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先月末の毎日新聞の報道などによりますと、この3月に横浜市内の公立中学校を卒業した生徒の「絶対評価」に基づく教科ごとの成績評価の分布が学校別に公開されたところ、相対評価と比較して評価が高くなる傾向があることや、一部で学校間で評価結果に大きな格差があることがわかったそうです。この成績評価は高校入試の判定に使われる調査書に反映されるため、関係者の間で議論を呼んでいるそうです。今回は、人事評価の観点から、この問題を考えてみたいと思います。 まず事実関係を簡単におさらいしておきますと、中学校の成績評価は1から5の5段階評価で、評価の分布が厳格に決められた相対評価がながらく採用されてきました。その分布は1と5がそれぞれ7%、2と4がそれぞれ24%、3が38%とされていて、これは標準正規分布の1.5の上側確率0.0668、0.5の上側確率0.3085に対応したものであり、相当に科学的な考え方であったといえます。 これが、2002年から、試験の成績より「学ぶ力」を重視するという、いわゆる「新学力観」に基づいて、現行の絶対評価に変更されました(このとき、同時に行われた授業時間と学習内容の大幅な削減などの「改革」が、いまとなっては行政も事実上失敗を認めているに近い状況にあることには注目すべきでしょう)。具体的な評価方法の細部は不明ですが、学力試験の成績に「意欲」や「関心」といったものの主観的な評価も加えた結果を、各学校の基準にあてはめて評価するという方法がとられているようです。 その結果なにが起きたか、毎日新聞の調査によれば、全校の「5」評価数の平均は、以前の「相対評価」で定められていた7%の2倍を超える17.7%となり、30%以上も9校あったということです。さらに、1学年の生徒数が40人以上の学校(144校)で、「5」の生徒数の割合に最も差がついたのは2年生の英語で、最高が55%(80人中44人)と1.2%(82人中1人)と、実に45.8倍の格差となっているそうです。3年生の評定の平均が4を超えている学校もあるといいます。毎日新聞はこれを「内申点バブル」と書いています。 まあ、相対評価の分布のタガを外せば、評価が甘くなるのは目に見えているわけですが、こうした評価の上昇を人事の世界では「寛大化傾向」と呼び、「考課エラー」のひとつとして警戒していることは周知のとおりです。 実際、こうした「内申点バブル」は、絶対評価導入直後にすでに判明していました(ちなみに、読売新聞は2002年時点で「評価バブル」ということばを使っています)。 東京都は、2002年の1学期、すなわち絶対評価導入後最初の評価の分布を公開しています(対象は公立中学校約600校の3年生)。朝日新聞の記事によれば下の表のとおりです。 5点 4点 3点 2点 1点(%) 国語 9.3 25.5 41.8 17.7 5.7 社会 10.7 24.0 39.7 19.2 6.4 数学 12.5 26.0 37.6 16.7 7.2 理科 9.9 25.2 41.3 17.7 5.9 音楽 9.0 25.0 43.1 17.5 5.4 美術 8.4 24.6 43.9 17.6 5.6 保健体育 8.0 26.1 46.0 15.6 4.3 技術・家庭 8.0 25.3 45.1 16.9 4.6 英語 11.5 24.7 37.5 18.9 7.3 (表がずれる場合は等幅フォントでごらんください) 相対評価の分布に較べて、明らかに寛大化傾向が見てとれます。面白いのは、教科によってはやはり考課エラーの代表選手である中心化傾向も観察されることで、音楽、美術、保健体育、技術・家庭のいわゆる「技能学科」においては、相対評価の分布に比較して「3点」がかなり多くなっています。これはまさに人事管理の教科書どおりといえそうで、寛大化傾向があるなかでも数学や英語では1点が相対評価と同程度についているのは、試験をして明らかにできない生徒には1点をつけざるを得ない(判断基準が明確)ことの反映でしょうし、技能科目においては、たとえば美術の作品に対して著しく優れているとか全然ダメといった評価はしにくい(判断基準が不明確)という事情が中心化傾向につながっているのでしょう。 こうした結果に対して、横浜市の教育当局は「問題ではない。絶対評価ではあり得ること」と静観を決め込んでいるそうです。2002年当時の東京都の教育当局のコメントも「絶対評価では600校あれば600通りの違いが出るのは当然」というものだったようです。まあ、ある意味では絶対評価の導入はこうした寛大化傾向や中心化傾向を容認するためのものであるとか、横浜市で学校間の格差が見られることも、実態としてかなりの格差が存在するという否定しても仕方のない事実の現われとして強弁することも不可能ではないのかもしれません。しかし、人事管理の観点から考えると、あまりにも問題が多すぎると言わざるを得ないように思われます。 そもそも、こうした評価方法がその導入の趣旨である「新学力観」の学力向上に本当に資するという科学的な根拠があるのか、という根本的な問題があります(少なくとも、いい点をつけたほうが喜んでやる気が出るとか、低い点はつけたくないとかいうことだけでは貧困なように思います)し、「新学力観」の学力がどれほど正しく評価可能なのかという問題もあります(少なくとも、学力試験でかなり正確に評価できた「旧?学力観」の学力に較べると、かなり精度は低いのではないかと思います)。しかも、評価基準は各学校によって異なっているということですから、基本的に学校間の比較はできません。横浜市の結果にみられる大きな学校間格差も、もともと存在する格差による部分よりは、評価基準の違いによる格差の部分が大きいのではないでしょうか(そうでなければ、45倍という極端な格差は説明できないのではないかと思います)。 まあ、それでも、評価が各学校の中にとどまり、学校内で学力向上のツールとして使われるだけなら、さほどの問題はないのかもしれません。現実的な最大の問題点は、これが生徒や保護者にとって(そしておそらくは学校にとっても)最大の関心事のひとつである「高校入試」に結びついている点にありそうです。 当然のことながら、高校入試には多数の中学校から受験があるはずで、調査書を合否判定に使うなら、それが学校間で比較可能なものになっていなければ意味をなしません。評価の方法を統一し、学校横断的な評価基準を設定し、それが各学校で遵守されるようにするくらいのことは最低限必要でしょう。ところが、現実にはこれが各学校の自由裁量になっているというのですから、人事管理でいえば各部門が勝手につけてきた評価で昇進を決めるようなもので、あまりにお粗末で話になりません。その点、これまでの相対評価は、少なくとも各学校のなかでの位置づけは明確で、学校間の格差は学力試験の成績や過去の経験などで調整できるわけですから、入試の判定基準としてははるかに優れていたといえるはずです。 横浜市の場合にさらに問題なのは、神奈川県の公立校の入試が「学力試験を課さず、調査書と面接が中心の前期選抜」と「調査書と学力検査に基づいて選考する後期選抜」となっていて、調査書の比重が非常に大きくなっている点にあります。人事管理の常識として、評価基準が明確なら格差は大きくできるが、不明確なら格差は小さくとどめるべき、というものがありますが、この入試方法は、合格か不合格かしかないという大きな格差をつけるために、その精度に大きな疑問がある調査書の評価を重視しようというものです。 もちろん、多くの場合、面接や学力検査でかなりのところはわかるでしょう。ただし、優秀者が集まる難関高になると話は別のようです。毎日新聞によれば、調査書はほとんどが満点近く(絶対評価ならば難関高受験者に高得点を乱発するのは学校にとっては合理的な判断であり、それが生徒のためだという理屈も可能でしょう)、面接でもほとんど差がつかず、学力検査も県統一問題のため平均点が90点以上に達し、「うっかりミスが明暗を分ける『1点差の勝負』になった」ということですから、およそ合理的な選抜が行われているとはいえそうもありません。少なくとも、民間企業がこんな方法で幹部候補生の選抜を行ったら組織がもたないはずです。 もっとも、高校入試が生徒や保護者(さらには学校)の最大の関心事の一つであるからといって、成績評価がそれに最適なものでなければならないということにはならないという考え方はありそうです。あくまで「新学力観」の学力向上が最優先だということで、入学試験の都合は後回しでよいのだ、という理屈も十分成り立つのかもしれません。そういう意味では、利益の追求を目的とする企業の人事考課と比較すべきではないという主張もあるでしょう。私はとくに教育問題に詳しいわけではないので、こうした部分まではコメントしようとは思いませんし、改善策を提案しようとも思いません。 ただ、少なくともいえることとして、民間企業にとってこれは「絶対評価」をはじめとする評価制度の事例として非常に興味深いものだ、ということです。正常な企業ではとても実施できない実験であり、きわめて貴重なものであるといえるのではないでしょうか。そして、これが民間企業的にみてまったくうまくいっていないという実態をみて、反面教師として大いに参考とすべきものではないかと思います。 |