日亜化学事件、亡国の判決から考える その1(16.2.23)
〜 「分配」「配分」の観点から考えよう 〜



 青色発光ダイオードに関する職務発明をめぐる訴訟(日亜化学事件)で、発明者に200億円という巨額の支払を命じる判決が出され、世間を驚かせました。しかも、認定額は600億円以上であり、請求が200億円なので200億円という判決でしたから、まことに型破りな判決といえましょう。そして、その額の大きさ以上に注目すべきなのは、発明の対価を得られる利益の50%というきわめて高い割合としたことでしょう。
 日亜化学事件は、やはり発明の対価を争っている他の事件とは異なる事情も多々あるとのことで、詳細な事情を承知していないのであまり断定的なことはいえないのですが、それにしても企業経営、人事管理の立場から考えると非常識きわまりない判決というべきでしょう。いささかおおげさではありますが、総合科学技術会議などでいわれているようにわが国が科学技術創造立国をめざすのであれば、それを大きく阻害しかねない、いわば「亡国の判決」ともいうべきものではないかと思います。
 いっぽうで、この事件は技術者、研究者の処遇のあり方について、考えさせられるさまざまな問題をあらためて提起したことも間違いありません。今回から何回かにわけて、発明の対価をめぐる問題を研究者・技術者の処遇という観点から考えていきます。
 まずはじめに、この判決を考えるうえで念頭におかなければならない重要なポイントを再確認しておきたいと思います。それは、これが「分配」あるいは「配分」の問題にほかならない、という点です。判決直後のニュースなどで、企業の技術者が街頭インタビューに対して「いいですね、励みになります」などと答えていましたが、こうした反応を示す人たちのなかには、若干意地の悪い言い方ですが、この200億円が天から降るか地から湧くかすると思っている人も多いのではないかという印象があります。しかし、これは得られた利益を誰が受け取るかという配分の問題であり、発明者が200億円を得るということは、他の誰かが合計200億円を失うということなのです。とりあえず、問題を従業員だけで解決するということで大雑把に考えると、日亜化学は従業員数が約3,000人ですから、ひとりが200億円を得るということは、単純に計算して残りの人たちはひとり平均600〜700万円を賃金や賞与の減額などの形で失うということになります。しかも、今回の判決の認定額は600億円強ですから(原告はこの判決を受けて400億円強を追加的に求める訴えを起こすそうです)、その場合他の従業員は実にひとりあたり2,000万を失うことになるのであって、そう考えれば、単純に「励みになる」などと能天気なことを言ってばかりはいられないはずです。
 そこで、まずこの問題をいくつかのレベルの「分配」「配分」という観点から考え、最後に処遇のあり方について考えてみたいと思います。
 大きなレベルでの分配の問題からみていきたいと思います。これは、一時期流行した「コーポレート・ガバナンス」の問題にも通じるものです。単純化すれば、利益を会社と従業員とでどのように配分するか、と考えることができます。会社はさらに、その取り分の中から一部を株主への配当に回し、一部を将来に向けた投資に振り向け、さらに取引先や地域社会など、さまざまないわゆるステーク・ホルダーに還元していくということになります。いっぽう、従業員への配分の一部が発明者への配分となることはいうまでもありません。
 当然のことながら発明はタダではできません。研究施設も必要ですし、資材も必要でしょう。これらはすべて会社のものであり、さらにいえば株主のものです。したがって、発明から得られた利益の一部は当然会社のものであり、それを通じて株主にも配分されなければなりません。そもそも、資力のない研究者がその技術力をビジネスにして儲けたいと考えたときに、失敗のリスクをとって出資するのが株主であり、それで設立されるのが会社です。日亜化学事件の原告も、自分の資金で設備や資材、研究スタッフを調達して成功したのであれば格別、現実にこれが職務発明である以上、利益の相当部分は会社に帰することは当然であり、さらにその一定部分は株主に配分されることが当然といえましょう(さらに、取引先や地域社会などのステーク・ホルダーにも適切に配分することが望ましいでしょう)。
 なお、日亜化学事件の原告は、研究費用の一部を自分のポケットマネーから支出していたことや、会社から書面で研究中止を命令されたことなどをあげて、貢献度の高さを主張しているようです。これらについては詳細を承知していないの想像での意見になりますが、しかし、いかにポケットマネーを使ったといっても費用全体からみれば微々たるものでしょうし、それをいうなら自腹を切ったりサービス残業をしたりしている日亜化学の社員は他にもたくさんいたでしょう(と想像します)。また、「書面での命令」というのは企業感覚の薄い有識者(典型的なのは裁判官、あとは作家とか)にはずいぶんエモーショナルな訴求力があるようですが、人事担当者の目からみれば、そこまで中止を命令したにもかかわらず研究の継続を結局は黙認していたというのは、むしろ会社の度量の広さを示すものにみえます(とりわけ当時の日亜化学の規模を考えれば)。そもそも、「アングラ研究」ということばがあるくらいで、多くの企業では、研究者はその直接の担当業務だけではなく、多かれ少なかれ自分の関心のある研究を、時間をやりくりしながら自発的にやっていることが多いものです。企業としても、表向きはやめろというかもしれませんが、現実にはそこから有益な成果が出ることも間々あるので、実態としては黙認しています。もちろん、スリーエムのように、これを積極的に奨励している企業も増えてきています(そうなると、もはや「アングラ」ともいえなくなりますが)。
 詳細がわからないので不正確かもしれませんが、今回の判決は、会社・株主まで含めたあらゆる関係者のうち、発明者ひとりに得られた利益の50%を分配すべきというものです。これはまことにもって均衡を欠いた判断であり、これでは失敗のリスクを取って優れた研究者に出資しようという投資家が適正なリターンを得ることができません。結果として新技術への投資が進まず、わが国の科学技術創造立国にも悪影響を与えかねないと懸念されます。これひとつをとってみても、今回の判決は「亡国の判決」と呼ぶべき暴挙といえるでしょう。

(次回に続きます。次回は、企業内部での配分の問題をめぐり、「文理格差問題」を中心に考えていきます)

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