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生産性
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『「生産性運動」というものがあります。「雇用確保」「労使協議」「公正配分」を三原則として、労使協調で生産性の向上に取り組もうという国際運動で、わが国でも民間企業、特に製造業において積極的に推進され、国際競争力の源泉のひとつとなったといわれています。 ヨーロッパ生産性本部は、1959年に、「生産性」を概略次のように定義しました。「生産性とは、何よりも精神の状態であり、既存するものの進歩、不断の改善を目指す精神状態である。それは、今日は昨日よりも、明日は今日よりもまさるという確信である。それはまた、条件の変化に、経済生活を不断に適応させていくことであり、新しい技術と新しい方法を応用せんとする努力であり、人間の進歩に対する信念である。」 この定義は、生産性を生産活動の計量評価の指標として、すなわち結果の測定としてとらえるのではなく、生産活動の目的は人間が進歩し、豊かになり、幸せになることであるという認識に立って、生活主体としての人間の側から、生産性を理念目標としてとらえたものであると言えると思います。端的に言えば、生産性とは、「効率に『人間を幸せにする技術』を加えたもの」ということになります。 したがって、効率は高いことが大切でしょうが、生産性は、高い低いという水準の問題より、常に向上しているという運動の方がはるかに大切になります。環境の変化や技術の進歩に対応し、編集長の言われる、「問題を正確に把握し、目標を設定し、解決策の仮説を立て、実行し、達成を得る」ということが、「人間の幸せのために」日常的に行われることが、「生産性(運動)」である、と言えるのではないかと考えます。 エーリッヒ・フロムは、その数多い主著の一冊である「愛するということ」で、生産性について興味深い言及をしています。 フロムは、真に愛することができるためには「理にかなった信念」が必要であると主張します。そして、「理にかなった信念の根底にあるのは生産性である」と断言します(この部分はフロム自身によってイタリック文字で強調されています)。そして、「信念にしたがって生きるということは、生産的に生きるということなのだ。・・現在すでにある権力を信じるということは、まだ実現されていない可能性の発達を信じないことであり・・人間の可能性と人間の成長を見落としているという点において、まったく理にかなっていない」と述べています。 この「生産性」が、生産性運動の定義によることは言うまでもないでしょう。フロムは、「愛」を、「より幸福に生きるための最高の技術である」と定義しています。この点において、「生産性」は「愛」と同義になるのです。』 これは、管理人が「村上龍のメールマガジンjmm」のno.116 monday editionに投稿し、掲載されたものです(文中の「編集長」は村上氏のこと)。「『生産性』をどう定義すればいいのでしょうか?」という設問に対する回答です。 かなりこっぱずかしい文章で、特に後半はかなり無理がありますが、この設問が当時ブレイクしていた「ザ・ゴール」に関連しての設問であり、しかもこれは「村上龍、金融経済の専門家たちに聞く メール編」という企画で、さぞかし「金融経済の専門家」のセンセイ方がご立派な回答を寄せられるだろう(実際、そうなりましたが)と思ったので、ひとつ労務屋として異彩を放つ回答を寄せてやろうということで投稿したというシロモノです。うーん、こっぱずかしい投稿の言い訳も大変だ。それにしても、よく掲載されたもんだと思います。その後の展開では完全に黙殺されましたが(爆)。 |
| ご注意: | この用語集は、管理人の個人的なコメントを述べたものであり、用語の正確な定義を記載したものではありません。くれぐれもご注意ください。 |