■2004/03/19 (金) 若者はいつの時代もすばらしい

 今日も「働くということ」批判です(笑)。
 なぜか今朝は「働くということ」がないので、昨日の記事から。見出しは「あなたがライバル――世代・性別超え」となっていて、元気に活躍する若者たちの事例がいくつか並んでいます。慶大4年で松下の学生企業家コンテストで400倍の競争を勝ち抜いた22歳の青年。ホームページ制作会社の18歳の女性カンパニー長。新規顧客開拓を任された19歳の女性大学生…いずれも若さあふれるすばらしい事例でしょう。
 ただ、それで「年齢、性別、肩書……。働く場に厳然とそびえた壁が消える。」というのはどうなんでしょうか。このような、がむしゃらに頑張る若者は、いつの時代にもいたのではないでしょうか。むしろ、貧しかった時代の方が多かったのかも知れない。今がかつてと違うとしたら、それを格好よく見せる引き立て方が変わってきたということはあるでしょう。結局のところ、若者は今も昔もすばらしいのではないでしょうか。
 要するに、問題の立て方が根本的に間違っているのです。今現在問題にすべきなのは、こうした元気な若者の働く喜びなどではなく、元気の出ないような状態に陥った、あるいは置かれてしまった若者たちはどうすればいいのか、彼らをどうしたらいいのか、ということのはずです。そういう若者に、こうした例外的に光り輝く若者を見せて「ああすれば働く喜びがある」などといっても何の意味もなさないでしょう。
 「働くということ」というごく普遍的なテーマを、きわめて例外的な事例から述べようという基本スタンス自体に誤りがあるように思えます。

■2004/03/18 (木) またも「失業の輸出」論

 きのうの日経新聞によれば、AFL・CIOが「中国企業が労働者の権利を不当に抑圧して輸出競争力を高めている」として、通商法301条にもとづく経済制裁をUSTRに提訴したそうです。不当な労働慣行に対する制裁の提訴は初めてだとか(提訴そのものはできることになっているらしい)。今後の展開としては、USTRがまず調査を行うかどうかを決め、調査の結果「クロ」となればWTOへの提訴、またはいきなり制裁ということになるようです。
 まあ、選挙の年ということで、労組としてもいろいろと揺さぶりをかけていくという事情もあるのでしょう。しかし、労働基準の問題はいきなりWTOではなく、まずはILOでというのが、たしか平成7〜8年ころに国際的に合意された手順のはずです。もちろん、米国の国内法ではそれにかまわず手続きが取れるようになってはいるのでしょうが、現実にそれに踏み切るとなると、少なくとも相当異例のこととなるでしょう。
 米国では、ほかの経済指標が改善しても雇用情勢は改善しないという傾向がかなり長いこと続いており、労組としても危機感はあるのでしょう。中国からの輸入がマクロでどれほど米国の雇用を損ねているのかにはいろいろな評価がありそうですが、少なくとも現実に中国製品にとってかわられることで雇用が失われた人もそれなりにまとまった人数がいるわけなので、そうした人たちにとっては切実な問題であるには違いありません。
 それにしても露骨な保護主義なので、どれほど国際社会・国際世論の支持が得られるかはわかりませんが、いずれにしても労組としては無理もない行動といえるのかもしれません。

■2004/03/17 (水) やってみなはれ、というなら

 本日からまたしても日経新聞の「働くということ」がはじまりました。今回は「巣立ちのとき」という特集のようです。
 初回の今日は「やってみなはれ」。とにかく働いてみることを通じて働きがいを感じることができた若者の例が出ています。まあ、内容的には相変わらず「創業」だの「自由に任せれば」だのといったおとぎばなしが並んでいますが、それでも「とにかく働いてみる」という点を前面に出したのはいいことだと思います。
 ただ、「偶然にも画期的なプログラムの開発に成功し、創業」とか、24歳で販促の責任者とかいうのは、あまりにもおとぎばなしすぎて説得力ゼロです。これでは、「やってみなはれ」の趣旨にかなわないのではないでしょうか。
 世間には、普通に企業に就職し、与えられた仕事を指示されるままにこなしているうちに、いつしかその仕事の面白さに目覚め、やりがいを感じるようになるという例はそれほど山ほどあります。まあ、当たり前すぎて記事にはならないのかもしれませんが、「やってみなはれ」を多数の人に薦めたいのなら、こうした事例こそを取り上げるべきでしょう。
 ところが、今日の記事では、「普通の就職」は「職人気質の先輩にののしられて自信喪失」といういたってネガティブな事例に使われています。いかに日経が「普通の会社、普通の就職」がお嫌いだとはいっても、これでは記事が現実を遊離してとめどもなくゆがんでいくことでしょう。
 報道というのは、事実を伝える、現実を伝えるのが大前提だと思うのですが、日経はそれ以上にご自分の好き嫌いが大大大前提のようです。

■2004/03/16 (火) 新聞小説打ち切りの珍事

 柳美里女史が朝日新聞の夕刊で連載していた新聞小説が、きょうで未完のまま打ち切りになったそうです。今日の夕刊に掲載された「お知らせ」によれば、「連載小説「8月の果て」は、作者の柳美里氏の構想がふくらみ、新聞連載による完結が不可能になりましたので、残念ながら未完のまま本日掲載分で終了します。読者の皆様におわびします。/なお、4月1日(木)からは出久根達郎氏による新しい連載小説「かわうその祭り」が始まります。ご期待ください。」ということだそうです。
 うーん。いろいろあったんでしょうねぇ。もともとこの小説、一昨年4月から1年半の契約だったらしいのですが、それでは完結せずに延長。2年に近づいた現在でも終わりそうもない状況ということのようです。
 それにしても、プロ野球のナイター中継ではありませんが、普通は最後まで結果を見届けたいものではないでしょうか。2年近くも続いた連載を読んでいる人であればなおさらです。しかも、柳美里というビッグネームです。それでもなお途中で強引に打ち切ったということは、よほど不評だった、というか、読んでいる人がいなくなってしまったということでしょうか。
 「構想がふくらみ」ってのはなかなか配慮の行き届いた表現ですが、要するに冗長ってことでしょう。作家にちょっとした勘違いがあったということでしょうか。しかし、朝日新聞さんも災難でしたね。

■2004/03/15 (月) 日産ゴーン社長「今年は慎重に考える」

 日産自動車は、昨年、一昨年と賃上げを満額回答、賞与にいたっては回答指定日前に満額回答を示すなど、春闘での労働条件向上に前向きな姿勢を示してきましたが、今年はベア要求に「株主への利益配分とのバランスなども考慮しながら慎重に考えたい」との姿勢をとっているそうです。まあ、これまでは重視してきた、業績不振時についた他社との格差是正がある程度実現したという判断なのでしょう。株主への利益配分、ということは親会社であるルノーとの配分をどうするか、という問題でもありますから、これに労組がどう反応するのか注目されます。
 いっぽう、今年はマツダが早々と賞与に満額回答を示して日産のお株を奪ったのに加え、週末の新聞報道などによれば、電機各社も昨年に比べて賞与の回答をい上積みする方向だということです。マツダも電機各社もベア要求は見送っていますから、業績改善は固定費になりがちなベアではなく、賞与のような変動費的なもので従業員に還元するという考え方が一貫されているとみるべきでしょう。
 ゴーン氏の発言も、比較的変動費的な株主への還元と、固定費的なベアの比較という文脈から読み取るべきなのかもしれません。だとすれば、変動費的な賞与がしっかりとれれば、株主への還元については労組もあまり異を唱えない可能性が高そうな気もします。

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