五輪代表選考と人事評価 その1(16.3.29)



 さる3月15日に行われた女子マラソンの五輪代表選考で、前回五輪大会で優勝した実績を持つ高橋尚子選手が「落選」して話題になりました。半月が経過した現在も、まだ新聞や雑誌などで関連の記事がみられますので、かなりの関心を集めているのでしょう。これは選手に対する評価にほかなりませんから、人事管理とも近しい問題といえます。そこで今回は、この問題を人事評価の観点から考えてみたいと思います。長くなりますので、2回に分けて掲載・配信します。
 今回の代表選考において、選考にあたった日本陸連は「世間、世論の納得を得る」ということに非常に配慮しているように思われます。一般的な人事評価の場合は、従業員全体の意欲や生産性の向上を重要な目的のひとつにしていますから、大方の納得が得られることは重要です。しかし、代表選考は一義的には「五輪に勝つ」ことが目的(のはず)なので、選ばれた人の意欲とパフォーマンスが最大になればよく、必ずしも世間の納得を得る必要はないともいえます。とはいえ、五輪は国民的関心を集めますし、好結果を得るためには世論の支援と協力は不可欠でしょう。さらに、今回の五輪に限らず、長期的な技術水準と成績の向上も考えなければならないでしょうから、やはり世間の納得を得ておくことは必要になりそうです。また、最善と信じる選考を実施したにもかかわらず本番での成績がふるわなかった場合に、選考の責任を追及されることを避けるという観点も、陸連の立場からは重要かもしれません。加えて、マラソンに関してはこれまでも代表選考をめぐって議論や批判が繰り返されてきたことも陸連の姿勢に影響していることでしょう。
 さて、評価が納得を得るための条件には諸説あり、時と場合によって異なってくるでしょうが、世間でよくいわれるのが「客観性」、すなわち評価者の恣意が入り込みにくい、明確な基準があるということと、「合理性」、すなわち評価方法がその目的に照らして理にかなっており、評価結果が概ね大方の感覚に一致すること、この2点だろうと思います。
 ところが、たびたび指摘されているようにマラソンはコースや気象条件、あるいはレース展開などによって記録や結果が大きく左右されるという特徴があります。しかも、トップクラスの選手は数ヶ月に1回程度しか走れないため、スキーのジャンプ競技のように、1シーズンかけて各地を転戦し、そのトータルの結果でチャンピオンを決める、ということもできません。したがって、客観的な記録や成績だけで判断することが、必ずしも合理的な方法とは限らないという問題点があります。すなわち、マラソン選手の評価は「客観性」と「合理性」を両立させることが非常に困難(もちろん、結果的に両立することも十分ありえますが)だということを意味するでしょう。
 これはおそらく、人事評価ともおおいに通じる話であり、人事評価においても「客観的な評価基準」で評価した結果が職場の実感にあわず、しかもそれで大きな差をつけたために納得が得られず、士気や生産性が低下した、という話はたびたび目や耳にします。もちろん、販売成績が明確に出る営業マンなど、客観的基準がおおいに合理的なケースもありますし、そうでなくても、人事担当者たるもの、客観性と合理性を最大限に両立させるべく努力すべきことはいうまでもありません。しかし、そのいっぽうで、あるレベルから先はこのふたつがトレードオフの関係になる、すなわち客観的な基準があまりに詳細になると、かえって実態にあわない不合理な結果を招きかねないことも承知しておかなければなりません。そのため、人事評価では、客観的かつ合理的が評価の難しいこととのかねあいで、つける格差を小さなものにとどめる、という対策がとられます。評価の精度が低い場合は格差は小さくとどめたほうが納得を得られるというのは、経済学の示すところでもあります。
 しかし、五輪代表選考は「代表に選ばれるか、選ばれないか」という、オール・オア・ナッシングの結果が出ますから、評価される側にとっては天と地ほどの大差が必然的についてしまいます。それだけの大差に見合うだけの客観性と合理性を確保することはそもそも無理な相談で、その点日本陸連はおおいに同情されてしかるべきではないかと思います。
 そこで今回の選考ですが、日本陸連は昨年3月の理事会で、男女マラソンの選考基準として、概略次のとおり決定しました。
(1)世界選手権でメダルを獲得した競技者の中で日本人最上位1名
(2)各選考会の日本人上位の競技者の中から本大会でメダル獲得または入賞が
 期待される
 すでに、この基準の(1)によって1人が自動的に代表に内定しており、今回は(2)によって陸連の選考委員会と理事会で選考が行われ、総合的な検討の結果2人が選ばれた、ということになります。「総合的な検討」の内容については、報道などをみる限りでは、選考会の順位、タイム、内容を重視し、それ以外の成績(過去の実績)はあまり重視されなかった、ということのようで、関係者のコメントなどをみても「選考会重視」が繰り返されています。陸連としては、今回の選考が非常に困難なものとなったため、「過去の実績」のような主観的な要素は排除して、「選考会の結果」という比較的客観的な要素を重視して、世間の納得を得ようとした、ということなのでしょう。
 それでは、実際にはどの程度の納得が得られたのでしょうか。スポーツ報知紙が選考直後に実施したアンケート調査の結果をみると、「高橋選手の落選について」という設問に対しては、「当然」が25.6%、「納得できるが残念」が36.5%、「納得できない」が37.9%となっています。この結果をどう判断するかはまた意見の分かれるところでしょうが、マラソンの選考が持つ困難さを考えれば、約3分の2の人の納得を得たのは立派な結果といえるでしょう。そのいっぽうで、「納得できるが残念」の「残念」の含意はおそらく「五輪本番では高橋選手が有力だった」ということでしょうから、「五輪で勝つ」という選考本来の目的にてらせばいささか疑問が残るデータといえそうです。同じ調査で、選考された代表の一人は世界選手権2位の実績があるにもかかわらず「五輪でメダルは期待できない」との回答が半数近い42.7%を占めています。産経新聞が同時期に実施した別のアンケート調査でも、「五輪の女子マラソン代表の選考は選考レース結果重視でいいか」との設問に約3分の2の64%が肯定的に回答していますが、「五輪でメダルを狙えるか」の設問にはやはり約半数の51%が否定的と、ほとんど同じ結果が出ていますので、これは現実をかなりよく示しているとみることができるでしょう。さらに、選考翌日のスポーツニッポン紙によれば、かつて92年のバルセロナ五輪の代表選考で涙をのんだ松野明美さんは「選考会で結果を出した選手が選ばれてよかった。高橋さんが選ばれたら誰かが泣くことになる。でも、高速化したマラソンで世界に通用するのは高橋さん」とコメントしているようです。
 こうしてみると、今回の顛末は一応、選考にあたる陸連としては世論の納得に配慮して、なるべく客観性の高い選考を行おうとしたものの、その結果が世間の体感的な合理性と必ずしも一致しなかった、ということになるでしょうか。これは結局、人事評価で客観的な基準をあてはめた結果が職場の実感にあわなくなるというのと同じことであり、客観性と合理性の両立がかなり限られたものである以上、致し方のないことといえるかもしれません。そして、それによって大きな差がついてしまう以上、なかなか広く納得を得られないのも自然な成り行きということなのでしょう。

(次回に続きます)

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