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■2001/06/01 (金) 医療費にキャップ制 だいぶ以前、診療報酬の引き上げに反対して、いくつかの健康保険組合が引 き上げ分の支払を拒み、医師会がそれへの対抗処置として、当該健康保険組合 員の診療を拒否するという騒ぎがありました。 それによって患者が死亡するという事態に発展し、これが国会でも問題とな って、結局、事務次官以下厚生官僚の首がいくつか飛びました。 経済財政諮問会議は、医療費の抑制のために、医療費総額に上限を設ける案 を提案する構えということです。この会議は財政のあり方を答申するのが役割 なのですから(それから逸脱した話題も多いようですが)、膨張を続ける医療 費の抑制は大きな課題であり、キャップ制も方法論としては有力だろうと思い ます。 とはいえ、最終的にキャップ制を機能させるためには、結局のところ各医療 機関を予算管理するしかないでしょう。これが、その範囲内で医療を行なおう という医療機関の効率化努力につながればいいのですが、はじめに書いたよう な過去の事例を見ると、むしろ医療機関による患者の選別や、期末・月末に予 算残がないことを理由とした診療拒否などが起こる可能性も残念ながらあるよ うに思われます。 そうなると結局割を食うのは責任を問われて詰め腹を切らされる厚生官僚と いうことになるわけで、案外これはそれがイヤなら別のいい方法を考えろとい う厚生官僚へのメッセージかも知れません。現実には厚生官僚の知恵より医師 会を抑える腕力が必要な状況なのですが。 ■2001/05/31 (木) 大学全入時代 昨年、一般入試がほとんど全入状態で偏差値がつけられない「fランク」の 大学が全体の2割近くにのぼるという話が話題になりましたが、今年は若干改 善して14.6%になったそうです。それでも、依然として7校に1校は全入 ということになります。どれほど卒業しているかという問題はありますが、学 士の値打ちも地に落ちた感があります。 このデータを発表している河合塾によれば、今年全入が減少したのは、大学 入試適齢期人口が減少する中、学生を確保するために、各大学が一般入試に先 立って選考できる推薦入学などの「ao入試」を増やした結果、一般入試枠が 縮小したためではないか、ということです(ちなみに、「fランク」というの はイメージが悪いということで、今年は「ボーダーフリー」と呼ぶことにした のだそうです。何が違うのか良くわかりませんが)。 地域別には、関東が数%なのに対し、九州では半数近い大学が全入状態とか。 次に高いのが中国・四国、東北、北海道の順で、西高東低の傾向ですが、これ は大学設置の密度にもよるでしょう。 それにしても、これでは「これでも大卒?」という大卒者が増えるのもむべ なるかなです。大卒ホワイトカラーの賃金格差拡大の根拠として「大卒者の能 力格差の拡大」があげられていますが、それを裏付ける材料と言えるでしょう。 人事屋にとっては、ますます学歴別管理の無理が拡大しているということになりそうです。 ■2001/05/30 (水) 経済学者とは 閣僚の資産が公開されたが、竹中経済・財政担当相は定期預金の残高がゼロ となっていることについて、「こんなに金利が低いと、(定期預金にするのは) エコノミストとしての良心が許さない」と説明したそうな。都心のマンション 4室を購入したことについては「相対価格の変化に敏感に反応した」というこ とだそうだ。 別に大臣だろうが経済学者だろうが、金儲けをすること自体は悪いことでは ないだろう。しかし、それにしても、低金利の預金を持つことが「エコノミス トとしての良心が許さない」というのはいささかいただけない。せめて、「自 負心」くらいにはしておいてほしかったものだ。専門家なのだから、運用もう まくなければ恥ずかしいという気持ちは良くわかる。しかし、それが「良心」 だというのは、やはり経済学者としては情けないのではないか。ファンドマネ ージャーとかが言うならそれはそれで良くわかるのだが・・・。 まあ、「経済学はカネ儲けのための学問だ」と割り切るという考え方もある だろう。「個人が自分のカネ儲けに全力を尽くせば全体も最適になる」という のは、アダム・スミス以来の伝統ある考え方でもある。しかし、多くの場合や はりそれでは最適にならないということや、資源の最適配分が必ずしも人間を 最大に幸福にするとは限らないということも常識的な人類の知恵だろう。 竹中大臣はなかなかの政治センスをお持ちのようで、それは私も高く評価し ている。しかし、「カネ儲けこそエコノミストの良心」という人が大臣という のも淋しい気がする。 ■2001/05/29 (火) 学者と政治家 25日に、政府の「産業構造改革・雇用対策本部」の会合が開かれましたが、 その検討項目の一つとして、「不良債権処理に関する業界との連携による労働 移動の円滑化」が掲げられているそうです。扇国土交通相は、「不良債権処理 で影響が出るのは国土交通省関係だが、都市再生の方で相当程度吸収できるの ではないか」との見解を示したとのこと。失業者を類似の仕事に計画的に再配 置しようということだろうと思いますが、経済諮問会議の専門調査会が提唱し ている、労働市場での「バンピング」による調整よりはるかに現実的で、優れ た考え方だと思います。 このあたりが、良くも悪くも地元選挙民の実情を知り、現実に責任を取らな ければならない政治家と、良くも悪くも論理的で、無責任な机上の空論になり がちな学者との違いというものなのでしょう。 いずれも一長一短で、どちらかと言うと学者が優勢なことが多いというのが 私の感想ですが、今回ばかりは政治家の現実感覚の方がまさったようです。 ■2001/05/28 (月) 日本型「反対運動」 刈羽村で、原発建設を巡る住民投票が行なわれ、反対が賛成を上回ったそう だ。 建設予定地の住民だけで投票をすれば、住民エゴが表に出ることは目に見え ている。電源開発は国策であり、地域住民の意志は大切な要素だが、それだけ で決められるものではない。住民投票のような感情論に流されやすいイベント に利点があるとはあまり思えないが、それは一応置いておこう。 なにも地域エゴというのは日本に特有ではなく、一般住民がボイスの手段を 持つ国では共通のことらしい(米国でもnimby=not in my backyardといわれて いるらしい)。ただ、日本的というか、日本らしい特徴というのも感じる。 一つは、今回のように、「嫌だから嫌」というのが、いつのまにか「環境保 護」とかいった「正論」にすりかえられていくこと。これをやってしまうと、 正論だけに引けなくなる。 二つめは、得体の知れない「支援者」というのが随所から出てきて、いつの まにか主客転倒してしまうこと。支援者の様々な意図が交錯し、引くに引けな くなる。 三つめは、強力な現状維持志向。愛知万博の反対運動のように、他人がいろ いろ入り込んでくるくらいなら、現状のままで結構という発想で、よほど誰も がうれしい企画(オリンピックとか)でなければ、必ず強硬な反対が出てくる。 四つめは、不利益を被っても他人が得をしないのなら我慢できるが、他人の 利益のために自分が犠牲になることは苦痛らしいこと。例えば、阪神・淡路大 震災に顕著に見られたが、日本人が天災を受けたときの秩序正しさ、忍耐強さ は誠にすばらしい。被災者は運命を受け入れ、国や自治体に対して大きな不平 不満を表立って運動することはない。 その一方、原発、廃棄物処理場のように、「他人の利益のために自分が犠牲 になる」ことには強力な反対が起きる。その典型が沖縄問題であろう。理屈の わかる沖縄県民は基地の必要性は認めている。彼らが理性を失うのは負担が沖 縄に集中している点についてである。 もちろん、こうした特徴は日本だけのことではないかも知れない。また、反 対運動には情においておおいにわかるものがあるし、それがより良い政策決定 の助けとなっていることも否定するわけではない。しかし、今回の刈羽村のよ うな話を聞くたびに、いかにも日本人らしい話だなと思う。たぶん私も当事者 になれば例外ではいられないだろう。そういうものだと思う。 |