ホワイトカラー・エグゼンプション制を導入しよう(17.6.9)



 さる6月3日の日本経済新聞朝刊「経済教室」に、小嶌典明大阪大学教授の「労働時間規制、適用除外の拡大必要」という論考が掲載されました。労働時間法制の重要な論点をきわめてコンパクトな分量に手際よく整理されています。まず、そのポイントを簡単にご紹介したいと思います。

            * * * * * * *

 厚生労働省は、2001年4月6日付の通達などで、使用者には労働者の労働日ごとの始業・終業時刻を確認し、これを記録することにより、労働時間を適正に管理する責務があるとの見解を示している。同通達ではその方法についても、「使用者自ら現認」または「タイムカード、ICカードなどの客観的な記録を基礎とする」を原則とし、いわゆる「労働者の自己申告」については、やむを得ない場合に限り、さらに厳格な要件を満たさなければ認めないとしている。しかし、こうして把握できるのは労働者が会社にいた時間、つまり在社時間にすぎず、ホワイトカラーの場合には会社にいた時間がすなわち労働時間であるとはいえないことは明らか。ホワイトカラーの場合は、自己申告によらなければそもそも「実際の労働時間」を把握することが難しいという現実がある。
 実際、厚生労働省でもタイムカードは使われていない。機械的に登庁及び退庁の時刻を記録するタイムカードのみでは職員の正確な勤務時間が把握できないことから、勤務時間管理の手法としてタイムカードの導入は必要でなく、それを行わなくても特段の支障はない、というのが厚生労働省の公式見解である。国家公務員の場合、出・退勤時刻、すなわち労働日ごとの始業・終業時刻に関する記録が明確な形では存在しない。これはホワイトカラー労働の特徴を直視したものともいえるが、行政が民間企業に求めているものとの隔たりはあまりにも大きく、こうしたダブルスタンダードを適用することへの明確な説明責任を果たさずに民間企業の納得を得ることはおよそ不可能。
 NHKの人気番組「プロジェクトX」に視聴者が感動するのは、寝食を忘れて仕事に取り組んだ人間のドラマが描かれているからにほかならないが、こうした時間にとらわれない働き方を可能にする仕組みとなると、現行では裁量労働制か管理監督者の適用除外制度以外になく、範囲の狭さなどの問題がある。
 こうしたなか、日本でも、米国の事例をモデルとして、一定の要件を満たすホワイトカラー労働者を労働時間規制の対象から除外する「ホワイトカラー・エグゼンプション」と呼ばれる制度の導入に向けた検討が本格化しつつある。その具体的な検討にあたってはまず、新しい適用除外制度においては、対象となる労働者の範囲に現行裁量労働制の対象業務に従事する者を含めるほか、その範囲の決定を労使協定に委ねることが望ましい。ただしその場合も、肉体労働や定型的業務に従事する者を法令や指針などであらかじめ対象労働者の範囲から除外したり、労使協定により対象労働者の範囲に新たに含める者については、一定の年収要件を課すというような選択肢も十分検討に値する。さらに、裁量労働制から適用除外制度への移行を円滑に進めるためには、従前と同様、対象労働者の健康確保などの観点から、健康に配慮する措置を講ずるよう労使協定で定めることを制度導入の要件として課すことも必要。

            * * * * * * *

 あまり手際のよい要約とはいえませんので、ぜひとも原文にあたっていただきたいと思いますが、全体にまことに正鵠を射た論考といえましょう。
 さて、この論考で紹介されている公務員と民間のダブル・スタンダードですが、本当に公務員では労働時間管理が「特段の支障はない」のでしょうか。始終業時刻・労働時間が正しく把握され、割増賃金が適正に支払われているのでしょうか。深夜・早朝の霞ヶ関に行けばこれがはなはだ疑わしく思われるわけですが、2003年2月26日付読売新聞夕刊にこんな記事が出ています。

            * * * * * * *

中央省庁で働く国家公務員(管理職を除く)の四人に三人が昨年度、給与が支払われない"サービス残業"をしていたことが、各省庁の労組の調査でわかった。民間企業のサービス残業を取り締まる厚生労働省の職員も含まれていた。霞が関の公務員からは「模範となるべき厚労省が、"不夜城"になっているのはおかしい」との声も聞かれる。(中略)
 また、旧労働省職員でつくる労組「全労働」が先月、厚労省の本省に勤める組合員約二百人を対象にした調査では、回答した百十人のうち五十八人が昨年十二月の一か月間にサービス残業していた。
 これに対し、厚労省は「残業と認められた分の給与は全額支払われており、サービス残業は行われていない。勉強や研究のため自主的に残っている職員もおり、全員が残業しているわけではない」と説明する。
 全労働は「勉強も仕事の延長で、実態はサービス残業。残業代が限られている反面、仕事量が多いので仕方ない面もある。だが、サービス残業している職員が、民間のサービス残業を取り締まるのもおかしな話」としている。

            * * * * * * *

 まあ、労使で見解が異なるのは当然といえば当然なので、これをもって「特段の問題はない」ことはない、とまではいえませんが、いずれにしても小嶌氏が「経済教室」で指摘しているホワイトカラー労働の特質がよく現れています。つまり、「勉強や研究のため自主的に残っている職員もおり、全員が残業しているわけではない」ということです。業務としては不要ではあるものの、本人にとっては仕事のできばえをよくしたり、自分自身の成長のためにやっている「仕事」というものがあるわけです。これは、できばえがよいことで人事考課などの評価が高くなったり、能力向上が昇進につながるといったことで別途報われるものであり、本人も多くの場合そちらを期待しているわけですから、これまで「勉強も仕事の延長で、実態はサービス残業」というのは筋が違うでしょう。とはいえ、帰宅してから家族に訊ねられれば、特に迷うこともなく「残業していた」と答えるでしょう。そういう曖昧さがあるわけです。
 さらにいえば、たびたび指摘されるように、自宅にいても仕事のことを考える、というのはごく普通ですが、そもそも「考える」こと自体が仕事の中心である一定以上の高度なホワイトカラーにおいては、自宅で入浴しているときに新しい発明や企画のアイデアが生まれ、構想がまとまるといったこともよくある話です。これも「労働時間」に該当するのでしょうか。
 ホワイトカラー労働においては、「労働時間」の境界はきわめて曖昧で、使用者にはもちろんのこと、おそらくは自分自身でもはっきりとはわからないでしょう。それにしても使用者よりは労働者本人のほうがよくわかることは明らかであり、それが多くの企業がホワイトカラーの労働時間管理に自己申告制を採用している理由ではないでしょうか。自己申告制は使用者にとっては常に過大申告の危険をともないますが、それでも自己申告制が広く用いられているのは、それ以外に適切な方法がないからではないかと思います。
 いっぽう、働く人はどうでしょうか。たとえば技術者が、業務としてはそこまでやる必要はないけれど、自分の専門分野で興味もあるし、技術力も上がるだろうから、ということで少し突っ込んだところまで研究してみたい、ということはよくあるでしょう。あるいはいわゆる文系、事務系の仕事でも、この程度までやれば業務としては十分だけれど、ここまでやった以上はもっと完璧に仕上げたい、といったこともたびたびあるでしょう。もちろん、こうした「仕事」をした時間まで全部残業手当がつけば嬉しいでしょうが、さすがにそうはいかないわけで、当然許される残業の範囲というものがある。続きを家でやれる仕事なら家でやればいいでしょうが、会社の設備や備品、資料などを使いたいとなるとそうもいかない。それでは、あきらめてそこで終わるか、それとも残業手当などという余計なことを考えずに気がすむまでやるか、後者を選びたい人もかなりいるのではないでしょうか。今すぐは手当がもらえないにしても、将来的にはよりやりがいのある仕事や昇進などで報われる可能性があるとすればなおさらです。
 そう考えると、ホワイトカラー、とりわけ「考える」こと自体が仕事の中心である一定以上の高度なホワイトカラーに対しては、時間割で計算して割増賃金を支払うという方法が適切であるかどうかはかなり疑わしいと考えるべきでしょう。そして、小嶌氏の指摘するとおり、現行法の裁量労働制や適用除外は、実態に較べて狭きに失すると思われます。ホワイトカラー・エグゼンプション制のような制度の導入が急がれるところです。
 さて、こうした制度について検討するときに、必ず議論になるのが長時間労働や、それによる健康被害といった問題です。小嶌氏の論考でも、これが中心的関心ではないのでごく簡単にしか触れられていませんが、その必要性は指摘されています。
 もう少し具体的に考えてみたいと思います。まず第一に考えられるのが、長時間労働による健康障害が問題であるならば、時間そのものを直接に規制してしまうという方法です。ここで大いに留意すべきなのは、割増賃金支払いのための「労働時間」と、健康確保のための『労働時間』とは必ずしも同じである必然性はない、ということです。具体的には、健康確保のためには、それこそ行政が執着している「タイムカードなどの記録」、在社時間を使えば十分だろうと思います。在社時間をベースに、現在国会に提出されている労働安全衛生法改正法案のように、一定時間を超えたら申告によって医師の指導とか、さらにそれを一定時間超えたら健康診断などといったルールを決めていけばいいのだろうと思います。
 また、ご紹介した新聞記事にもあるように、仕事量が多すぎるから長時間労働になるのだ、というのであれば、適正な仕事量が担保できるような規制を別途設ければよいのだろうと思います。もちろん、本人が勝手に仕事を減らすわけにはいかないわけですが、たとえば制度適用には本人同意を要件として、仕事量が多いと感じたら通常の労働時間管理に戻れるようなしくみにしていくことは考えられると思います。また、全般的な裁量度の高さのひとつの目安として、小嶌氏も述べているように、一定の年収を要件とすることも有効でしょう。
 なお、これは規制を設けるべきかどうか難しいところですが、やはり一定の休日の確保は重要な論点だと思います。これに関しては、欠勤(一日中、会社や上司と一切のコミュニケーションがない)のときに賃金を控除するかどうかにもよるでしょう。ただ、規制を設ける場合には、通常の労働者のような「1週1日」といった規制ではなく、「1年50日」「3ヶ月15日」(数字には特段の意味はなく、この日数がよいということではありません)といった緩やかな規制とすることが望ましいと思われます。高度なホワイトカラーほど、「働くときは集中的に没頭し、休むときはまとめて休む」という働き方を可能にしておくことが望ましいからです。場合によっては、通常の休日規制は一切課さないかわりに、5年〜10年に1年、多少の金銭的援助をともなう休暇、「サバティカル・イヤー」のようなものを設定することも考えられるでしょう。
 ホワイトカラーの労働時間管理の問題は他にも論点が多く、難しい問題も多々ありますが、いっぽうで就業構造のホワイトカラー化?と、ホワイトカラー労働の高度化は今後も進むでしょうし、その重要性が高まっていくことも間違いありません。そうした人たちが働きやすい労働時間管理とはどういうものか、と考えてみると、多分に工場労働を念頭においた現行法制を適用することが望ましいとは考えにくいものがあります。たしかに、ホワイトカラー・エグゼンプション制のような制度には場合によっては弊害も予想されるわけですが、だから現状で我慢しろというのではなく、どうすれば弊害を減少・抑制できるのかに知恵をしぼっていきたいものだと思います。

労働雑感にもどる

iconホームにもどる