■2001/08/10 (金) 昨年も自殺者は3万人

 昨年の自殺者は約3万2千人と、3年連続で3万人を上回ったとの報道がさ
れておりました。一昨年は約3万3千人で過去最悪でしたが、それからは微減
したということのようです。自殺は失業率と似た動きを示しますので、これも
過去最悪レベルながら横ばいで推移した失業率を反映していると言えるかも知
れません。ちなみに内訳は、理由としては経済苦などで中高年男性が自殺する
といった「不況型」が、職業別では自営業者が増えているとのことです。長引
く経済不振を反映しているといえるのでしょう。
 これから、不良債権処理が始まれば、失業も増え、自営業者の倒産も増える
でしょう。そうした人々に先行きの見通しを示せなければ、さらに自殺者が増
える危険性が高いでしょう。
 働き過ぎによる自殺に企業の責任が問われる時代に、こうした自殺をすべて
本人の責任として片づけてしまって良いものなのでしょうか。現実的には難し
い議論だろうとは思いますが、少なくとも、自殺予備軍をなるべく少なくする
という観点からの政策の検討・評価はあってもいいのではないかと思います。
「構造改革」で痛みを被らない(むしろ、それを商売にしているともいえる)
学者や評論家がそのような配慮もなしに政策を唱えるのは、葬式泥棒と似たよ
うなものだと言ったら暴言でしょうか。

■2001/08/09 (木) 年配者は頭が固いか

 松下電器の中村邦夫社長は、早期退職優遇制度の導入について聞かれて、
「頭の固い年配者」が余剰で困っている、と答えたそうです。
 まあ、人間の創造性やら記憶力やらは20代から30代くらいがピークで、
あとは加齢とともに低下してくるそうですから、「頭の固い年配者」という表
現は科学的な根拠があるとも言えます。まあ、いつのまにか活性化していない
中高年が増えてしまった、という反省もあるでしょうし、制度を作ったからに
は大いに利用させたい、ということで、あえて悪い言葉を使ったということも
あるのかも知れません。
 とはいえ、これからは高齢者雇用の推進が社会的な重要課題になってくる中
で、一律に「頭の固い年配者」というきわめてネガティブな言葉を使うという
のはいかがなものなのでしょうか。私の職場も情報化装備が進み、グループウ
ェアを入れて経費などの決裁を電子化したりしていますが、50代なかばを過
ぎた高齢者でも、電子メールや電子申請・決裁を問題なく使いこなしています。
ワープロソフトも表計算ソフトも使っています。たしかに、若年に比べたら多
少慣れるのに時間はかかりましたが、そんなことは中高年の持つ豊富なノウハ
ウに比べたら物の数ではありません。
 松下電器の人事施策のキーワードの第一は「diversity」だそうです。これ
は簡単に言えば、人種、性別、年齢、家庭環境などがさまざまに異なる多様な
人たちを活用するという意味でしょう。高齢者の活用というのはその初歩の初
歩ともいうべき取り組みです。それなのに、経営トップが「頭の固い年配者」
などというステロタイプな発想でいいのでしょうか。しかも、聞くところによ
れば、「diversity」というアイデアはアメリカ帰りの中村社長自身が持ち込
んだものだとか。もはや、何をや言わんかという感じです。

■2001/08/08 (水) 特殊法人死守を笑えない

 今日、経団連の環境安全委員会というのが開かれて、そこで「地球温暖化対
策追加措置で、産業界にしわ寄せされる環境税は断固反対」という決議が行わ
れたらしい。理由は「産業活動の縮小につながる」ということで、代案として
エアコン自粛など省エネをよびかける首相出演のcmを流すことなどをあげて
いるそうだ。いやはや、これでは特殊法人死守に奔走するお役人を笑えない。
 まあ、経団連というのは産業界、それも大企業の代表だから、かなりの程度
まではその利益が前面に出るのは致し方あるまい。とはいえ、地球温暖化には
企業部門のプレゼンスもそれなりに大きいわけだし、企業が作ったり売ったり
している商品が民生部門で温暖化を招いていることも事実なのだから、産業活
動の縮小につながるものは断固反対というのはいかにも手前勝手ではないのか。
 これで思い出したのが、先般日経連と共同で提言した高齢者医療「改革」の
案で、これもとにかく企業の負担がなくなればいいという感じのなりふりかま
わないものだった。日経連は以前はある程度企業負担も織り込んだ案を主張し
ていたのだが、来年合併するということで経団連が強引に自分たちの案に引き
ずり込んだらしい。
 それほどまでに企業経営が厳しい状況にあるのだ、ということなのかも知れ
ないが、あまりに産業界のエゴがむき出しというのもいかがなものなのか。少
なくとも、産業活動の縮小につながる環境対策は断固反対と言う一方で、「痛
みを恐れずに構造改革を断行すべき」などと言って、よく恥ずかしくないもの
だとは思う。
 ちなみに環境安全委員会の委員長は秋草直之氏(富士通社長)と山本一元氏
(旭化成社長)だそうな。確かに経営が楽な企業というわけではなさそうだ。

■2001/08/07 (火) 年功と年功制と年功的と

 最近、ある資料を読んでいたら、その中で「年功」と「年功制」は「制」が
あるかないかの違いだけだが、大きな違いがある、という文が出てきた。なる
ほど、面白い話だ。
 年功制の評判がはなはだよろしくない。しかし、年功そのものは、それはそ
れでけっこうなことで、年功がダメだと云うことはできない。それでは「制」
がつくとなにが悪いかというと、要するに年功に対して賃金を払うということ
がよろしくないということだろう。
 年功というのは年の功で、豊富な経験にもとづく多くの知識と優れた技能を
持っているということだろう。あるいは、ちょっとドライな言い方をすれば、
積み上げられた過去の栄光、ということかも知れない。で、過去の栄光に対し
て賃金を払うというのはおかしいじゃないか、これが年功制がよろしくないと
いうことなのだろう。
 しかし、長期雇用慣行の中での賃金の長期精算ということを考えれば、実際
の栄光を重ねていた(若い)頃には低い賃金に甘んじていたのだから、後払い
できちんと払ってもらわなければ困るというのも理屈である。こうしたやり方
がどうかという問題はあるが、それをおけば年功制もすべて悪いとは云えない。
 私が思うに、本当によろしくないのは年功でも年功制でもなく、「年功的」
なのではないだろうか。本当に「年功」があるのかどうかをチェックすること
なく、年功の代替指標である「年齢」や「勤続」で賃金を払ったり、処遇した
りする「年功的」なやり方が、一番問題なのではないかと思う。
 「年功」「年功制」「年功的」、似たような言葉だが意味するところはかな
り違っている。言葉とは難しいものだと思う。

■2001/08/06 (月) 審議会は必要か

 日経センターの八代理事長が、「審議会は利害調整の場になっており、いち
いちそこを通していたのでは改革などできない」と発言し、審議会抜きでの立
法を進めるべきだと主張したという報道がありました。そもそも、審議会の期
待される役割というのは、学識経験者が個別利害を離れて大所高所から政策や
立法を議論することだろうと思うのですが、例えば医療改革が日本医師会や製
薬業界の強硬な抵抗で進まない実態(これは審議会に限った話ではありません
が)を見ても、八代氏の所論にはうなずける点があります。あるいは、実態と
して完全に形骸化し、官僚が作った法案を儀礼的に追認するだけの、官僚のア
リバイづくりだけの機能しかなくなっている審議会も多いようで、こちらもお
よそ審議会本来の役割を果たしているとは言えないでしょう。今回、省庁再編
で審議会もかなり再編されましたが、さらに実態を点検して、不要なものは整
理し、必要なものもその機能を果たすように改めるべきでしょう。
 一方、労働法関連の審議会には、若干様相が違う面もあると思います。労組
法、労基法、職安法など主要な労働法は、改正や、規則・政省令の制定にあた
っては、関連の審議会等の意見を聞かなければならないことが定められていま
す。そして、各審議会は公労使三者、労使同数で構成されることが法定されて
います。これはilo条約として採択されている公労使三者構成の体現化であ
り、条約批准のために必要な法的整備でもあります。審議会が、グローバル・
スタンダードである三者構成の実現の場になっているわけで、他の審議会と異
なる重みと意味合いがあると言えます。労使双方が形式的ではなく実質的に法
案づくりに参画し、公益委員が公益の立場からとりまとめに当たるという実態
を確保する場として重要と言えるでしょう。
 とはいえ、現実の法案づくりは、学者中心の研究会や、審議会の一部の委員
による三者構成の部会レベルで進められ、事実上決着して、審議会はその追認
機関となっているという実態があることもまた事実のようです。あるいは、労
使双方の主張が折れ合わず、平行線となった結果、法案づくりがまとまらなか
ったり、「足して二で割る」ような、双方にとっても社会全体にとっても不十
分なものに終わることも目立つと云われます。そういう意味では、三者構成を
担保する場としては必要としても、内実の改革はやはり必要なのかも知れませ
ん。







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