格付け会社と人事評価(14.6.3)



 日本国債がまたまた格下げされたということで、その妥当性をめぐってさまざまな議論が行なわれています。私は労務屋なので金融のことはわからないのですが、日本が巨額の支援を行なっている後進国と同等あるいはそれ以下の評価にまで下げられたと言うのですから、たしかに常識的には不自然に感じるのが普通の素人というものでしょう。この「格付け」、人事制度の「職能資格」に似たところがありますし、一種の「評価」であることも間違いありません。そこで、素人は素人なりに、労務屋的な観点からこの問題を考えてみたいと思います。
 そもそも、この「格付け」が意味するところは何なのでしょう。ムーディーズのホームページによれば、新しい日本国債の格付け(A)は「投資対象として数多くの好材料が認められ、…元利払いの確実性は認められるが、将来ある時点において、その確実性を低下させるような事柄が出現する可能性がある」ということで、従前の格付け(Aa)は「総合的に優れている…Aaa格の債券との相対的比較から、元利払いの安全性の余裕度が小さく、債務履行の確実性に関する要素に変動幅があり、もしくは、長期的なリスクに影響を及ぼすような要因が存在しうる」ということなのだそうです。私のような門外漢にはこの違いはなかなか理解しがたいものがありますが、どうなのでしょう。企業の職能資格の要件もわかりにくいものが多いのですが、これほどわかりにくい定義はおそらく納得を得られないのではないでしょうか。
 また、いかなる評価要素について、どのように判定されれば総合的にそれぞれの定義に該当するのか、という評価要素、評価基準といったものも、報道などで見るかぎりかなりあいまいなものであるように思われます。国債の格付けに関しては財務省が格付け会社に質問状を送付していますが、そこでも、日本の対外債権や外貨準備などのファンダメンタルズの状況を示した上で、「どのように評価すれば他国国債とこのような差がつくのか客観的・定量的な基準を示す」ように求めました。これを踏まえてかどうか、ムーディーズも発表時に「日本の外貨建ておよび自国通貨建て債務のソブリンリスク」と題するスペシャルコメントをあわせて公表していますが、それを見ても、国内債務の増加や日本経済の不振、政府の政策に対する批判的見解などに関する言及がもっぱらのようで、あまり「客観的・定量的」な根拠があるようには見受けられません。もちろん、定性的判断でもかなりの程度正確な判断が可能であることがあることも間違いありませんし、人事評価に典型的に見られるように、客観的・定量的な評価はときに大きな困難をともないます。とはいえ、そのような人事評価においてすら納得性を高めるために客観性や定量性を高める努力が行なわれています。国債の格付けが人事評価以上に客観性や定量性に困難があるとはおよそ思えません。
 格付け機関によって評価が大きく異なるのも、その現れかも知れません。同じく米国の代表的格付け会社であるスタンダード・アンド・プアーズは日本国債をAA−(ムーディーズのAa3に該当するといわれる)に格付けしており、その差は2段階あります。もっとも、アウトルックはネガティブであり、同社はこれまでもムーディーズに追随して格付けを見直していますので、今回も近いうちに引き下げに踏み切るかも知れません。それに対し、日本の格付け会社である格付投資情報センターは日本国債をAAAに据え置いています。これはおそらく評価の考え方の違いによるものでしょう。評価者が違えば評価が異なるのは当然ですが、これほど異なっている例はざっと見た限り他にはないようです。
 さて、今回の格付けの変更に対し、国債市場は「織り込み済」とのことで、大きな変動はなかったということです。塩川正十郎財務省(塩爺)は、為替市場が円高に触れていることをあげて、「市場はムーディーズの評価を参考にしていない」と述べたとか。塩爺らしい発言といえばいえますが、実際、直近でもエンロンに高い格付けを与えていたなど、ムーディーズ(だけには限らないでしょうが)の格付け自体、信認が低下しているという現実もあるようです。そういう意味で、ビジネス上のニーズとして「とにかく低く評価しておいた方が手堅い」というリスク回避的な行動をとった可能性は否定できません。人事評価で最高点をつけた部下が会社の金を持ち逃げしたら、その後はなかなか最高点をつけにくい、というのと同じようなことです。
 もうひとつ、格下げがムーディーズのビジネス上のニーズではないかと思われる事情があります。今回の格下げについては、実は証券アナリストたちも大勢は「国債の償還能力の評価としては適当ではない」という評価なのだそうで、それでも格下げされたのは「日本の経済政策に対する警告」であると受け止められているそうです。実際、ムーディーズの発表を見ても、「何らかの経済政策を行なうべき」との意図が読み取れます。
 それに対して、塩爺は格下げ自体が不適切であるとの立場で「この格下げで政策を変更することはない」と明言しています。格付けというものは、それがなんらかの影響力を行使するからこそ意味があるわけで、これでは何のための格付けか、ムーディーズの存在意義が疑われかねません。
 思い出してみれば、前回の格下げの際にも、同様の議論が行なわれ、そして政策の変更は行なわれませんでした。これは、ムーディーズから見れば、自らの「警告」を無視し、権威を踏みにじる行為に見えているでしょう。そこで、さらに一段の報復的な格下げを行なったというのは勘ぐりすぎというものでしょうか。人事評価においても、「言うことをきかないから評価を下げる」「それでも言うことをきかないからさらに評価を下げる」という感情的な評価が行なわれることもあるのではないでしょうか。
 そもそも、格付け会社の経営は、企業などから依頼を受けて格付けを行ない、その手数料で成り立っているものです。信用力の「お墨付き」を売って商売しているわけです。その一方、「お墨付き」がいらない企業についても、依頼なしで「勝手格付け」を実施しています。まあ、依頼のない企業も格付けしなければ投資家に対するサービスとして不十分ということでしょうし、お墨付きの信認を高めるためにも多くの(知名度のある)企業との比較を可能にしておく必要もあるでしょう。
 とはいえ、勝手に格付けされて、それを勝手に引き下げられたりするのは、やられた企業にしてみればいい迷惑であるというのも否定できない事実でしょう。わが国の経営者の中にも、一方的に格下げされて困ったという恨みを持つケースが多々あるようです。
 不思議なことに、勝手格付けは依頼による格付けに較べて低くなる傾向にあるというのが周知の事実となっているそうです。勝手格付けは企業の協力がないため慎重に格付けせざるを得ないというのが建前だそうですが、これはさすがに鵜呑みにはできません。格付け会社にとって、勝手格付けが依頼格付けに変われば、手数料が入るだけではなく、企業による情報提供を受けることで仕事自体が非常に効率的になるうえ、その情報自体がまた価値があるということで、二重三重にメリットがあります。であれば、「勝手格付け」で低めの格付けを多発することで、そのいくばくかを「依頼格付け」に引き込もうという戦略があっても不思議ではありません。
 もちろん、評価を材料にして部下に言うことを聞かせようというのは人事評価でも大いにあることです。だからこそ、恣意的でない、納得性の得られる評価が必要になるわけです。最初に戻りますが、評価の定義の明確化、評価要素、評価基準の明確化や、客観化、定量化の努力といったことです。あるいは、面接制度やフィードバックなどによる納得性の向上です。
 こうした目で見ると、格付け会社の格付けというのはいささか納得性を高める努力に欠けるように思います。もちろん、それでも大体のところは当たってくるかも知れませんが、間違うことも外すことも多いでしょう。私は一介の労務屋であって投資のことはわかりませんが、しかし評価という観点からは「その程度のものだ」という目で格付けを見ることが大切なように感じます。

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