■2002/05/31 (金) 評価はめぐる

 高橋伸夫先生の「やさしい経済学」の連載もいよいよ最終回で、今回は「変
わる評価」と題されています。これは、「人事評価が成果主義に変わりつつあ
る」といった世にありがちなものではなく、「経営手法などへの評価は、時の
流れによって変わるものだ」という意味のようです。
 ジェームズ・アベグレン氏は著名な知日派研究者ですが、高橋先生によると、
氏の日本型人事に対する評価は高度成長の前後で一変しているのだそうです。
当初は日本型人事はインセンティブに欠くため生産性が低く、失敗の責任を特
定個人に取らせないので品質問題が発生するという評価だったのに対し、後年
には、日本的人事は非常に大きな強みを持つが、それが非能率的だと西欧で考
えられるのは西欧中心主義の陥った誤解であると評価しているといいます。こ
れはなにも変節したとかいうことではなく、研究を重ねるにつれて評価が変わ
ったということでしょうから、研究者としてはむしろ当然の態度と言えるでし
ょう。
 高橋先生は、バブル崩壊以降の長引く景気低迷の中で日本型雇用制度を否定
する論調が目立つようになったが、こうした(アベグレン氏のような)評価の
逆転の歴史はきっとまた繰り返す、と述べています。そして、「アベグレン氏
をはじめとする研究者たちの描いてきた日本企業の姿が、この半世紀の間、ほ
とんど変わらなかったという驚くべき事実の重さを冷静に受け止めるべきでは
ないだろうか」と全体の結論を述べられています。
 たしかに、現実を見れば、日本型雇用制度に対する否定的な論調を唱えるの
は、その枠外にある研究者や評論家、あるいはコンサルタントなどがほとんど
ではないでしょうか。経営者にしても勤労者にしても、当事者の多くは日本型
雇用制度を支持しているのではないでしょうか。だからこそ、緊急対応型ワー
クシェアリングや、雇用を守るための賃下げが真剣に議論されるのでしょう。
一部のエキセントリックな経営者が否定的発言を行い、それが大きく報道され
るため誤った印象を受けがちですが、現実にはそちらの方が例外ではないでし
ょうか。
 それが「構造改革」だから、といった非論理的な掛け声だけで、当事者の大
勢に指示されている制度を変えるべきではないでしょう。

■2002/05/30 (木) 転職の本音と建前

 高橋伸夫先生の「やさしい経済学」、今日は「転職の実態」でした。高橋先
生の言わんとしていることは、転職は金銭的動機だけで行なわれるわけではな
い、むしろ金銭以外の要因が大きいということのようです。特に、「バブル期
の転職成功組のほとんどは、大学を卒業した時期に就職が厳しく、希望した一
流企業に入れなかった人たちだった」という指摘は、昨今の若年雇用問題の関
係でときおり話題になる「世代効果」を思い出させるものがあります。
 私自身も、労務屋ですが一応人事部門だということで、なにかと採用のヘル
プに関わることが多いのですが、賃金はじめ労働条件が高いということは求職
者にとってそれほど大きな判断材料になっていないように思われます。もちろ
ん、ある程度の水準は確保されていることは必要条件でしょうが、それをクリ
アしていれば、仕事の面白さ、働き甲斐、あるいは自分のやりたいことをやら
せてくれるかとか、自分の能力を発揮し、伸ばせるかといったことを重視する
という求職者は実に多いですし、実際そういった判断基準で判断しているよう
です。もっといえば、なんとなくイメージがいいとか格好いいとかいったこと
も大いに影響するようで、だからこそバブル期には社名をカタカナにするなど
といったことが流行しました。そういえば、フリーターというのも、バブル期
にはけっこう「カッコいい」とされていたように思います。
 もう一つ面白いのは、「本当は、人間関係上のトラブルは社会的ステータス
の低さが転職理由らしいのだが、それを正直に言ってしまうと再就職が難しく
なるので、無難なところで金銭を理由にあげる人が多いらしい」という指摘で
す。たしかに、企業にしてみればトラブルで退職した人は採用しにくいでしょ
うから、いかにもさもありなんという指摘です。アンケートや意識調査などに
本音で回答しないというのはよくある話で、実際、私自身が退職者に退職理由
をヒヤリングした結果でも、最初のうちは「実家で家業を継がなければならな
いので」とか「もっと賃金のいい仕事があったので」などと無難なことをいう
ことが非常に多く、かなりの時間をかけてやっと「実は昇格が遅れたのが不満
で」とか「上司と折り合いが悪く」と本音を教えてくれることが多いのです。
 こうしたことを思うと、アンケートなどのデータやそれによる計量分析もあ
まり鵜呑みにはできないと思うのです。

■2002/05/29 (水) 面白い仕事をどう増やす

 ここまで引っ張ったので(笑)、今日も高橋伸夫先生のネタで行きたいと思
います。今日は「仕事で報いる」というものでした。
 高橋氏は「暫定的な結論」として「日本型の雇用システムの本質は、給料で
報いるシステムではなく、次の仕事の内容で報いるシステムなのだ」と述べて
おられます。まことに実感にあった指摘といえましょう。
 実際、職能資格制度を採用している企業では、職能資格が変わらないままに
ポスト上は昇進する、ということが発生します。たとえば、「企画職1級」と
いった職能資格にある人が、同じ資格のまま、企画係長から総括課長にかわっ
たりするわけです。多くの場合、賃金は職能資格で決まる制度になっています
ので、こうしたケースでは、賃金は変わらないのに職責は上がるわけです。理
屈で考えればこれは労働強化(!)であり、欧米ならおそらく本人は「賃金を
上げないのは不当だ」と抗議するでしょう。しかし、日本の場合、周囲は本人
にむかって「おめでとうございます」と言いますし、本人も大いに喜んでモラ
ールアップするのが普通です。まさに、「給料ではなく次の仕事の内容で報い
る」そのものではないでしょうか。資格昇格の候補者が選に洩れた場合に、昇
格はダメだったが、一段上の管理職ポストにつけるから納得してくれ、という
ような「ポストで処遇する」人事管理は、わが国の職場で間々見られるところ
です。
 したがって、高橋氏もいうとおり、それで処遇することができるような「面
白い仕事」が数多くあればあるほど、全体のモチベーションは向上するわけで
す。かつての高度成長期には、組織が拡大することで管理職ポストがどんどん
増えましたから、それがそのまま「処遇に使える」魅力的な仕事になっていた
ということでしょう。もちろん、給料も上がってはいたわけですが。
 今では、ポスト詰まり、仕事詰まりが著しく、なかなかふんだんに面白い仕
事を提供するというわけにはいかなくなっています。ただ、これは仕事の組み
合わせ方によって増やしたり減らしたりもできるでしょう。定型的・補助的業
務はOA化したり非典型労働に集めたりして、基幹的な社員はなるべく非定型
的・基幹的業務に専念させるといった昨今の傾向は、その意味でも理解できる
でしょう。

■2002/05/28 (火) 同期間競争モデルの限界

 高橋伸夫先生の「やさしい経済学」、今日は「同期との競争」でした。毎回、
日本企業の人事管理の特徴を端的に指摘していで、あらためていろいろ考え直
すことができる良い連載だと思います。
 あえて割り切った言い方をしてしまえば、日本企業における競争というのは、
賃金競争ではなく昇進競争である、ということになるのでしょうか。賃金はむ
しろ生計費重視で、いわゆる「出世」を争う、ということです。昇進がおもな
関心事である以上、賃金で差をつける必要性は低いということになります。い
くら差があるかということより、差があるという事実が重要だ、というわけで
す。実際、高橋氏も、「数百円の賃金差」が競争意識をあおった例をあげてお
られます。考えてみれば、能力にしても成果にしても測定にかなりの困難をと
もなうわけで、毎回の人事考課で大きな差をつけようとするよりは、目に見え
る差をつけるのは数年に一回の昇進のときに限った方がいいのかも知れません。
仮に昇進が遅れたにしても「まあ、賃金はそう違うわけではないのだから」と
なぐさめることもできるでしょうし、また、大差がついていないことで、将来
的にキャッチアップ可能であるというイメージを与えることができるという考
え方もあると思います(現実には、「課長昇格には係長経験○年以上が必要」
といった経験要件がつくことが多いので、キャッチアップは難しいわけですが)

 ただ、このやり方には限界が見えてきていることも認めなければならないと
思います。これは結局のところ「早いか遅いかの問題はあっても、いずれは昇
進できる」という期待がなければ機能しないしくみであり、その前提となる企
業・組織の拡大が停滞してきたからです。昇進できる人数がごく限られている
としたら、最初に差がついた段階でギブアップする人が増えるでしょう。もち
ろん、制度の設計とPRによっては、その期待を持たせ続けることもできるか
も知れません。しかし、現実にはほぼ不可能な昇進があたかも十分にチャンス
があるかのように思い込ませることがフェアであるとはとても思えません。
 このやり方は、全面的に見直すとまではいかなくとも、環境変化に合わせた
見直しは必要になっているのではないでしょうか。

■2002/05/27 (月) 仕事そのものが報酬という考え方

 先週から日経新聞朝刊で連載されている高橋伸夫東京大学経済学部教授の
「やさしい経済学 日本型の人事」ですが、期待どおり、日本型人事に対する
俗論を正す好連載となっているようです。
 今日の内容は「差がつく仕組み」ということで、日本型人事の特色である同
期入社者間での競争、いわゆる「遅い昇進」についての要領のよい解説になっ
ています。これは人事労務業界では常識中の常識に属する内容ですが、業界外
ではあまり理解されているとはいえません。高橋氏も「二十代社員のほとんど
が(自社は)年功序列だと答える」と述べています。これについて高橋氏は
「昇進の時期と給料ばかりにこだわって」いる結果だと述べ、それに対して
「同じ『係長』でもエリートコースの係長と、そうでない係長のポストがある。
同じ職位・給与でも、仕事の内容がまるで違う」「仕事の内容が違えば…その
後の進路は加速度的に大きく変わってくる」と述べています。まさに日本企業
における人事管理の急所を捉えた記述であるといえるでしょう。
 典型的なのは国家公務員上級職(に限らないかも知れませんが)の人事制度
で、課長補佐くらいまでは昇進も賃金もほとんど差がつかないわけですが、経
験するポストによって将来どのくらいまで上り詰めるかはだいたい検討がつく
といわれています。
 高橋氏はここまでは踏み込んでいませんが、このあたりは日本と欧米の社会
環境(あえて国民性とは言わないまでも)の違いが反映されているように思い
ます。欧米では労働は苦痛であるとされ、その対価が賃金である(あるいは賃
金の上昇をともなう昇進である)ことを考えると、同じ仕事なら同じ賃金、能
力や成績によって差がつくのは当然、という発想になるのでしょう。わが国に
おいては、「やりがいのある仕事、面白い仕事はそれ自体がひとつの報酬」と
いう感覚がかなりあるように思います。どういう調査だったか忘れましたが、
かつて「希望の仕事につけるのなら相当程度の賃金ダウンも容認できる」とい
う意識調査の結果を見たことがあるような気がします。
 高橋氏も指摘するとおり、賃金が同一あるいは均衡することをもって正義と
する考え方はいささか浅薄ではないでしょうか。

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