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阪神タイガースが18年ぶりのリーグ優勝を果たしたということで、阪神ファン各位にはまことにご同慶です。阪神が最後に優勝したのが1985年ですが、その後も1992年には2位になっています。しかし、その後は1993年と1994年が4位、さらに1995年から2001年までの7年間で最下位6回5位1回という深刻な低迷を続けていましたから、今年の感激は大きいものがありそうです。 さて、この復活がきわめて鮮やかだったこともあってか、その理由についてあれこれと取りざたする意見が目立つようです。その中でも最も注目されているのが、昨年から監督に就任している星野仙一氏でしょう。日経新聞などは、星野氏を「外様の改革者」として、日産自動車の業績をやはり急回復させたカルロス・ゴーン氏に擬して絶賛しています。具体的には、モチベーションを高めるような選手との接し方の上手さとか、選手を競争させるような雰囲気を作ったとか、結果が出るまでチャンスを与えた、などといったことが指摘されています。世間の管理職諸氏にはなかなか考えさせられるものがあるのではないかと思いますが、しかし、リーダーが代わっただけでそれほどまでに結果が変わるものでしょうか。 プロ野球球団の成績と企業経営や企業の組織とを同一視できるものかどうか、かなり疑わしい感もありますが、実は私も阪神ファンだったりする(笑)ということもあり、これだけ騒がれている以上は、ここでも取り上げざるを得ないでしょう。というわけで、今年は阪神優勝の理由を考えてみたいと思います。 リーダーの大胆な活躍は非常に目立つだけに、ともすれば世間の注目がそこだけに集まりすぎるきらいがあります。日産自動車の例でいえば、ゴーン氏の卓越した経営手腕に隠れて見落とされがちですが、現実に再建にあたって決定的だったのは、ルノーによる約6,000億円の増資と約3,000億円の社債引き受けによって、経営を大きく圧迫していた有利子負債を大幅に圧縮したことではないかと思います。それにより、日産自動車が本来持っている底力が発揮できるようになったのでしょう。これは経営者の力量以前の問題といえると思います。 これを阪神タイガースにあてはめるとすれば、戦力強化のために資金を投じた、ということで、これまた今年の優勝の大きな理由と目されています。もし、こちらの理由が大きいとすれば、その功績は監督よりはフロントにより多く帰するものになるでしょう。実際のところはどうなのでしょうか。阪神タイガースの戦力を、野村克也氏が監督を務めていた2001年と、星野氏が監督となった2002年、優勝した2003年とで比較してみます。 まず投手力のほうから、ダイレクトに勝ち数を使って戦力を比較してみます。1勝投手まで加えるのはあまり意味もなく、数も多くなりますので、2勝以上(これでおおむね上位10人となります)の投手を勝ち数で並べてみます。なお、2003年は129試合消化時点のデータです。以下敬称は略します。 2003年 2002年 2001年 井川 17 井川 14 井川 9 伊良部 13 藪 10 福原 9 ムーア 10 ムーア 10 谷中 7 下柳 9 谷中 5 カーライル7 藪 8 金澤 5 伊藤 6 安藤 5 川尻 5 ハンセル 5 久保田 5 バルデス 4 伊達 4 谷中 3 安藤 3 成本 3 リガン 3 藤田 2 中込 3 福原 2 2人 2 4人 1 (等幅フォントでごらんください) この結果は非常に明白なように思われます。2003年の10人のうち6人が2002年以降の入団であり、5勝以上をあげた7人のうち2001年にも在籍していたのは井川と藪のわずかふたりだけに過ぎません。2003年はこの時点で82勝、2002年は66勝をあげていますが、伊良部と下柳のふたりだけでその差の16勝を上回っています。すなわち、投手力に関しては明らかに戦力補強による効果が大きいといえるでしょう。また、野村監督時代には芽が出ず、星野監督によって見出されたという投手は見あたらないこともわかります(2001年に藪の名前がないのは故障のためで、それ以前は阪神のエースと目されていたことは周知のとおりです)。動機づけのうまさがさらに成績を向上させているとか、監督の指導力や人柄が戦力補強に有益であるということももちろんあるのでしょうが、投手力に関する限りはフロントの功績が大きいように思われます。 次に野手・打線についてですが、選手はそれぞれタイプが違いますし、成績も変動します。ひとつの指標で一概にみることはできないでしょうが、ここでは出場試合数を基準に上位16選手(レギュラー野手8人の2倍)を比較してみたいと思います。この数字が大きいほど、球団にとっての必要性が高いと考えられるからで、そういう意味では出場イニング数のほうがよかったのでしょうが、データが入手できませんでした。 2003年 2002年 2001年 赤星 129 アリアス126 赤星 128 金本 129 今岡 122 今岡 123 今岡 119 片岡 120 桧山 121 矢野 118 桧山 110 矢野 119 藤本 116 濱中 102 濱中 110 アリアス115 平下 89 広沢 95 桧山 100 田中 81 上坂 89 片岡 100 赤星 78 田中 86 秀太 94 上坂 74 八木 85 八木 60 ホワイト 73 藤本 75 沖原 56 関本 71 沖原 71 濱中 55 矢野 66 クルーズ 70 野口 51 八木 64 星野修 55 久慈 50 沖原 63 山田 54 中村豊 48 藤本 63 ペレス 52 浅井 33 広沢 58 カツノリ 52 2001・2002年の田中と2003年の秀太は同一人物です。こうしてみると、2003年の16人のうち7人までが2002年以降の移籍者で占められているいっぽう、のこりの9人はすべて2001年の16人に含まれていることがわかります。しかも、今年大活躍で出場試合数トップの赤星、3位の今岡、4位の矢野といった選手たちは、2001年にもやはりトップ、2位、4位に入っているなど、故障による異常値を除けば、出場試合数の位置づけもほとんど変わっていません。つまり、実際には補強された選手が、従来からあまり活躍していなかった選手に置き換わったということになります。仮に競争が起きたとしても、少なくとも出た結果はあまり変わっていないということです。また、これは同時に、野手においてもやはり星野監督によって見出された選手は少ない(少なくとも、野村監督にも同等程度の機会を与えられてはいた)ということも示しています。 したがって、星野監督が「競争を活性化させた」とか「結果が出るまでチャンスを与えた」などという説はいささか怪しく、むしろ戦力補強がストレートに結果に表れたと見るほうが当たっているように思われます。フロントの努力はもっと高く評価されてもいいのではないでしょうか(もっとも、いい選手を集めたから勝ちました、というのでは面白くありませんが)。 もちろん、投手の場合と同様、監督の指導力や人柄が成績向上や選手獲得に大いに資していることは間違いないでしょう。主力選手が昨年、一昨年に較べて軒並み成績を上げているのを見れば容易に推測できます。 逆にいえば、巷間言われるように、前任の野村監督の選手操縦がいまひとつフィットしていなかったということもあるのかも知れません。今年阪神から日本ハムに移籍した坪井、あるいは昨年オリックスに移籍した塩谷といった選手は、ともに打線の中軸として活躍し、現時点で打撃十傑に入っていますし、近鉄に移籍した星野や北川も阪神時代とは別人のような活躍ぶりです。すなわち、彼らはそれだけの潜在能力があり、環境が変わることでそれが発揮されるようになったということで、裏返せば阪神時代の環境に問題があったということかも知れません。 とはいえ、3年で3回最下位とさんざんだったその野村氏ですが、野手の戦力比較からは、今年の優勝には野村氏の貢献もかなりの程度存在することがわかります。今年レギュラーに定着している赤星と藤本、また終盤戦に大活躍している沖原の3選手は、いずれも2000年のドラフト会議で野村監督のもとで指名をうけ、2001年に入団しています。彼らを見出した上に、1年めから多数の出場機会を与えて育成したことが、今年の活躍につながっていることは否定できないものと思われます。 以上から結論めいたことを引き出すとすれば、いたってありきたりではありますが、やはり今年の阪神の優勝も、必ずしも監督の卓抜な指導力だけによるものではなく、フロントの力がおそらく同等以上に貢献しており、また、前任者の力による中期的な戦力アップもそれなりに資している、組織全体の総合的な努力の結果であった、ということではないでしょうか。考えてもみれば、とりわけプロ野球のようなハイレベルの世界で、リーダーがひとり変わっただけで結果ががらっと変わってくるなどということはなかなかありえないでしょう(たとえば「人気」のような要因が働いて、あきらかに力量の劣る人物がリーダーになっていた、というような事情がないかぎりは)。 これは組織においても同じことでしょう。リーダーの指導力を高めるだけではなく、メンバー一人ひとりの能力向上、十分な投資、中期的観点からの人材の発掘や育成といったことにもあわせて取り組まれるのでなければ、めざましい成果を上げ続けることはできないのではないでしょうか。 |