも理解できるが、財界総理と 称される経済界のリーダーが、血も涙もない思考に陥り続けないことを切に希 望したい。 ■2001/06/20 (水) 保育所利用は仕事目的に限らずに 政府の男女共同参画会議が提言した「仕事と子育ての両立支援策」の中に、 保育所待機児童をゼロにするべく、入所児童数を15万人増やすことが盛り込 まれたそうです。さらに、児童の放課後の受け入れ施設(児童クラブ)を四千 ヶ所増やすという提言も含まれているとか。 この提言は「仕事と子育ての両立支援」のためのものなので、限界があるこ とは致し方ありませんが、私は、少子化対策として考えるのであれば、仕事の ためだけに限定せずに、保育所や児童クラブの利用を認めるべきだろうと思い ます。もちろん、幼稚園とのあり方の調整は必要になりますし、利用料金を別 にすることなども考えて良いと思います。 なぜなら、女性が出産しない(結婚しない)理由として、それによってキャ リアを中断することの機会費用の大きさが指摘されるわけですが、その中には、 企業から得られる賃金や自分自身のキャリアだけではなく、事務などの身体的 負担や拘束密度の低い労働から、育児という拘束密度の高い重労働に変わるこ とのコストが大きく含まれているのではないかと考えられるからです。これは もちろん、子どもがいなければ(独身であれば)享受できた自由時間を失うと いったことまで含まれます。ここ数年、夏になるとパチンコ屋の駐車場で、子 どもが車の中で死亡する事故が報道されます。ラーメン屋に行く間乳児をコイ ンロッカーに入れて騒ぎを起こした夫婦もいました。まことにひどい話ですが、 一方、「子どもがいるとパチンコすらできない、ラーメンひとつ食べに行けな い」ということも事実なのです。 「子どもがいると出来なくなること」がたくさんあって、「仕事(というか、 出世)」はその最大の一つですが、それだけで十分だというほど圧倒的に大き いと考えるのは間違いでしょう。別に、いつでもどこでもである必要はありま せんが、時には、安価に子どもを預けてパチンコやラーメン(でもなんでも) が楽しめるようにすることが、少子化対策としては大切なのではないかと思い ます。 ■2001/06/19 (火) あとは教え方の問題ではないか 書店に立ち寄ってみたら、例の「新しい歴史教科書」の公刊を受けて、早く もそれを批判する本が何冊か並んでいた。公刊されるという話が出たときから 準備はしていたのだろうが、それにしても手際の良い話だ。 買うまでのことはなかろうと思って少し立ち読みしてみたのだが、まあ、わ れわれのような論争の門外漢から見れば、内容的には読む人の読み方によって いろいろだなあという印象で、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いというレベルの不毛 な議論に見える。なにしろ、まずは意見が一致していない件について、自分た ちの意見を認めないのはけしからん、というのがあって、その上で、自分たち の意見を教科書に記載しないのがけしからん、という批判があるのだから、当 事者にとっては深刻な問題なのだろうが、私のような非当事者から見ればいや はやという感じだ。 ここまで来れば、あとは教え方の問題ではないかという気がする。仮に「新 しい歴史教科書」が採択されたとしても、「これについては、教科書にはここ までしか書いてないが、実はこれこれという意見がある」と教えることだって できるわけだから。 例えば、「新しい歴史教科書」に、松前藩がアイヌと交易を行ったという趣 旨の記述があるが、批判本は、松前藩がアイヌから過酷な収奪を行ったと書い てないのがけしからん、と主張している。実際、松前藩がアイヌから(過酷か どうかは知らないが)収奪を行ったことも事実だろう。しかし、学習指導要領 ではアイヌについての記述を求めているだけで、収奪までの記述は求めていな い。アメリカに植民したイギリス人たちやその2世たちは、北米大陸の先住民 族に対して、松前藩よりはるかに過酷な収奪を行ったが、それについての記述 がないのと同じことで、要するに学習指導要領に従って書けばここまで、とい うことではないかと思う。 それ以上のディテールについては、各教師の判断というのが自然な考え方の ような気がする。それを教えたい教師はそう教えるだろうし、そうでない教師 はそうしないだろうということではないだろうか。意見の相違の大きい事項を 教科書に書き込むというのはあまり常識的ではないだろう。 ■2001/06/18 (月) 中高年は既得権に安住しているか 文芸春秋の最新号に、「パラサイト・シングル」論で有名な山田昌弘教授の 「フリーター200万人に明日はないさ」との一文が掲載されている。 タイトルは突き放した感じがするが、内容はそうでもなくて、フリーターの 社会問題化(というか、その悪化)を防ぐためには、若年者が夢を見ざるを得 ない社会から希望を持てる社会に変えていくことが必要だという。それはそれ でまことにもっともな説だと思う。 ただ、私がこの手の論考を読んでいつもひっかかるのは、「既得権にあぐら をかいている中高年」の存在を所与としていることだ。 私が思うに、山田氏にとって身近な大学という世界では、おそらくは既得権 にあぐらをかいている中高年が多いのだろう。しかし、そんなことが現実に許 されるのは、公務員など限られた(と言うには大きすぎるかも知れないが)一 部の話だろう。 私は一応世間的にはまだ中高年ではない(と思う。38歳)。その私から見 ても、民間企業で「既得権にあぐらをかいている」中高年というのはそんなに 多くはない(企業が「中高年が過剰で困っている」ということと「中高年が既 得権にあぐらをかいている」ということはまったく別物である)。むしろ、持 てる力を発揮する機会に恵まれていない中高年の方がはるかに多い。もちろん、 彼らはそれなりの雇用の安定と一定水準の賃金を享受していることに違いはな い。しかし、それは普通の教科書に書いてあるとおり、若年期に貢献を下回る 賃金で働き、中高年期にそれを回復するという長期的な賃金精算が行われてい るからにすぎない。この「既得権」を剥奪して、具体的には中高年を解雇して 路頭に迷わせ、その職を若年者に代替したところで、それが真に「希望」ある ものになるのだろうか?若者にとって現状よりはいくらかマシという程度のも のにはなるかも知れないが。 「釣りバカ日誌」の「浜ちゃん」のように、出世をあきらめた正社員ほど気 楽なものはない、という山田氏の指摘は当たっている。「浜ちゃん」がどんな 仕事をしてどんな賃金をしているか私は知らないが、まあそれなりに働いてそ れなりの賃金を得ているのだろう。私はそれは決して悪いことではなく、これ からの時代のめざすべき新しい幸せではないかと思う。今の中高年がそうした 生き方をしているとして、それを「既得権にあぐらをかいている」と一刀両断 するのはいかにも過酷ではないかと思う。 |