■2004/03/12 (金) 特別鼎談!

 「13歳のハローワーク」の村上龍氏、「よのなか科」の藤原和博氏、「仕事の中の曖昧な不安」の玄田有史氏が、「週刊ダイヤモンド」で鼎談しています。なかなか期待を持たせる顔ぶれですが、内容はほとんど村上・藤原両氏の自慢話に終始していて、若干期待はずれでした。それはそれとして、感想を3つほど。

 「13歳のハローワーク」が村上氏の子ども時代の経験から書かれたという発言を読んで、やっぱりなと思いました。「13歳のハローワーク」には村上氏は反抗的で集団生活になじめず、サラリーマンには絶対なれないといわれた、とか書いてありました。こうした幼少時からの「集団生活になじむいい子」→「いい学校、いい会社のサラリーマン」という人への強烈な嫌悪感、劣等感が、あれほどまでの「会社」嫌いの原因なのかもしれません。とすると、これは一種の復讐ですね。執念深い人にとって、復讐は凄いエネルギーになるということでしょうか。なるほどねぇ。

 村上氏によれば、『政府からフリーターからホームレスまで、合言葉は「何をしていいかわからない」』なんだそうです。そりゃ、あたりまえですって。わかってれば誰も苦労しません。とくに、村上氏のような超シバキ系自立論で「自立しろ」っていわれたら、誰だって何をしたらいいかわからないんじゃないかな。だから、「やるべきことがわかったときの人間はすごく強い」ってのも、あたりまえなんですよ。玄田さん、迎合しないでよ。

 村上氏の「最後の家族」は「それほど」売れなかったそうな。あれは要するに女はみんな男と逃げちゃって、男はリストラされてざまーみろって本で、内容がひどかったから売れなかったんじゃないの?「自立を阻む何か」だなんて講釈してみせて、カッコ悪いよ。あほくさ。藤原さん、迎合しないでよ。

■2004/03/11 (木) これでは派遣の待遇は改善しない

 今朝の東京新聞に、この1日に行われた日本人材派遣協会と派遣労働ネットワーク、全国コミュニティ・ユニオン連合会などとの懇談会のもようが掲載されていました。派遣労働の待遇改善は労使双方にとって重要な課題でしょうから、こうした取り組みはそれなりに有意義だろうと思います。
 ただ、労組(といっていいと思うのですが)側の主張をみると、最初にいきなり「いじめの温床となるリストラ後ポストへの派遣はやめる」という要求が出てくるなど、派遣労働に対してあまり誇りを感じている気配がないのが残念なところです。まあ、どうしても正社員に較べて冷遇されているという思いが表面に出てくるのは致し方のないところだと思います。しかし、直接雇用、常用雇用だけが望ましく、派遣は望ましくないという偏狭な価値観で派遣業者と交渉しても、前進が望みにくいのは明らかでしょう。
 逆に、派遣という働き方に誇りと自覚を持ち、スキルを高めて、派遣先に高く評価される派遣労働者であれば、派遣会社も喜んで待遇を改善するはずです。とりわけ、派遣労働は団体交渉もさることながら、マーケットプライスの側面も多分にありますから、そうした傾向はより強いはずです。
 こうした労働者、すなわち交渉力のある派遣労働者をどれだけ組織できるかによって、労組の交渉力も決まってくるのではないでしょうか。残念ながら、記事をみるかぎりでは、この労組はそうはなっていない感じがします。
 いっぽうで、それでは派遣先に向かって派遣を利用するのはけしからん、と訴えたところで筋違いなのも明らかです。まあ、いかに短期とはいえ、座席表くらいは更新してくれとか、防災用品くらい準備してくれというのは、これは派遣元がそれなりに交渉すべきものかもしれません(結局は契約料金に反映され、派遣社員の賃金に反映されることは覚悟が必要ですが)。しかし、人材サービスというのはニーズに基づいて利用するものであり、現にニーズに合ったサービスを利用すること自体をもって「横暴」といっているのであればまことに独善的な考え方といえましょう。
 誤解のないように申し上げれば、私は派遣の待遇改善は重要な課題だと思っています(とくに、登録型から常用型へのシフトが重要と思います)。その方法論として、単に経営者に対して要求を主張するだけでは成果はあがらないだろうと思うのです。

■2004/03/10 (水) 国務大臣曰く「日本国債は危険」

 きのう行われた参議院予算委員会で、社民党の福島党首が年金積立金の運用についてただしたのに対し、坂口厚労相が「国債も決して安心ではない」「大きな損失を出すこともありうる」などと回答し、会場を驚かせたそうです。
 福島党首がこの回答に対し「国債は危険との発言には驚いた」と批判したのに対して、谷垣財務相が「厚労相の発言は(積立金運用を国債だけでなく株式などでも行うことで)リスク分散をはかるべきとの趣旨と理解する」と答弁してことなきを得た?ようですが、ただでさえ国債価格の動向には波乱要因があるといわれているわけで、閣内の思わぬ造反?にはあわてたことでしょう。
 まあ、たしかに国債にも値下がりのリスクがあることは事実であり、そういう意味ではたしかに損をする可能性もありますが、基本的に償還まで保有すれば国が元利を保証する安全資産です。一国の国務大臣が自国の国債の安全性を疑うような発言をする(しかも国会答弁で)ことは、あきらかに国益に反する行為であり、厚労相の見識を疑われても致し方ないところでしょう。
 それにしても、これが予算委員会だったのでその場に財務相が同席しており、無難に収拾したわけですが、これが厚生労働委員会だったらどうなったことか、と思うと関係者は冷や汗ものだったでしょう。まあ、それならそれで、官僚が軌道修正をはかったのでしょうが・・・。

■2004/03/09 (火) 中国農村部の余剰労働力は1億5000万人

 時事通信ニュースによりますと、中国の社会保障相は9日の記者会見で、余剰労働力が多い農村人口の完全雇用を達成するには2億5000万人の雇用を第2次、第3次産業で確保しなければならないと語ったそうです。都市部への出稼ぎ労働者を含め、第2次、第3次産業で働く農村出身者は現在1億人近くいて、このほかに1億5000万人もの余剰労働力を抱えているのだとか。
 中国の「農村人口」は8億人余りで、このうち「労働人口」は5億人だそうで、これらのどれが総人口で、どれが労働力人口なのか生産年齢人口なのか、あるいは就労者数のなのかがわかりませんので、なんともいえませんが、それにしても1億5000万人の余剰人口ということだと、労働力人口が8億人としても失業率は20%近く、5億人とすれば実に30%という失業率です。まことにもって中国という国のスケールは大きく、わが国の失業者が三百数十万人ですから二桁違うけた違いです。
 しかも、中国の都市部に限定された失業率も昨年末の時点で4.3%に達しているのだそうで、しかも悪化しており、今年の抑制目標は4.7%とされているということです。まあ、欧米の主要国で失業率がこれを下回っているのはイギリスくらいのものでしょうから、それほど高い水準ではありませんが、しかし都市部の受け入れ余力がかなり限られてきているということはいえそうです。
 となると、中国の余剰労働力は依然として巨大な規模であるということで、このデフレ圧力たるや強烈なものでしょう。国際経済にとっても大きな問題ですが、基本的には中国が国内に抱える矛盾であり、先行きどうなるのか、なんとも懸念されるところです。

■2004/03/08 (月) 感情的なのは誰でしょう?(私もか?)その2

(続きです。下のログから読んでください。)
 実際、利益と貢献度を推計して対価を認定するという考え方自体が、要するに単純な出来高払いに近い発想で、人事管理や報酬の考え方としてはかなり拙劣なものですが、そのくらいしかやりようがないのでしょう。
 少なくとも、記者の論法でいうなら、判決は感情的ではないが批判は感情的だとはいえないはずです。記者はいとも簡単に「その業績や成果をきちんと評価するシステムが、日本の企業社会にはまだ希薄である。」だの「地道な基礎研究を的確に評価する仕組みも、日本の科学技術には欠けている。」だのと偉そうに言ってのけますが、この「きちんと評価」「的確に評価」というものがきわめて困難なものなのです。事後的に評価することがほとんどできないからこそ、記者が書くような「あらかじめ研究者と会社が権利や対価について契約を結んでおく合理的な方式」への特許法の改正が経済界主導で進められたのではないでしょうか。
 記者の考えは一連の高額判決を強く支持するもののようで、まあ意見は意見でご自由ですが、この論説(の名が笑う)記事は、自分の意見と一致しない批判は「感覚的」「感情的」であり、自分の意見に一致する判決はそうではない、というそれこそ「感情的」なものであり、まさに「論外」なものというべきでしょう。実際、あちこちに人事管理や動機づけの初歩的理解すら欠くような「感情的」記述も目立ちます。
 なんとこの記事、署名入りなので、記者は自らの恥を天下にさらしているわけですが、まあ、自分の感情に酔っているようなので、なにも感じないのでしょう。いつもながらですが、感じない奴にはかなわん。
(ちなみに、私自身も社員研究者の処遇がすべて現状のままでいいと思っているわけではなく、技術者一般の処遇の底上げをはかることで「文理格差問題」に取り組む必要があると思いますし、成功した技術者に対してさまざまな形で適切に報いることをあらかじめ予定しておくことで研究全般への動機づけをはかることが重要であるとも思っていますので念のため)

■2004/03/08 (月) 感情的なのは誰でしょう?(私もか?)その1

 日経ネタです(笑)。7日日曜日「内外時評」の超トンデモぶりを紹介したいと思います。
 タイトルの「発明対価に“高額”判決――感覚的な批判は避けよ」にみるとおり、言いたいのは昨今の発明対価の判決は高額ではないということと、それに対する批判は「感覚的」だ、ということのようです。
 記者(論説委員)いわく、「判決を批判するなら、この評価・認定について具体的に反論すべきである。いくら個人の研究だったとはいえ、製品化やライセンスで企業が利益を得るまでは相当の労力と資金の投下があるのに、その評価が不合理なほど低い――というなら、評価の誤りを主張すべき」なのに、批判している人は「二百億円とか六百億円とかいう金額にただおびえて」いるのだそうです。
 しかし、ほかならぬ日経新聞に掲載された経営者や学者(の一部)のコメントなどをみても、彼らが「ただおびえて」いるのではなく、さまざまな側面から「評価の誤りを主張」していることは明らかです(たとえば、6日土曜日の日経朝刊に掲載されたキヤノンの御手洗社長のインタビュー)。さらに、記者が引き合いに出す日亜化学事件にしても味の素事件にしても被告は控訴しています。最も具体的かつ詳細な批判が可能なのは当事者たる被告ですから、これは十分に「評価の誤りを主張」しているというべきでしょう。
 そもそも、記者が引き合いに出す利益だの貢献度だのの裁判所の認定にしても、結局のところは大して根拠のない(少なくとも厳密な根拠はさらさらない)、山勘とまではいいませんがドンブリ勘定で(とくに日亜の「50%」という超切りのいい数字はそれをきわめて強く示唆しています。まあ、「少なくとも〜下回ることはない」という言い振りなので、それでもいいのでしょうが)、判事の「気合」(失礼、「心証」というのでしたな)に過ぎませんから、記者が経済界などの批判を「感情論」だという論法でいけば、そもそも判決だって「感情論」というべきでしょう(したがって、しょせんは最後は水掛け論に終わらざるをえません)。記者はご大層に「発明の価値と貢献度の評価を、その都度裁判所に頼るようでは」と嘆いてみせますが、実際には裁判所だって(誰だって)理論的に正確な評価をするのはそもそも無理な話なのであって、頼られた判事だっておそらくは苦心惨憺して判決文を書いているはずなのです。
(今回は長いので上に続きます)

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