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4月に入り、各社とも新入社員を迎えたものと思います。社会経済生産性本部によれば、今年の新入社員は「発光ダイオード」型とか。そのココロは「電流を通すときれいに光るが、決して熱くはならない」、すなわち「ちゃんと指導をするといい仕事をするが、冷めている」ということのようです。まあ、人それぞれでしょうが、各社の新入社員はいかがでしょうか。いずれにしても、全体としては厳選採用には変わりないなかで採用を増やしたわけですから、各社とも新入社員への期待は例年以上に大きいのではないかと思います。 さて、そういった新社会人たちに対して、世間はどんな目で見ているのでしょうか。その門出にあたり、新聞各社はどのような期待を表明したか、各紙の社説からみてみたいと思います。今年、社説で新社会人へのメッセージを送ったのは、主要紙では読売、日経、東京の3紙です。もっとも、東京新聞の社説は新社会人への期待を述べたのは最初の3分の1程度で、残りはペイオフや個人情報保護などについて述べています。 まず、ビジネスマンに縁の深い?日経新聞からみてみましょう(4月1日付日本経済新聞朝刊)。タイトルは「志を胸に、さあ自ら立とう」です。 内容のほうは、実はお世辞にもうまいとはいえない文章で読み取りにくいのですが、「リスクをよけるだけが能ではない。リスクの語源はイタリア語のリスカーレ『勇気を持って試みる』だ。」「波風を立てないようにやり過ごすか、勇気を出して行動するか。行動してまた叩(たた)かれても、肥やしになる。」「順応力ばかりでなく、摩擦を起こす気概も見たい。」などといったことばから推測するに、要するに社会や企業に反発することを期待しているようです。実際、取り上げられている事例も、「ライブドアの堀江貴文氏は昨秋、ある新聞のインタビューでサラリーマンになろうと思ったことはと聞かれて『一度もないですね。まず、搾取されるじゃないですか。いちばんこき使われて、大卒の初任給が二十二万円とか……』と答えた。」とか、「昨年暮れ、大学入学などのための共通資格試験「バカロレア」の科目数を半分に減らすと仏政府が表明した。高校生たちは当初歓迎したが、試験が減れば進学校か否かという基準で評価されるという意見が広がった。二月、十万人規模の反対デモが繰り広げられ、国民教育相は法案を撤回した。」といったものになっています。たしかに、昨今の若者は気概や反発心に欠けるという意見はよく聞きます(どれほど証拠にもとづいているのか知りませんが)し、社説も指摘するように若年世代と老年世代の不公平は拡大していますから、それに反発せよとの主張はもっともなのかもしれません。 ただ、「世代の利害を政策に反映させるには、志が必要ということだ。」というのですが、それが「志」だ、というのはちょっと程度が低いような気がします。「志」という以上は、企業や国をよくするとか、世のため人のためになるとか、ひとかどの人物になるとかいうものを期待したいわけで、老年世代のためにワリを食うのはいやだ、というのが「志」というのは若者としてはいかにも淋しいのではないでしょうか。 もうひとつ気になるのは、あきらかに入社式を意識しているのに、会社員に対していかにも否定的で、新社会人への激励になっていないことです。日経が会社員が嫌いなのは自由でしょうが、いかにライブドアの堀江氏が若者の人気を集めている(らしい)にしても、ここでこういう形で持ち出されて励みに感じる若者がどれほどいるでしょうか。ましてや、正社員としての就職が決まらず、無業者やフリーターとして4月1日を迎えた若者はこの社説をどんな気持ちで読むでしょうか。 次に読売の社説をみてみましょう(4月1日付読売新聞朝刊)。こちらのタイトルは「新社会人へ 時代を突き動かす原動力となれ」です。 こちらは文章の流れもよく読みやすいものになっています。まず、今年は戦後60年、まもなく団塊世代の定年もはじまり、大きな世代交代が始まる年、企業社会においても、新たな発展を目指す出発点の年と位置づけています。そして、人口減少時代にあって若い世代は極めて貴重な戦力だと指摘し、「君たちに頑張ってもらわなければ困るのだ。ぜひ、新たな時代への原動力となってもらいたい。」「安定した道とは言えないが、前途は大きく開けてもいる。」と激励しています。さらに、「大手企業が、女性社員を積極的に登用していく方針を打ち出している。」「非正規、非常勤という形でスタートする人、定職に就かず、フリーターになった人も多いだろう。…どんな働き方でも、仕事から学び、自らの能力や技能を高めていこうとする日々の努力が大切だ。」と、多様な人たちへの目配りも行き届いています。さらに、「短期間で辞める若者も多い」ことに対しては、「苦痛からの逃避にすぎないとすれば、何の解決にもならない。」とするいっぽう、「転職を、将来の目標に向かって進むための一つのステップとする、前向きな考えもありうる。」と述べ、「仕事に手応えが感じられるのは、5年先、10年先かもしれない。苦労が大きいほど乗り越えた喜びも大きい。それが実感できる日も、きっと来るはずだ。」と締めくくっています。 短いなかにも、新社会人への祝福と期待、激励が率直に感じられる、好ましい論説ではないかと思います。もちろん、こうした論調にたいして「きれいごと」として反発するのも若者の心理としては当然かもしれませんが、それに迎合してみてもなんの意味もないわけで、権威ある大マスコミとして率直な期待を語るのも立派な態度ではないでしょうか。 東京の社説では、新社会人に向けてのことばはさらに短くなります(4月1日付東京新聞朝刊)。「何社へも書類を出しようやく初の職業が決まった人もいるだろう。不本意ながらも、あるいは自らの判断で、派遣社員や臨時雇用の形で春を迎えた若者も少なくないだろう。雇用の形は変わっても、将来を切り開くための心構えは共通だ。それは希望と期待を胸に一歩一歩着実に誠実に歩んでゆくことである。誰もがライブドアの堀江貴文社長になれるわけはない。いきなり脚光を浴びることができるほど社会は甘くない。汗を流し、知識や技量を磨く不断の努力こそが展望を開く、とまず胸に刻んでほしい。」 ライブドアの堀江氏を例にひいている点では日経と同じですが、論調としては正反対になっているのが興味深いところです。日経は「会社員なんかダメだ、堀江氏のようになれ」という論調ですが、東京は「誰もが堀江氏になれるわけではないし、なれなくてもいい」という論調です。このどちらが若年に向けてのメッセージとしてより適切かは明らかでしょう。 過去10年程度、若年(に限りませんが)に向かって「会社に『依存』せずに、『自立』できる人材になるべきだ」との論調が一部から強硬に行われてきました。しかし、若者がめざすべきはまず親からの「自立」であり、勤め先からも「自立」して生きていける人はかなり限られているというのが現実でしょう。日経新聞はいまだに「自ら立とう」などと言っていますが、世間では過去のこうした風潮への反省もはじまり、長期雇用を再評価する動きも目立たぬながら確実なものになっているのではないでしょうか。それを考えると、読売のいうような「5年、10年」といった中長期をみすえた論調こそが望まれるのではないかと思います。 |