意義ある労働審判制度のために(16.5.31)



 さる4月28日、労働審判法が成立し、2006年には労使の審判員が参加する労働審判がスタートすることとなりました。全会一致での可決であり、労使双方にとってかなりの程度納得できるものだったと考えられるでしょう。
 まず、その概要を簡単におさらいしてみます。労働裁判手続は裁判官である労働審判官1名に労働者・使用者それぞれの知識経験を有する労働審判員各1名で構成する審判体で行われ、決議は過半数によるとされています。対象となるのは個別労働関係に係る権利義務関係をめぐる紛争で、当事者の一方の申立てによって(相手方の意向にかかわらず)開始・進行し、調停または審判(解決案の提示)を、特別の事情がないかぎり3回以内の審理で行う、となっています。審判は2週間以内に当事者の一方または双方から異議の申立てがなければ確定して裁判上の和解と同一の効力を有し、異議申立てがあった場合は失効し、地裁に訴えの提起があったものとみなすこととされています。
 労働裁判については、かねてから時間的・費用的負担が大きいなどの問題点が指摘されてきました。また、裁判である以上は判決に対していずれかの当事者になんらかの不満が残るのは当然とはしても、労使双方からみて明らかに疑問のある判決もありました。最近の例としては、労使交渉などの手続を経て圧倒的多数の従業員が労働条件の不利益変更を受容している現実を無視して、原告の事情のみに特化して判断したみちのく銀行事件(仙台高判平14.2.13)や、専門能力を買われて外資系企業に中途入社した幹部社員の解雇に解雇権濫用法理を杓子定規にあてはめたナショナル・ウェストミンスター銀行事件(第2次仮処分、東京地決平11.1.29)は、経営サイドが敗訴した事件ではありますが、当事者でない多くの労組からみても明らかに労使関係の実情を無視したものであり、違和感が残る判決ではないでしょうか。さらには、雇用調整助成金の計算を間違えた池貝事件(横浜地判平12.12.14)や、少し古くなりますが、なんと最高裁が就業規則を下回る労働契約もありうるとしてしまった朝日海上火災事件(最二小判平6.1.31)のような、素人がみると明らかに誤っているとしか思えない判決も出ています。
 こうした状況をみれば、労使それぞれの実務に精通した人が関与し、労使関係の実情をふまえて簡易・迅速に解決をはかろうという労働審判制度は、うまく時代の要請にこたえたものであり、その働きに大いに期待したいものです。
 制度運用の細部についてはこれからの検討になるようですが、労働審判制度が十分な成果をあげるためには、いくつか重要なポイントがあるものと思われます。
 まず第一に重要なポイントは労働審判制度が取り扱う事件の範囲(「個別労働関係に係る権利義務関係をめぐる紛争」ということのようですが)で、これをあまり限定的なものとしない、ということです。
 一例としては、解雇されたり労働条件を切り下げられたりした労働者が一般労組などに加入し、その労組が団交応諾を求めて地方労働委員会に救済を申し立てる、といったケースがあります。これは、形式的にはたしかに不当労働行為の救済ですが、実態としては会社と労働人個人の間の個別労働関係の問題であり、これまでこのようなケースで使用者に対抗する手段が限られていたため、いわば便宜的に集団的労使関係の紛争処理機関を「利用」していると考えるべきでしょう。このようなケースについては、今後は労働審判制度で取り扱うこととし、地労委もその方向に誘導することが望ましいと思います。
 また、このところ「職務発明による特許の対価」について、企業の人事管理の実態を無視した非常識な判決が連発されています。これは理屈の上では「個別労使関係に係る」権利義務関係なのかは疑わしいところがありますが、しかし労働者・使用者それぞれの知識経験がぜひとも必要な問題でしょう。しかも、5月28日に成立した特許法改正法案が成立し、対価の基準について労使協議や従業員からの意見聴取などを行って合理的な契約や就業規則への定めなどを行えば、その契約や定めによることとされましたから、これはますます個別的労使関係に係る問題として、労働審判制度で扱うべきものではないかと思います。
 この「取り扱う事件の範囲」はマスコミなどではあまり注目されていないようなので、あるいはすでに結論が出ているのかもしれませんが、企業実務の観点からはおそらく最重要のポイントではないかと思われますので、ぜひとも柔軟な運用を期待したいものです。
 第二のポイントは、これは労使双方から、あるいはマスコミからも指摘されていますが、労使の審判員をいかに確保するか、という問題です。今回の国会審議では、労使各500人、計1,000人程度の審判員が必要となるとの見通しが示されており、最高裁は来年秋にも日本経団連や連合などの推薦にもとづいて指名を行う予定とのことです。
 聞くところによれば、労働サイドはこの問題について、一部はOBも含めて一定年数以上の労働組合活動の経験がある人を対象に研修を行えば確保可能と考えているようです。しかし、これはいささか楽観的すぎるように思われます。地労委の委員であれば、労使ともに「使用者」「労働者」を代表する立場での参加ですが、労働審判員は「中立かつ公正な立場において、労働審判事件を処理するために必要な職務を行うものとする」こととされています。地労委の委員に較べて、さらに高い水準の知識経験が求められると考えるべきでしょう。おそらくは、トータルで10年以上の経験、さらにその中に数年はしかるべき役割・立場での経験があることが必要ではないでしょうか。また、労働審判が3回の日程で解決をめざす以上、審判員はまさに「今現在」についての知識経験が必要ですから、その大多数は現役であることが望ましく、安易にOBを頼りにすべきではありません。たしかに、人数を確保するためにはある程度基準を緩やかにし、研修を強化することで対処するといった方策も必要だろうと思いますが、使用者、公益もふくめて、この問題は十分慎重に考えるべきではないと思います。
 若干脇道にそれますが、連合はかねてから裁判所に労使が参加する労働参審制を主張しており、今回の労働審判法案成立に関する「事務局長談話」においても「労働参審制実現に向けた第一歩」との評価をしています。もちろん、最終的にはそれがめざすべき姿であるとの考え方には、私もかなり同感するものがあります。しかし、裁判所に参加するとなると実務に加えて法律や司法全般に関しても相当の深い知識が必要でしょう。そう考えると、少なくとも現時点では参審裁判官の人材はきわめて限られていると考えざるを得ず、今回まずは労働審判制度の設立からスタートしたのは現実的な対処であると思います。かなりの時間が必要だろうとは思いますが、将来的に審判員の水準が高まっていけば、いずれは労働参審制も現実的になるのかもしれません。
 なお、さらに脱線すると、連合は同談話で「労働団体の一員として、労働者の全幅の信頼に応える質の高い審判員を供給すべく、その推薦や研修等に努力する決意」との意欲を示しており、結構なことだとは思うのですが、「労働団体の一員として」という書き方がどうも気になります。連合は日本で唯一のナショナルセンターであるとの立場をとっていたはずですが、それを修正したのでしょうか。はなはだ余計なお世話であるとは承知していますが、労働審判制度が有意義に運営されるためにも、「唯一の」との気概は高く持ってほしいものだと思います。
 第三のポイントとしては、やはり人材の問題になりますが、代理人の確保があげられます。三回の期日で審判を終結させるためには、各回の審理は相当効率的に行われなければならず、当事者双方がきちんと主張を整理しておく必要があるでしょう。それにはやはり専門の代理人の参画が必要と思われます。
 労働審判制度は、基本的に弁護士以外の代理人を認めていませんので、審判員の確保の次は弁護士の確保が問題になるかもしれません。わが国の弁護士は20,000人を突破しましたが、依然として大幅な不足であるといわれます。しかも、労働審判は原則として3回の期日しかありませんので、弁護士にとってはあまり魅力的な仕事ではない可能性もあります。
 しかし、弁護士へのアクセスが容易でなければ、簡易かつ迅速な審理・救済という労働審判制度の趣旨が大きく損なわれてしまう危険性があります。現在、やはり司法制度改革の一環として、法曹資格者の大幅増員が進められていますが、多くの弁護士が労働審判を扱うことを期待したいものです。
 また、労働審判制度では、裁判所が例外として「当事者の権利利益の保護及び労働審判手続の円滑な進行のために必要かつ相当と認めるときは、弁護士でない者を代理人とすることを許可することができる」との定めもあります。この規定をうまく活用して、弁護士でない代理人を増やすことも考えられてよいのではないかと思います。アイデアとしては、たとえば連合が労組OBを集めて研修を受けてもらい、その人たちが必要に応じて弁護士の指導・助言を得ながら代理人を務めるといったしくみをつくれば、労働者が安価な料金で気軽に代理人を依頼できるようになることが期待できるかもしれません。
 そのほかにも、審判員への研修の内容や実施主体をはじめ、詰めるべき事項や必要な準備は多々あるものと思われます。誰にとっても使いやすく、迅速かつ公平・公正な審判が期待できるものとするために、政労使の各者がそれぞれの役割を果たしていくことを期待したいと思います。

労働雑感にもどる

iconホームにもどる